表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/92

第89羽 神の意思

 

 王都に戻ってから数日後の夜、リンディの誘いで、三人は久しぶりにあの店に集まっていた。


「さあ! お酒でもご飯でも、じゃんじゃん飲んで食べてください!」

「……本当にいいの? リンディ。可愛い後輩に奢らせるなんて、お局の名が廃るわ」

「後輩にも、ご馳走したい時があるんです!」


 ドンと胸を叩くと、隣のアリスが心配そうに言う。


「私は友達だけど、いいの?」

「親友にも、ご馳走したい時があるの!」


 またもやドンと胸を叩くリンディに、二人は顔を見合せ頷いた。


「それじゃあ……お言葉に甘えてご馳走になろうかしら」

「やったあ! ありがとうございます。ロッテさん、アリス」


 お金を出す人に礼を言われるなんて。このらしいわと、二人はふっと笑う。

 二度目の人生でもここでバッタリ出会ったロッテとアリスは、一度目と同じように意気投合し、ちょくちょく飲む仲になっていたのだ。


 乾杯の後、最初の一口でグラスを半分以上空にしたロッテは、楽しげに話し出した。


「貴女が誘ってくれるなんて、珍しいわね、リンディ。若奥様が夜遊びなんかして大丈夫なの?」

「はい! 旦那様……夫は今日、お仕事で帰りが遅くなるんです」

「 “ 夫 ” ……ねえ。まさかアイツが貴女みたいなと結婚するなんて。未だに信じられないわ」

「私も未だに信じられません。旦那様みたいな素敵な男性ひとが、私と結婚してくれたなんて」

「……違うわよ! 逆よ、逆!」


 ロッテはグラスを飲み干し、テーブルにダンと置く。


「あんな偉そうで失礼で冷たいヤツが、貴女みたいないいと結婚するなんてってことよ」

「……私、いいなんですか? 変なのに?」

「そうね。ちょっと……結構変だけど、いいよ。外も中身もとびきり可愛いわ。ね、アリス」


 同意を求められたアリスは、新しいグラスをサッとロッテの前に置きながら答えた。


「ええ、姐さん。リンディはすごくいい。だって会うたびに、アタシを綺麗だって言ってくれるんですもの!」


「そんな理由?」と笑うロッテに、アリスは続ける。


「リンディと出会う前はね、アタシ、女性としての美ばかり求めていた気がするの。でも、身体が男の、不完全なアタシだからこそ、生み出せる美があるんじゃないかって。綺麗じゃないアタシなりの綺麗があるかもって、そう思えるようになったの」


「私も……!」


 リンディは急に立ち上がる。その振動から、ロッテが倒れそうなグラスを守るのは、もはやお約束の光景だ。


「私もね、アリスと出会って初めて、変でもいいって思えたの。変は個性、変は芸術、変は素敵って。本当に、本当に嬉しかった」

「まあっ……!」


 二人は瞳に涙を浮かべ、どちらからともなく抱き合う。


「ちょっとぉ、まだ早いわよ二人とも。一杯も飲んでないじゃない」


 ケラケラ笑いながら二杯目を空にするロッテも、アリスに招かれ、自然と抱擁の輪に引き寄せられていた。

 リンディは輪の中心で、ぐすっと鼻を啜りながら言う。


「ロッテさんも……優しいお姉さんができたみたいで嬉しかった。忙しいのに、いつもキャンディを食べさせてくれて、いつもベルを鳴らしてくれて、ご飯もお話も、何もかも本当に嬉しかった」


