1話 真の天才〜すべてがFになる
いつまで続くんだろう。
真中 壮太まなか そうたはキーボードを叩きながら小さく溜息をついた。
もう2か月になる。事務社員が退職し、事業が回らなくなった。
契約書、請求書、その他もろもろ、、、どれだけ営業達が成果を出しても、
企業間取引における最低限の書類の発行がなされなければどうにもならない。
採用はまだ進んでおらず、代わりに自分がその業務を肩代わりしている。手当は出ない。
(みなし残業などという我慢ならない契約形態のため手当が出ていると考えることもできるが、今はそんな好意的な解釈は不可能である)
同僚の営業達は1名を除いてみんな帰ってしまった。壁掛け時計は21時10分を示している。金曜であることが唯一の救いだ。
ほかの社員達と分業すればもっとはやく終わるだろうに。。。
しかし普段、事務処理をまるまる依頼してばかりの営業達は、
事務仕事の流れも、社内イントラの操作も把握しておらず、また事務仕事の素養も持ち合わせていない。
指導するだけ時間の無駄である。
この仕事を代行できるのは、営業業務にあたりながら、事務へ依頼した後の流れを把握できていた営業だけだ。
依頼する以上当然のことのように思えるが、そんな人間はほとんどいない。
はす向かいの席に、上司が座っている。名を仮苗 新一かなえ しんいち、役職は営業部1課の課長である。
営業職にいながら、会社内に存在するあまたの事務仕事の流れを唯一把握している人である。
僕たちはたった二人で、僕たちを除いた数十名のあずがり知らない領域の仕事をしている。
「壮太、ビール買ってきて。500ね。」
うんざりした表情で仮苗さんが言う。さすがにお疲れなのだろう。目頭をつまんでいる。(あの行為には効果があるんだろうか?)
会社内でアルコールを飲むのは、、、と一瞬考えるが、
、、、冗談じゃない。と思い直す。文句があるならそいつが僕らの代わりに仕事を処理するべきなのだ。
「わかりました。キリンですか?サッポロですか?」
「キリン。」
22時30分。とりあえず今日の目途がついたといっていい。必要な書類は出力したし、
残りの依頼は来週で問題ないはずである。
「やっと終ったね。さすがにしんどいわ、、、あとは来週に回して帰ろうか。」
「そうですね。だいぶ遅くなりましたし、明日からの週末ゆっくり休んでください。」
本来自分たちの座るべき場所ではない事務机を片付けながら僕は言う。
「今週末のご予定は?良ければ飲みに行きませんか?」
通常ならなかなか口にはできない。なにしろ仮苗さんは営業成績ではトップ、事務処理においても今唯一社内で処理可能な人だ。最年少で課長になるほどの辣腕ぶりである。
この佳境を共にしている連帯感のおかげで、どうにかこんなことを口にできる。
僕には休日を彩ってくれる彼女もいない。確か仮苗さんにも現在はいないはずで、しかも仮苗さんは相当な酒好きだ。誘いに乗ってきてくれるかもしれない。
「予定なんてないよ。どうせいつも通り飲みながら本を読むだけだし、久しぶりに飲みに行こうか。」
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土曜日14時前。JR桜木町駅から地下に入り、ぴおシティに向かって歩きながら少し緊張してくる。
ぴおシティは横浜市内では有名な飲み屋街、野毛の一角で、友人とは何度も来たことがあったが、今日は仮苗さんとの飲みである。
仕事で遅くなった日など、会社の近くのコンビニで缶ビールを買い、駅まで一緒に歩くことはたまにあるが、
二人で居酒屋に飲みに来るのは3か月ぶりくらいだろうか。
適当に居酒屋に入り席を取る。
先に入った旨LINEを送るとすぐ既読になり、3分ほどで仮苗さんは席にやってきた。
「壮太おまたせ。ぴおはいつ来ても混んでるねぇ。」
「ビール頼んでおきました。」
「銘柄は?」
「キリンです。」
「タバコは?」
「電子OKです。」
「完璧。」
僕はあれこれと仕事の相談を始めた。
僕たちの仕事は法人営業だ。(といっても仮苗さんはもう課長職なので、彼の仕事は法人営業達の面倒を見てやること、ということになる)
