ep.13
翌日の早朝。
Lunatic Cafeで一泊した私は、終焉の魔女と共に出発することになった。
扉の前に立つ私たちの背後で、メイド服に身を包んだメアリーが深くお辞儀をしている。
「わたくしにはこちらの業務がございますので、同行はここまでとさせていただきます。武運をお祈りしておりますわ、黒崎様」
言葉は丁寧だが、その実、終焉の魔女と同じ空間にこれ以上いたくないというのが本音だろう。彼女の腕の粘液が落ち着くまで二時間近くかかっていたのを私は知っている。
私は歩き出す前に立ち止まり、振り返った。
「あ、メアリーさん」
「はい」
「大事なことを言い忘れてました。……ここまで助けてくれて、ありがとう。おかげで助かりました」
メアリーはわずかに目を丸くした後、いつもの無機質で、けれど完璧なメイドの微笑みを浮かべた。
「もったいないお言葉でございます。では、いってらっしゃいませ」
その見送りを受けて、私たちは朝のネオ・トーキョーの街へ踏み出した。
「ねえ」
「何?」
「メアリーさん、あなたのこと相当怖がってたけど、何かしたの?」
並んで歩きながら聞いた。魔女は大鎌を肩に担いだまま、朝の住宅街を平然と歩いている。すれ違う通行人が誰一人として振り返らないのは認識阻害の類か、あるいはこの街にとって大鎌を担いだ人間が日常の一部なのか。後者だったら怖い。
「何もしてないよ。あのメイドさんとは昨日が初めまして」
「初対面で?」
「うん。たぶんあの子、本能で分かるんだと思う。わたしが何者かを」
「何者なの?」
余計に知りたくなった。
魔女はしばらく黙って歩いた後、小さく笑った。
「終わりを与える者、かな。ものごとに終わりを与える魔法を持ってるの。強制的にね」
終わりを与える。
強制的に。
「だからまあ、わたしの近くにいると本能的に『自分が終わらされる』って感じるんだろうね。あのメイドさん、毒の扱いが上手い分、そういう嗅覚も鋭いんじゃない?」
なるほど。メアリーのチフス人としての毒物感知能力が、終焉の魔女そのものを「致命的な毒」——いや、「終焉そのもの」として検知しているということか。戦闘力の問題ではなく、存在としての相性の問題。
「じゃあ、なんで普段から使わないの? その魔法」
「使ったら終わっちゃうじゃん」
「……は?」
「過程が楽しいのに、いきなり終わりにしたらつまんないでしょ。映画でもなんでもそうじゃん、クライマックスまでの道のりが面白いんであって、エンドロールだけ見せられても意味ないでしょ」
なんというか、この人は——自分の能力を、娯楽の文脈で語るのか。
尋常ではない力を持っていることは分かる。だがそれを行使しない理由が「つまらないから」というのは、ある種の狂気だ。あるいは、途方もない余裕。
最初の拠点は、湾岸エリアの倉庫街にあった。
教団Zが物資の中継所として使っている小規模な拠点だと、昨夜の情報共有で決まった場所だ。前回のアジトよりは小さいが、それでも中には武装した人員がいるはずだった。
「じゃ、行くね」
魔女はそう言うと、大鎌をその場に置いた。
置いた。
「え、大鎌は?」
「いらない。この程度で抜くのは勿体ない」
素手。この人、素手で行くつもりだ。
倉庫の正面シャッターに向かって普通に歩いていく魔女。隠密行動という概念が存在しないらしい。
「ちょ、正面から——」
私の制止を聞く前に、魔女はシャッターを蹴った。
蹴った、のだ。
厚さ数ミリの鋼鉄のシャッターが、紙のように内側に吹き飛んだ。轟音と共に倉庫の内壁に激突し、コンクリートの破片が舞う。
「なっ——!?」
