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時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


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第81羽 私がいるから

 

 屋敷へ向かう馬車の窓から見える景色は、一度目の人生と同じだった。

 笑いながら歩く人々に、のどかな荷馬車。空も青く、草木もゆったり流れている。

 あの時と違うのは、義兄妹だった二人が夫婦として向かい合い、こうして弁当を広げていることだけだ。


 ルーファスは歪な林檎をフォークで刺し、眉をひそめる。


「何だこれは」

「……うさぎです」


 半分欠けた耳とでこぼこの身体に、リンディはしゅんと俯く。義父デュークのことを考えながら切っていたら、こんな酷い有り様になってしまったのだ。林檎だけなく、危うく大切な指まで切りそうになった。

 哀れなうさぎは白い歯に呆気なく噛み砕かれ、養分となるべくルーファスの胃へ落ちていく。


 リンディはサンドイッチを手にしているものの、心ここにあらずといった表情で、窓の景色を見続けている。ルーファスは、そんな妻の手からサンドイッチをそっと取り上げると、ぽかんと開いている口に押し込んだ。


「んんっ!?」


 突如口に侵入した異物に、リンディはふがふがと慌てる。


(ふん、さっきのうさぎみたいに不細工な顔だな)


 予想通りの反応に満足した夫は、咳き込む寸前で手を緩め、水筒を差し出してやる。リンディはそれをごくごく飲み干すと、はあと胸を押さえた。


 歯形のついた潰れたサンドイッチと、不細工な妻を交互に見つめながら、ルーファスは口を開く。


「お前……父上のこと、何か知っているのか?」

「な……にか?」

「いつもやたらと父上の身体を心配しているだろう。あの魔道具でも手紙でも。何か知っているのか?」

「いえ、あのっ、知らないけど、何も知らないけど……長生き……して欲しいから、です」


『長生き』という言葉に、やはり知っているのではないか? と、しどろもどろの妻を鋭く探る。だが、青い瞳の奥に浮かんでいるのは、ただ哀しみの色だけだった。


(もし何かを知っているのだとしても、そこにあるのは父を想いやる心だけだろう)


 ルーファスはサンドイッチをナプキンの上に置き、覚悟を決めたように、膝の上で手を握る。


「……セドラー家の血について、お前に話しておく。結婚する時に、初めて父上から聞かされた話だ。お前にはいつか、俺から話をしろと言われていたんだ」


 ルーファスの口から淡々と語られる『血の話』に、リンディは息を呑む。


 セドラー家のルビー色の瞳を受け継ぐ男子は、非常に短命で、多くが三~四十代で亡くなっていること。

 デュークも、子供の頃から死に備えて準備をしてきたこと。

 そして……長寿の証である黒髪の女性を妻に娶った結果、その両方を受け継いだルーファスが誕生したこと。


 一度目の人生では知らなかった、衝撃の事実だった。


「それじゃ……それじゃ、お義父様は……」

「ああ、もう44だ。いつその時が来てもおかしくない。セドラー家の宿命だからな」

「でも、お義父様はお医者様に診てもらっているわ。週に二回も健康診断を受けているんだから。大丈夫でしょ、ね?」

「……寿命には逆らえない。神の決めたことだ」



『いつ迎えが来てもおかしくない……私も、君だって。人の寿命は神のみぞ知る。そうだろう?』



(ああ……だからお義父様はあんなことを……)


 哀しみが胸に押し寄せ、飲み込こまれそうになるが、ふと、ルーファスの手が震えていることに気付く。


(旦那様……本当は怖くて仕方がないんだ。きっと私なんかより、ずっと、ずっと。

 一度目の人生では、お義兄様が震える私の手を握り続けてくれていた。今度は私が、旦那様を支えたい)


 リンディはルーファスの隣へ移動すると、震え続ける彼の手を握り、背中をとんとんと優しく叩いた。


「旦那様、大丈夫よ。私が一緒にいるから。可愛いうさぎもたくさん作ってあげるから。なんにも怖くないわ、ね?」


 いつもはツンと尖っている顔を、くしゃりと歪めながらルーファスは呟く。


「……不細工なのはいらない」

「うん! 今度はちゃんと可愛く切るから! 今日はごめんなさいね」


 ルーファスはふいと背を向けると、ごしごし目を擦り、妻の食べかけのサンドイッチに黙々と齧り付く。

 広いのに小さく見えるその背中を、リンディは優しいリズムで叩き続けた。


 自分の手では包みきれない、大きな夫の左手には、あと数粒しか砂の残っていないあの指輪が見える。


(ごめんね……旦那様。私もきっと、あともう少ししか一緒にいられない。あと何回、うさぎを作ってあげられるかな)


 反対に自分の左手には、同じ物とは思えないくらい、砂をたっぷりと抱えた指輪がある。


(短い残り時間を大切に使わなきゃ。うさぎ以外にもたくさん、旦那様の “ 楽 ” を……幸せを見つけてあげよう。旦那様の、長い残り時間のために)




