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夫と、夫の親友と、私の五年間  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第3話 薬草の産地が知りたいだけだ


 翌朝、ルーファスに話を切り出した。


 鑑定室はまだ人が少ない時間帯で、窓から入る光が作業台の上の薬草を照らしている。月見草の乾燥茎が、光を受けて金色に見えた。


「辺境伯領から要請が来ています。精霊結界の復旧について」


「聞いていた」


 聞いていた。誰から。


「ギルドに公式の打診が来ている。辺境伯領の精霊問題に対処できる薬師を派遣してほしいと」


 公式の打診。ダリウスは私的な手紙だけでなく、ギルドにも正式な依頼を出していたのか。


 ――なるほど。私個人に頼むのではなく、ギルドを通す。個人的な感情ではなく、制度として。あの人なりの線引き。


「ギルド長は私を推薦するつもりですか」


「お前以外に精霊契約者はいない」


 それはそうだ。


「行く」


 声に出した。昨夜、決めたことだ。子供の手紙の凹凸を指で辿りながら、決めた。


「ただし、条件があります。ギルドの公務として行く。辺境伯家への個人的な奉仕ではなく」


「当然だ」


 ルーファスが頷いた。書類を一枚取り出し、派遣申請書の項目を読み上げ始めた。手際がいい。――いや、手際が良すぎる。


「ルーファスさん。この書類、いつ用意したんですか」


「昨日の夕方」


 昨日。私がまだ決めていなかった時に。


「……お前が行くだろうと思った。子供の手紙を読んだ後の顔を見て」


 見ていたのだ。何も言わずに。茶を淹れて、論理的な言葉を一つだけ置いて、あとは待っていた。


◇◇◇


「それから、もう一つ」


 ルーファスが作業台から顔を上げなかった。書類を書く手も止めなかった。だから表情は見えない。


「辺境産の薬草の自生地を調査したい。銀木犀の原種が辺境の森に自生しているという記録がある。学術的に価値がある」


 学術的に。


「フローレンス式の精製法を正式登録するなら、原料の産地データが必要だ。現地の土壌成分、日照条件、標高、精霊との共生関係」


 並べ立てている。合理的な理由を。一つ、二つ、三つ。全部もっともらしい。


「つまり、一緒に行くということですか」


 ルーファスの手が止まった。ペンが紙の上で微かに震えた。インクの点が一つ、余分に落ちた。


「……薬草の産地が知りたいだけだ」


 嘘だ。


 この人の嘘は、わかりやすい。首の後ろが赤くなる。今も、白衣の襟の上で、肌がうっすらと色づいている。


「セレスティーヌ」


「はい」


「一人で行けるのは知っている」


「ええ」


「だから、一緒に行く」


 ――ああ。


 この人は、「守る」とは言わない。「心配だ」とも。「一人で行ける」と認めた上で、「だから一緒に行く」と言う。


 なんというか。


 胸の奥がじわりと温かくなるのを、乳鉢の重みで押さえつけようとした。無理だった。


「……ありがとうございます」


「礼を言われるようなことではない。産地調査は俺の仕事だ」


「はい。お仕事ですね」


「ああ」


 顔を上げないまま書類を書き続けるルーファスの耳の後ろを、私は見ないふりをした。見ないふりをしながら、口元が緩むのを抑えられなかった。


◇◇◇


 旅の準備は三日で整った。


 ギルドから正式な派遣書。辺境伯領への渡航許可。薬草採取用の道具一式。鑑定器具。そしてルーファスが詰め込んだ、やけに重い旅行鞄。


「乳鉢を二つ持っていくんですか」


「現地の土壌を分析するのに必要だ」


「秤も二つ」


「片方は予備だ」


「メモ帳が五冊」


「足りないかもしれない」


 この人は本気で産地調査をするつもりだ。口実だったはずの仕事を、本当にやり遂げるつもりでいる。その律儀さが、おかしくて、少しだけ愛おしくて。


 ――いえ、愛おしいは言い過ぎだ。たぶん。


 リーゼも一緒に行くことになった。洗濯屋のおかみさんに一週間の休みをもらったと、嬉しそうに報告してくれた。


「辺境のパン屋さん、まだあるかなあ」


「あると思うわ」


「セレスティーヌ様、焼きたてのパンが食べたいです」


 出発する時も同じことを言っていた。この子にとって、パンは目印なのかもしれない。新しい場所に行く時も、古い場所に戻る時も、パンの匂いがすれば大丈夫だと。


◇◇◇


 出発の朝。馬車は乗合ではなく、ギルドが手配した二頭立て。紋章はない。


 王都の門を出ると、道がまっすぐに伸びていた。五ヶ月前、この道を反対方向に歩いた。あの時は振り返らなかった。


 今度も振り返らない。でも理由が違う。


 あの時は、振り返ったら足が止まると思ったから。今は、振り返る必要がないから。帰る場所が、ここにあるとわかっているから。


 隣の座席で、ルーファスが早速メモ帳を広げている。旅の間にまとめておく調査項目の一覧を書いているらしい。角張った字が、馬車の揺れで少しだけ歪む。


「字が歪みますよ」


「構わん。読めればいい」


「読めませんけど」


 ルーファスが一瞬だけ手を止めて、こちらを見た。口元がほんの少し動いた。笑ったのだ。たぶん。


 窓の外を、五月の緑が流れていく。風が暖かい。辺境までは五日。


 鞄の中で、四冊目のノートの角が膝に当たっている。その中に、子供の手紙を挟んである。


 はながさかない。でもはっぱはみどり。


 花を咲かせに行く。――いや、そんな大それたことではない。ただ、あの子に会いに行く。守ってくれたものを、見に行く。


 それだけのことだ。それだけのことなのに、指先が温かい。

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