「何言ってるのよ……私こそ、あなたと出会って、つまらなかった人生が百倍楽しくなったんだから」


 ロッテもアリスも、まるで何かの期限を知っているように、リンディの頭や背を優しく撫で続けた。


 少し身体を離すと、リンディは二人の顔を真っすぐ見て微笑む。


「ロッテさん、アリス。一度目も二度目も、今まで本当にありがとう。二人とも……大好き!」



 ◇


 その翌日は休日だった。


 焼き立ての香ばしいパンの香り。

 山盛りの美しいフルーツ。

 朝食のテーブルに向かい合う夫婦の顔は、ままごと遊びをする子供のように、無邪気であどけない。

 真っ先に林檎のうさぎを頬張り、顔を綻ばせる夫を、妻は優しい眼差しで見つめていた。


 今この瞬間、二人の間には何もない。難しい愛も、苦しい恋も。

 ただ穏やかで、優しく、温かい。それがこんなにも心地よいと感じてしまう自分に気付き、リンディは怖くなった。心が神の元へ、半分召されているのではないかと──


「……どうした? 食べないのか?」

「うん……あんまりお腹が空いていないの」


 ルーファスはフォークを置くと、パンの横でぼんやりと休む妻の手を取った。


「最近ずっと冷たいな……猛獣のくせに、やたらと大人しいし」


 ただ微笑むばかりの妻に不安を感じ、手をしっかりと握ったまま、質問を投げ掛ける。


「今日はどこかに行くのか?」

「いえ……旦那様は?」

屋敷ここで仕事をする」

「……忙しい?」

「まあ、そうだな」

「そっ……かあ。お休みなのに、大変ですね。後でまた、フルーツを切ってお持ちしますね」


 その言い方に何かを感じ、ルーファスはもう一歩踏み込んでみた。


「何か俺に用があったのか?」

「あっ……いいの。大した用じゃないからいいの」

「大した用じゃないなら、仕事の合間にできるかもしれないだろ。言ってみろ」


 言いにくいのか、握っている手に少し力がこもる。


「あの……あのね、旦那様のお顔を描かせてほしいの。見なくても描けるんだけど、ちゃんとお顔を見て描きたいの」

「……自分の顔なんて、わざわざ描かれたくない。鏡を見るのも苦手なのに」


 ルーファスは不快感を露にする。気まずい沈黙が流れ、リンディは下を向いた。


「そっかあ……ごめんなさい」


 小さな手は一層冷たくなり、伏せられた金色の睫毛は震え出す。その姿にルーファスの胸は苦しくなり、自分の苦手よりも、妻の希望を叶えてやりたいと、そう思ってしまった。


「……誰にも見せないなら、描いてもいい」


 その言葉に、リンディは、ぱっと顔を上げ叫ぶ。


「見せない……! 見せないわ、絶対。私だけの宝物にする!」


( “ 私だけの宝物 ” ……自分の、この顔が?)


 ルーファスの胸は、またギュッと苦しくなるが、さっきの苦しさとは全然違う。それは突き詰めれば “ 楽 ” に繋がるような、不思議な苦しさだった。


( “ 苦しい ” にも色々種類があるのかもしれないな……)


 嬉しそうに瞳を潤ませる妻を見ながら、ルーファスは苦しい胸を押さえていた。




 昼前の眩しい執務室。

 窓から流れ込む柔らかい風が、ルーファスの艶やかな黒髪をさらさらと撫でる。

 そのたびに天使の輪が形を変える様を、リンディは愛しげに見つめていた。


「……動いても大丈夫なのか?」

「うん!」


 ルーファスは横を向き、ふわあと息を吐くと、再び書類に涙目を落とす。

 リンディは微笑みながら、色鉛筆を丁寧にスケッチブックへのせていった。


(あの日みたいに大きなキャンバスではないし、ルビー色の絵の具もないけれど。どの色も美しく鮮やかに見えるわ。

 昼でもカーテンを閉め、ランプを灯して仕事をする。それほどまでに光を嫌う旦那様が、描きやすいようにと、私のためにカーテンを開けてくれたから。


 ……どうしても、顔を見て描きたかった。

 私は二度目の人生を、大切に過ごせていたのだろうか。選択は間違っていなかったのだろうかと、彼の顔を見ながら振り返りたくて。

 きっと答えは出ない、そう分かっていても……)


 そっと色鉛筆を置くと、リンディは両手でスケッチブックを持ち、自分で描いた夫の顔を見つめる。


(綺麗……お義兄様も旦那様も、本当に綺麗。初めて見た時から……一度目も二度目も、ずっとずっと)


 リンディの動きに気付いたルーファスは、彼女の元へ行き、スケッチブックを取り上げる。

 急に消えた絵に驚き、リンディは不安げに彼の反応を窺った。


「……俺は、こんな顔をしているか?」

「うん、綺麗でしょう?」


 色鉛筆で生き生きと描かれたその顔は、ルーファスの目には、自分とはまるで別人に映っていた。彼女の目には、いつもこんなふうに自分が映っているのか……だとすれば、どちらが本当の自分なのだろうと、不思議な感覚に陥る。