 セドラー家の屋敷に着いた息子夫婦を出迎えるデュークは、結婚式の時とは別人のように痩せ細っている。頬がげっそりと痩け、ルーファスと同じルビー色の瞳が、恐ろしいほどに主張している。

 覚悟はしていたものの、その変化に、リンディは驚きを隠せなかった。


「リンディ、ルーファス。急に呼び出してすまなかったね」


(やっぱり、やっぱりお義父様は二度目も……)


 どんなに足掻いても、結局神の定めに逆らうことはできなかったのだと、 リンディはやるせなくなる。


 一度目の人生と同じ──

 悪性の癌で、デュークの余命はあと数ヵ月だと、そう告げられてしまった。




 少し休んだ後、リンディはデュークに『二人きりで話したい』と言われ、痩せた背を支えながらテラスへ出た。

 義父の儚い横顔を、黄昏の風に煽られた金髪が哀しく撫でる。


「リンディ、ずっと君に訊きたかったことがあるんだ。私と初めて王宮で出会った時、君は私のことを、亡くなったお父上に似ていると言って泣いてくれたね。でも、フローラ先生……君のお母様の話では、お父上は亡くなった訳ではないし、金髪だった以外は私と顔も全く似ていないと」


 リンディは王宮でデュークと再会した時のことを思い出し、あっ! と口を手で覆った。


「どうしてそんなことを言ったのか、教えてくれないか?」


 向けられた眼差しは、変わらず優しいのに遠く感じて……その命の終わりが近いことを示していた。

 天に向かおうとしている人に嘘などつけないし、つきたくないと、リンディの口から真実が溢れ出た。


「私……お義父様に会うのは、王宮で肖像画を描いたあの時が初めてじゃありません。本当は二度目だったんです」

「二度目?」

「はい。信じてもらえないかもしれないけれど……。私、19歳で一度死んで、今二度目の人生を送っているんです。一度目の人生では、私が6歳の時にお義父様とお母様が再婚して夫婦になりました。だから、お義父様は、私の本当のお義父様だったんです」


 デュークはしばらく目を丸くしていたものの、やがて何度も頷き、晴れやかな顔で義娘を見た。


「そうか……やっぱりそうだったのか。これでスッキリしたよ。何か……ずっと足りなかった人生パズルのピースが、君達母娘に会って完成した気がしていたんだ。そうか……そうだったのか……」


「信じて……くれるの?」


 リンディの顔はもう、涙で濡れている。


「もちろん。二度目に会った時に言ったじゃないか。君のような可愛い娘がいた気がするって」


 ひゅっと息を吸うと、リンディは父の胸へ飛び込む。涙やら鼻水でぐしゃぐしゃの顔を、痩せた温かい胸へ何度も擦りつけた。


「お義父様、お義父様……会いたかったの、ずっと」

「うん……私も君にずっと会いたかったよ」

「ごめんなさい……やっと会えたのに、何もできなくて。助けてあげられなくてごめんなさい……」


 うわあと泣き叫ぶ娘を、デュークはいつまでもあやし続けていた。

 この世の幸福を、全て集めたような笑顔で……



 やがて落ち着きを取り戻したリンディに、デュークは、彼女が19歳で命を落とした経緯を詳しく尋ねる。

 ある魔道具の力で、ルーファスと結婚するために、自ら死を選択して過去へ戻った。だけど魔道具の効力で、二度目の人生は長生きできる。効果が薄れてしまうため、これ以上詳しくは話せないと、だいぶ嘘をついた。

 若干目は泳いでいたものの、本当の部分もあるためそこまでは怪しまれず、何とか押し切った。心配する義父を納得させるのは大変だったが……自分にしてはなかなか上出来だったと、リンディは思う。


(この嘘はついても良かったわよね?)



 そして、話は再びデュークの身体のことへと戻る。リンディは、しばらく仕事を休み看病したいと言ったが、デュークはそれを断った。休日に会いに来てくれるのは構わないが、できるだけ自分たちの生活を優先して欲しいと。


「私はこれからフローラ嬢に愛の告白をして、恋人になってもらうんだ。元夫婦だったと聞いて、俄然勇気が湧いてきたからね。……残りの日々を、できるだけ二人きりで過ごしたいんだよ」


 今にも泣き出しそうな娘の頬をつまみながら、デュークはおどけた調子でそう言った。



 ◇◇◇


 王都へ戻り、二週間ほど経ったある日。

 三ヶ国会議の資料制作の褒美に、リンディら絵師は特別休暇を一日もらっていた。

 朝、通常通り出勤するルーファスを見送ってからというもの、リンディはずっと暇を持て余している。


(あともう少しで死んでしまうのに、暇だなんてもったいないわ。旦那様の幸せ……そうだ! 図書館でフルーツの新しい切り方でも調べよう!)


 そう思い立ち、ヨハネスとともに街へ繰り出した。

 図書館の前に着き、馬車から降りた時──


「奥様、クリステン卿の奥様」


 怪しい男が、分厚い唇からニヤリと金歯を覗かせ近付いてきた。


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