倉庫内にいた教団員が一斉に反応した。五人。銃を構える者、魔術の構えを取る者。
魔女は歩みを止めなかった。
最初の一人が発砲した。至近距離からの三連射。
弾丸は——命中した。確かに命中したはずだった。だが魔女は足を止めなかった。服に小さな穴が開いているのに、血が出ていない。いや、出ているのかもしれないが、彼女にとってはそれが動きを止める理由にならないのだ。
魔女の拳が一人目の腹に叩き込まれた。
腹というより、相手の身体がくの字に折れ曲がって壁に叩きつけられた。人間の拳で人間をあそこまで吹き飛ばせるという事実に、脳の処理が追いつかない。
二人目は蹴り。横蹴りが胴を捉え、回転しながら吹き飛んだ。
三人目が魔術で防御結界を展開した。蒼い光の壁が魔女の前に立ち塞がる。
魔女は結界を殴った。
拳一発で結界が砕けた。ガラスが割れるような音。その余波で結界の主が膝をつく。魔女は崩れた相手の襟を掴み、四人目に投げつけた。人間を投擲物にするな。
五人目は逃げようとしていた。賢い判断だとは思うが、間に合わなかった。魔女が数歩で距離を詰め、後ろ襟を掴んで床に叩きつけた。
開始から、十二秒。
倉庫内の全員が沈黙した。
魔女は服の埃を払い、振り返った。
「はい、お願い」
にっこりとした笑顔。
メアリーが逃げた理由を、身をもって理解した。この人は——桁が違う。毒ガスで静かに無力化するメアリーとは対極の、暴力の具現化だ。しかも本人はこれを「過程」として楽しんでいる。エンディングを与える魔法を持ちながら、あえて拳で殴る。
それは慈悲ではない。嗜好だ。
気を取り直して、私は自分の仕事に取りかかった。
昏倒した教団員——この場合はメアリーの毒ガスではなく、魔女の拳で意識を飛ばされているので文字通りの昏倒だ——の記憶に魅了で潜り込む。
前回よりも手際は良くなっている。キーワードを絞り込み、不要な記憶の層を飛ばして核心に迫る技術が少しずつ身についてきた。
……教団Zの内部構造が見えてくる。
末端の拠点はこの倉庫を含めて三箇所。そしてそれらを統括する本拠が——
「霞ヶ関。やっぱりね」
魔女が私の報告を聞いて頷いた。
「旧中央合同庁舎の地下。財務省時代のセキュリティシステムがまだ生きてるから、魔術的な防御と電子的な防御の両方が機能してる。面倒っちゃ面倒」
元財務省の人間が古巣を拠点にする。それは第十二話で魔女が予想した通りだった。
「面倒、なの?」
「いや、面倒なのはわたしじゃなくて普通の人にとって。わたしにとっては——まあ、ちょっとだけ過程が長くなるかなって程度」
この人の「面倒」の基準が一般人と乖離しすぎていて参考にならない。
残りの末端拠点をもう一箇所潰した。こちらも同じ要領——魔女が殴り、私が情報を抜く。コンビネーションとしては非常にシンプルだが、効率は恐ろしく高い。
途中、魔女がぽつりと言った。
「キリコのこと、助けてくれるんでしょ」
「……そのつもりだけど」
「あの子はわたしの教え子でね。昔、色々あって」
教え子。
あの格闘術の達人、キリコ・シュヴァリエの師匠がこの人だったということか。確かに、あれほどの実力を育てるには、これほどの化け物が師匠でなければ辻褄が合わない。
「ちゃんと終わらせられなかったのよ、あの時。教団Zのこともキリコのことも。中途半端にしちゃって」
魔女の声は、ほんの少しだけ柔らかくなっていた。
「だからまあ——今度こそ、ちゃんと片付けないとね」
その言葉の重みを、美遊は静かに受け止めた。
「ちゃんと片付けましょう」
「うん。……明日、霞ヶ関に行こう」
こうして、教団Zの最終拠点への作戦日程が決まった。
(第13話 了)




