第1章 何もしない姫
この物語は、
戦争に勝つ話ではありません。
戦わずに済ませるために考え、
それでも避けられなかったとき、
誰が責任を引き受けるのかを描く物語です。
舞台は、遠い未来の地球。
国の名前も、制度も、私たちの知るものとは変わっていますが、
人が争い、恐れ、正しさを主張する構図は、
今と何ひとつ変わっていません。
この世界には、
戦争を抑止するための巨大な力が存在します。
しかしそれは、
使えばすべてを解決してくれる“救い”ではありません。
主人公の王女フィーナは、
特別な才能を持っていません。
戦闘能力も、カリスマもありません。
周囲からは、
本ばかり読んで何もしない姫だと思われています。
彼女のそばにいるのは、
裁定を示すだけのAIと、
過去の記録だけを残す王家の思想です。
それでも彼女は、
選ばなければならない立場に立たされます。
正しい判断とは何か。
合理的な選択とは何か。
そして、
それでも人が引き受けなければならないものは何か。
この物語は、
「答え」を与える話ではありません。
ただ、
選んだあとに残るものを、
静かに描いていきます。
もし、
派手な無双や即断即決の英雄譚を求めているなら、
この物語は合わないかもしれません。
それでも、
考えることを諦めない物語を読みたいなら――
この先へ進んでください。
フィーナ・アービトラが王位の継承を受けてから、
まだ一ヶ月しか経っていなかった。
それは、
何かを成すには短すぎる時間であり、
何も判断しない言い訳としては、
ぎりぎり許される期間でもあった。
評議会の円卓に着く彼女の姿は、
先代と比べればあまりに頼りなかった。
玉座から少し離れた席。
王家の象徴である紋章は掲げられているが、
それを背負う覚悟が、まだ形になっていない――
そう見られても、仕方のない位置だった。
「国境宙域の緊張は、
すでに偶発の域を超えています」
軍の代表が、抑えた声で報告する。
「示威行動を取らなければ、
相手は一段踏み込んでくるでしょう」
誰もが、その言葉に頷いた。
勝つか、
少なくとも負けないか。
得るか、
少なくとも失わないか。
評議会で交わされる言葉は、
いつもそのどちらかだった。
フィーナは、黙ってそれを聞いていた。
机の上には、何も置いていない。
端末も、資料もない。
ただ、視線だけが、
卓上に浮かぶ宙域図をゆっくりとなぞっていた。
補給線。
演習名目の艦隊配置。
通信の遅延。
どれも、単体では問題にならない。
だが、それらは少しずつ、
同じ方向に傾いている。
「殿下」
議長が声をかける。
「即位から日が浅いことは承知しています。
ですが、
王家としてのご意見を」
場の視線が、
一斉にフィーナへ向けられた。
彼女は、すぐには答えなかった。
否定も、肯定もせず、
ほんの一瞬だけ、考える。
そして、静かに言った。
「……現時点では、
判断を下す段階ではないと思います」
空気が、わずかに揺れた。
「判断しなければ、
事態は進みます」
軍の代表が言う。
「ええ」
フィーナは頷く。
「進みます。
ですが、
それは“こちらが決めた結果”ではありません」
誰かが、言葉を失ったように口を閉じる。
その違和感を、
うまく言語化できる者はいなかった。
議論は、再び別の方向へ流れていく。
フィーナは、それ以上、口を開かなかった。
■ 国家・世界
エウラ(Eura)
本作の舞台となる国家。
遠い未来の地球に存在する文明圏のひとつで、
複数の国家と冷戦状態にある。
平和は保たれているが、それは均衡によるものであり、
常に崩れる可能性をはらんでいる。
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■ 王家・思想
アービトラ家(Arbitra)
エウラにおいて裁定を担ってきた王家。
家訓は「裁くが、罰しない」。
判断は示すが、最終的な決断と責任は人が引き受ける、
という思想を代々受け継いでいる。
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■ 人物
フィーナ・アービトラ(Fina Arbitra)
本作の主人公。
特別な才能や戦闘能力を持たない王女。
本ばかり読んでいるため、
周囲からは「何もしない姫」と誤解されている。
裁定と決断の違いを理解し、
その責任を引き受けようとする存在。
エレナ・アービトラ(Elena Arbitra)
約千年前、
巨大人型兵器を起動し、
世界を平定したとされる王女。
後世では英雄として語られるが、
その裁定の意味は完全には伝えられていない。
ミラ(Mira)
フィーナの随行官。
戦場や現場の被害を直接見る立場にあり、
数字ではなく「人の痛み」を基準に物事を考える。
フィーナを理解している数少ない人物のひとり。
イセ(Ise)
アービトラ家の記録官。
過去の裁定と後悔を記録し続ける存在。
助言はしないが、
フィーナが逃げることも許さない。
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■ AI・機械
アル(AL)
正式名称:
Arbitra Core Unit – “AL”
裁定を示すために作られたAI。
決断や責任を引き受けることはなく、
あくまで「判断の尺度」を提示する存在。
その正体は、
エレナが切り離した“思考の構造”に由来する。巨大人型兵器は、
このAIが示す裁定を通過しなければ起動しない構造になっている。
ヴェッセル(Vessel)
エウラが保有する、
唯一の本物の人型兵器。
「力の器」として設計されており、
知性や意思は持たない。
使用されるたびに、
歴史的な後悔を残してきた存在。
※他国にも模倣された機体は存在するが、
設計思想・性能ともに本物には及ばない。
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■ 補足
本作において、
魔法や超常的な力は存在しません。
すべては技術、判断、思想、
そして人が引き受ける責任によって動いています。