 その答えを探ろうと、彼女の青い瞳を覗き込めば、驚くほどちっぽけな自分がそこにいた。もっとよく探ろうと、跪き奥を覗き込むが、やはりちっぽけで頼りない自分が映っていた。


(今や大臣で、公爵で、セドラー家の主人である自分も、猛獣である彼女にとっては、こんな取るに足らぬ存在なのか。これでは惑わされ……補食されても当然だ)


 スケッチブックを静かに床に置き、金色の睫毛を手の甲で撫で、閉じさせる。

 獲物を待ち構えている、魅惑的な薔薇色の唇に吸い寄せられたら最後、自ら甘い毒を夢中で貪ってしまう。もう味わっていない部分など探すのが難しいくらい、今ではすっかり彼女の口内を知り尽くしていた。


 離した唇は切なくて、再び重ねれば、今度は痺れるほどの甘さに身体中が熱くなる。理性などどこかへ追いやられ、角度を変え、深さを変えては、一つに溶けてしまいたいとさえ思う。初めて毒にやられたあの夕暮れの日から、触れる回数も時間も、格段に増していた。


(これは……完全に中毒症状が表れているな)


 毒を放つ方もダメージを負うのか、唇を離した後は、いつもくたりと脱力する妻。だが今日は、そのままぎゅっとルーファスの胸にしがみついてきた。


「旦那様……私まだ、旦那様から離れなくてもいい?」

「当然だろ。まさかあの約束を忘れていないだろうな。あと三日……空腹に耐えながら、ずっと待っているんだ」

「忘れていないわ。少しでも美味しくなるようにって、ブロッコリーも我慢しているもの」

「それならいい」


 ルーファスはリンディの丸い額に唇を落とすと、強く抱き締め返した。



「そういえば、夕べは友達と食事をしたんだろう? 酒も飲んだそうだが、問題はなかったか?」


 絵師の先輩と学生時代の友人と、三人で食事に行くのだと、ルーファスは事前に妻から報告を受けていた。


「うん。とっても楽しかったわ! 旦那様のこともたくさん訊かれてお話ししたの」


「……何を訊かれた」


「何でアレと結婚したの? とか、本当は旦那様とヨハネスが愛し合うためのカムフラージュなんじゃないの? とか、いろいろ心配してくれて。二人ともお酒を飲んで楽しそうだったし、何とか誤魔化せたから大丈夫よ! あっ、あとね、あっちは立派かとか、上手いの? とか。あっちが何のことかわからなかったんだけど、恥ずかしくて訊けなくて。すごく立派だし上手よって、適当に誤魔化したわ。旦那様は、あっちが何かわかる?」


 ルーファスは質問を流しながら眉をひそめる。


(……失礼極まりないヤツらだな。おまけに可愛い猛獣に下品なことを吹き込みやがって)


「それでアリスがね、そんなに立派で面白そうな旦那様なら、一度ぜひお会いしたいわって」


 “ アリス ”

 その名を聞いた瞬間、何やら胸がモヤっとしたのは気のせいだろうか。


「いいだろう。今度屋敷に連れて来い。公爵夫人に相応しい友人かどうか、俺が見定めてやる」

「嬉しい! 私、夢だったの。旦那様と結婚して、新居に友達を招待するって。どうもありがとう」


 満面の笑みで自分を見上げる妻。こんなに喜ぶなら、いっそその失礼極まりない友人らのために、舞踏会でも開いて歓迎してやりたいとすら思ってしまう。


(……本当に、強烈な毒だ)


 甘さを思い出した唇が疼き、気付けばまた刺激を求め薔薇色を啄んでいる。

 ルーファスは完全に仕事を忘れ、リンディへ溺れていった。



 来ないかも知れぬ未来にも、ルーファスの熱い唇にも、リンディはときめき、喜びを感じていた。

 大丈夫、まだ私の心は召されていない。私はまだ、生きている。そう安堵していた。


 だが……


 視界に入ったルーファスの指輪に、神の揺るぎない意思を感じた。



 ──貴方と最後に過ごした、穏やかなこの日。

 手を繋いで、遠い所へ逃げてしまいたかった。

 絶対に神様に見つからない、どこか遠い所へ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
木山花名美の作品
新着更新順
総合ポイントの高い順
*バナー作成 コロン様
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