僕は少々遅咲き気味ではあったが、最近ようやく売上予算も達成できるようになってきていて、モチベーションも上がり精力的に仕事にあたっていた。
一方周囲には予算が達成できない営業達も多い。
つい1年ほど前まで僕もそうだったわけで、それ自体は仕方ないと思う。
ただどうも僕は、予算が達成できない営業達の、仕事の取り組み方が不満なのである。
「なんかみんな必死さが足りないというか。直接行けそうな商談もオンラインで済ませたりしているし、そんな調子でこれから売上伸ばしていけるんですかね?どう思います仮苗さん?」
僕は徹底的に対面での商談を心掛けている。要するに予算も達成できていないメンバーが、行けるのに行かない、手間を省こうとする姿勢が気に食わない。
「オンライン商談そのものは決して悪いものじゃないんだけどね。あ、すみません、残草蓬莱1合。」
僕がべらべら話し続けている間に、仮苗さんはビール、ハイボールを飲み干し、今度は日本酒を注文した。相変わらず早い。
「真賀田 四季も犀川 創平も、人は移動すべきではないと言っているし。」
「、、、マガタ?サイ、、、?誰ですそれ?」
突然知らない人名を言われて思考がストップする。
「森博嗣先生の【すべてがFになる】に出てくる天才博士だよ。真賀田 四季は、人と人とが握手することさえ特別な、贅沢品になるとも言っている」
仮苗さんは読書家だ。彼と話しているとよく本からの引用が出てくる。
しかし残念ながら僕が読んだことのあるような本はほとんどない。
「あのぉ、いまいちなんのことを言っているのか、、、」
「人が移動するというのはエネルギィを使いすぎてしまって、見合う効果は得られないということ。」
もう少しスッとわかりやすく話してくれると助かるのだが。。。
こちらの表情を見て取ったのか、仮苗さんが後を続ける。
「対面にはオンラインにはない強みがある。それは事実だ。特に相手と仲良くなろう、気心知れた仲になろうとするなら、対面で話をしたほうが効果的だろう。一方で話す内容があらかじめ決まっているような商談ではそこまでの差は生まれない。対面は仲良くなるための雑談向き、オンラインはビジネスライクな商談向きだと思う。」
「、、、でもどちらの目的であるにせよ、オンラインのほうが効果があるってわけじゃないってことですよね?どの程度差があるかはわからないけど、やっぱり対面のほうがいいってことになりませんか?」
なんとか食い下がる。酒が回り始め、自分の語気が強くなってきているのがわかる。
「商談時間だけを切り取って、商談の効果と比較すればそうかもしれない。でも対面の商談をするためには、俺らは客先に移動しなきゃならない。仮にウチのオフィスからDoor to Doorで30分の距離に客先の会議室があるとする。往復60分。商談時間は30分としよう。オンライン商談なら所要時間は30分。対面の商談をするための所要時間は90分だ。その場合オンライン商談に比べて、対面商談は3倍の効果を発揮しなければならない。オンラインが対面になるだけで、商談効果が3倍になるとは、俺は思わない。」
まるで子供にでも理解できるように言葉を選んでいるみたいだ。
「、、、わかりました。お手上げです。要は目的別に使い分けるべきってことですね。」
「その通り。あ、すみません、写楽1合。壮太は?」
「えーと、じゃぁハイボールください。」
「しかしよくそんなカパカパ日本酒飲めますね。。。そういえばさっき話していた、すべてがFになる、でしたっけ?どんな本なんです?」
「ん~、俺が今まで読んだ本の中で、最も鮮やかに『真の天才』というものが描写されている小説、かなぁ。」
「『真の天才』って?」
「インプットまたは思考が高速かつ並列的すぎてアウトプットすることが時間の無駄になるレベルの頭脳。しかたなく、ちょうどそのグラスの結露程度に行ったアウトプットからすら、天才であることに疑いの余地がないことかな。」
僕はテーブルに乗っているハイボールのグラスに目をおとした。




