最終羽 手を繋いで歩きたい
めでたい日のはずなのに、セドラー家の屋敷は、朝からどんよりとしたオーラに包まれている。
そのオーラは、もう何日も前から、険しい顔で周りを威嚇し続けるルーファスから発せられていた。一度目と二度目の人生では、今日がリンディの命日だったのだから無理もない。
(とりあえず、昨日は何もなくてホッとしたわ。一度目では拷問に投獄。二度目ではナイフで刺されて致命傷を負ってしまったから。指輪の砂はまだたくさん残っているし、大丈夫だと思うけど……)
そう冷静に考えるリンディとは逆に、ルーファスは、「今日が無事に終わるまで油断はできない」と警戒し続けている。
リンディだけでなく自分まで仕事を休み、彼女が屋敷から一歩も出ないよう、監視をするという徹底ぶりだ。
とにかく、ずーーーーーっと、リンディの傍から離れない。
寝る時は強く抱き締められ、寝返りすらできないし、食事をする時もルーファスの膝に座らされ、必ず毒味してから口に入れられる。
挙げ句に、手洗いの前や風呂の中まで付いて来る始末だ。
(仕方ないって、わかっているわ。二度も哀しい想いをさせてしまったんですもの。もし逆だったら、私もきっと彼にしがみついて離れなかったと思う。
だけど、だけど…………。
何だか、わーっと自由に走り回りたい! 動き回りたい! 叫びたい! って気持ちになる。これが “ 旦那様 ” によく言われる、猛獣の本能ってヤツかしら)
そんな感じで、心は元気一杯のリンディだが、実は朝からあまり体調が良くなかった。熱っぽくて気だるいし、胃がムカムカして少し眩暈もする。
もしこんなことを言ったら、ルーファスの気が狂ってしまうだろうと考えたリンディは、元気なフリをすることに決めた。
(本当は、私も不安がない訳ではない。というか、ものすごく不安だわ。彼の哀しそうな顔は、もう二度と見たくないから)
リンディを膝に抱いたまま本を読むルーファス。
その優しい胸の匂いを吸い込み、すりっと頬を寄せた。
監視されているうちに、昼食の時間がやって来た。
毒味をした魚のソテーを、甲斐甲斐しく口に運ばれるリンディだが、あまり食べられない。さっき飲み込んだ分ですら、まだ喉に引っかかっている感じがしていた。
するとルーファスは、ブロッコリー(毒味なし)をフォークに刺し、つんつんと彼女の唇をノックする。仕方なく迎え入れるが……大好きなはずのもしゃもしゃが妙に気持ち悪い。
「もう食べないのか?」
「あの……もうお腹が一杯で。朝ご飯を食べすぎちゃったのかも」
「朝も大して食べていなかったじゃないか」
ルーファスはフォークを置くと、顔を近付け、自分の額をリンディの額に合わせる。
「熱っぽい……」
ルビー色の瞳が、次第に険しさを増していく。
(これは……大変だわ)
「あのっ、大丈夫よ! 月のものが来るのかも! お夕飯までにはきっとお腹が空くでしょうから! ねっ」
「……医師に診せる」
ひょいと抱き上げられ、問答無用でベッドへ運ばれる。
(どうしよう……揺らされたせいで、余計に気持ちが悪いわ)
胃液とさっき飲み込んだ物が混ざり、外へ押し戻そうとしている。リンディは思わず、うっと口を押さえた。
ベッドに置かれた瞬間──
リンディはルーファスを、獣並みの力で突き飛ばし、手洗いへと駆け込んだ。
必死に格闘した後のことは、よく覚えていない。
夕方になり、リンディはカラスの鳴き声に目を覚ます。朝よりもずっと穏やかなルビー色の瞳が、彼女を優しく見下ろしていた。
「リンディ、大丈夫か?」
「うん、今はスッキリ」
「ごめん……無理やり食べさせたから」
「ううん。本当は朝からずっと気持ち悪かったんだけど……心配させてしまうと思って、言えなかったの。余計に心配させてしまって、ごめんなさい」
ルーファスの顔がくしゃりと歪む。リンディの左手を両手で握ると、額を寄せ、広い肩を震わせながら泣き出してしまった。
(やっぱり私、どこか悪いの?
やっぱり……今日の夜に死んでしまうの?)
彼の指輪を見るが、砂の量に変化は見られない。なのにどうしてと、リンディは不安になる。
「ルーファス……私、病気なの? 教えて」
「……病気じゃないよ」
「じゃあ何で泣いているの?」
パッと上げたルーファスの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃなのに、とびきり嬉しそうだ。
「子どもができたんだ」
「子ども?」
「うん……僕たちの子ども。ここにいるんだよ」
温かい左手が、リンディの腹へ伸ばされる。
「……赤ちゃん?」
「うん」
「私、お母さんになれるの?」
「うん」
「そっかあ……」
リンディはひゅうっと息を吸い込むと、ベッドから跳ね起き、思い切り叫んだ。
「嬉しい!!」
暴れる前にベッドへ押し戻され、医師の診察とプリシラをはじめ使用人たちの祝いの言葉を受ける。その後、悪阻予防かつ栄養満点の祝い膳が運ばれ、更にルーファスから、妊婦の心得と厳重注意を延々と受けているうちに、いつの間にか命を落とした時刻を過ぎていた。
さて、顔を洗って寝よう! と、ベッドからぴょんと飛び降りただけで、リンディは旦那様モードの夫に怒られてしまった。
「……猛獣め。本当に首輪を着けてやろうか」
そんな声が聞こえた気がした。
満月が照らすベッドの中、二人でリンディの腹に手を重ね、小さな存在を愛おしむ。
「これもご褒美かなあ?」
「どうだろう。そうだといいね」
優しい声にリンディの胸が詰まり、激しい罪悪感に苛まれた。
「……ルーファス。私、私はね、酷い人間かもしれない」
「どうして?」
ルーファスは心配そうに身体を起こし、言葉を促すように、彼女の額を優しく撫でる。
「私ね、三度目の人生が始まってから、毎日指輪を見るたびに、ごめんなさいって思っていたの。ルーファスの寿命を奪ってしまって、ごめんなさいって。でも今日初めて、寿命を分けてくれてありがとうって、そう思ってしまったの。本当は、ごめんなさいって思わなきゃいけないのに……。嬉しくて、幸せすぎて、生きていて良かったなって」
リンディは腹から手を離し、熱い目を覆う。ふえっと漏れる泣き声に、ルーファスはくすりと笑い、軽い調子で言った。
「それは良かった。この子に感謝しなきゃな」
涙を拭うのに必死なリンディの代わりに、ルーファスが腹に手を当てる。
「良かった……なの?」
「ああ。この子はきっと、君にそう思ってもらいたくて、ここに来てくれたのかもしれないよ。ごめんなさいじゃなく、ありがとうで生きてほしいって。僕から君へ、君からこの子へ、少しずつ分けた大切な命なんだから。ごめんなさいなんて言ったら、この子を否定することになってしまうよ」
「……そっかあ」
「うん」
拭いきれずに溢れたリンディの涙を、ルーファスの優しい唇が啄む。
「僕こそありがとう。君が生きていてくれて、本当に幸せだ」
リンディは横を向き、ルーファスの温かな胸に、ギュッと抱きついた。
「ルーファス…… “ 大好き ” 」
一度目の人生から何度も浴びた四文字の言葉。
二度目の人生では、ただ哀しかった四文字の言葉。
三度目の今は、特別な響きで、ルーファスの胸を震わせる。
二人分の尊い命を抱き締めながら、ルーファスは何度も口にしてきた言葉を、噛み締めるように伝えた。
「僕も大好きだよ、リンディ」
恐怖と喜びの中で迎えた、三度目の19歳の誕生日は、二人にとって生涯忘れられない日になった。
繰り返した今日が無事に終わり、やがて、初めて迎える眩しい明日がやって来る。
「子どもが生まれたら何をしたい?」
「えっとね……可愛いうさぎをたくさん作ってあげたい! きっとこの子も、お父さんに似て好きだと思うの」
「ふふっ、お母さんに似たら、ブロッコリーも好きだろうな。そうしたら、僕が茹でてあげよう。美味しいスープもね」
まるで子どものままごとみたいな食卓。
いつか夢見た幸せな光景に、さらなる奇跡が加わろうとしていた。
「あとね、家の壁に、みんなで一緒にお絵描きしたい! 家族の思い出を壁画にするの」
「すごく素敵だね。他には?」
「たくさんお散歩したい! 三人で、手を繋いで歩きたい!」




