第78羽 誰が教えたんだ?
“ 楽 ”
(ああ、確かに楽にはなれる。悪夢は見ないし、闇の男も穏やかなのだから。だが、侍女が妻に言ったのは、別の意味での “ 楽 ” だろう)
「一緒に寝れば、旦那様は明日の朝のフルーツをスッキリとお召し上がりになれますよって。本当?」
ルーファスは額を押さえ、フラフラとその場にしゃがみ込む。
(父上は一体、どこであんな侍女を見つけて来たのだろう。猛獣の扱いから有能であることは間違いないが、ある意味有能すぎる。まだ結婚して二週間だと言うのに……気が回りすぎだ)
気付けば妻もしゃがみ、自分の顔を心配そうに覗いていた。
「旦那様、大丈夫? やっぱり、お腹が空いたまま寝るのはつらいのね。お夕飯を食べても、まだ私を食べたいの?」
意味がわからず疑問符ばかりが浮かぶルーファスをよそに、妻は一方的に話し続ける。
「この間は、旦那様には食べられたくないだなんて、酷いことを言ってしまってごめんなさい。だって、あの時の旦那様は目がギラギラで、歯がガチガチしていて、何だか恐かったの。だけどね、この間お祭りであの人たちにどこかへ連れて行かれそうになって……その時思ったの。この人たちに食べられるなら、旦那様に食べられておけば良かったって」
“ 旦那様に食べられておけば良かった ”
その言葉を聞いた瞬間、意思とは反対に、ルーファスの全身が熱くなる。顔には一気に血液が集まり、鼓膜までがドクドクと脈打っていた。そして、ある部分にも……
“ 反応 ” している自分に気付かれないよう、ルーファスは静かに立ち上がり、妻へ背中を向ける。
「でもね、骨になるのはやっぱり嫌だわ。皮膚もお肉もなかったら、転んだりぶつかった時に痛いでしょう? 服に隠れる部分で一番美味しそうなのはお尻なんだけど、お尻のお肉がなくなったら、痛くて座れないと思うの。あとね、指は大事だから絶対に止めてね。絵が描けなくなったら仕事にも影響してしまうし、何よりつらいわ。私、絵を描くことが大好きなの」
(……ん?)
熱が冷めた夫は、妻へ向き直る。
「だから見えない部分を少しだけ齧ってほしいの。あ、血は好きなだけ啜ってもいいわ。貧血にはなるかもしれないけれど、あさりやレバーをたくさん食べるから、大丈夫!」
(もしかして……こいつの言う『食べる』の意味は……)
「おい、ちょっとこっちに座れ」
ルーファスはリンディの手を引きソファーに座らせると、向かいにドカッと腰掛け腕を組む。
「今から、その『食べる』の意味を細かく説明しろ。誰が何を、どういう状態でどんなふうに食べるのか。お前が理解していることを全て話せ」
リンディは「はい!」と元気よく返事をすると、丁寧に話し出した。
「男の人は裸になると、狼になって女の人を食べてしまいます。死なないように、見えない部分の肉をガリガリと齧り、血を啜るの」
やはりそうかと、ルーファスは脱力する。
(誰だ……そんなバカなことを教えたヤツは)
「結婚すると、夫が妻を食べるんでしょう?『お前は俺の妻だ。好きにさせろ』って。だからね、旦那様も私を食べれば、お腹が一杯になって楽になれるのかなって。でも私、白いから不味いかもしれない。味見してみて、不味かったら途中で止めてね」
頭が痛くなり、指でこめかみを押すルーファスに向かい、猛獣が雄叫びを上げる。
「ああっ!! どっちも “ 寝る ” や “ 眠る ” じゃない!」
ルーファスの頭は、さらにガンガン揺れる。
「結婚すると、食べるために、夜裸になって一緒に “ 眠る ” でしょ? あと、性行為にも “ 寝る ” が関係するんでしょ? ということは、食べることと性行為は同じなんじゃない!?」
(大当たり!! ……なのか?)
「身体を食べると子どもができるの? でもそうしたら、生殖器はどうやって使うの? 反応って何? まさか! 生殖器を食べるのではないでしょう? だって食べてしまったら、兄弟が生まれなくなってしまうもの。……あっ! もしかして、我慢して何回かに分けて食べるの? 一人っ子のお家は、我慢できなくて全部食べてしまったの?」
(もうっ、もう限界だ……!!)
ルーファスはテーブルにバンと手を付き、リンディの瞳を覗き込む。
(こいつ、やはり夫をからかっているんじゃないか? 猛獣のペースに呑まれるな。恐れずに……真っ直ぐ瞳を見ろ)
勇気を出して覗いた青い瞳の奥は、ただ、ただただ空っぽだった。
ルーファスは脱力し、フラリとソファーに崩れる。いつの間にか傍に来ていた妻が、上目遣いで自分の手を握った。
「ねえ旦那様、私に本当のことを教えてください。もう大人なのに、何も知らなくて恥ずかしいの。色々考えたんだけど、今さら誰にも訊けなくて。プリシラさんにもヨハネスにも」
“ ヨハネス ”
今日妻の口からその名が出たのは何度目だろう。
何かがプツリと切れたルーファスは、妻の手を振り払うと、白い頬を両手で挟み込む。フグに似た間抜け面を嗤うと、潰れながらもツンと尖っている薔薇色の上唇を、ガブッと甘噛みした。
「ん~~~~!!!」
両手をバタバタさせ、暴れる猛獣……いや、白フグ。その頭を固定しながら、反応を楽しむようにガブガブと噛み続けた。
白から赤いフグになったところで歯を離すと、舌をベッと出し、「不味い」と言い捨てる。華奢な身体を担ぎ、部屋のドアまで歩くと、赤い耳に顔を近付け妖しい声で囁いた。
「いつか食べながら教えてやるよ。もう少しまともな味になったらな」
ドアを開けると、枕ごと妻をポイと廊下へ放り投げた。
リンディは枕を抱きながら、よろよろと自分の部屋へ戻る。
(一体、何が起こったの?)
じんじんする上唇に触れると、慌てて鏡の前へ飛んで行く。やや赤くなってはいるものの、千切れてもないし、穴も空いていないことにホッとした。
(私、舐めても齧っても不味いのね。食べられなくて済んだのに、何だか悲しいわ。一度目の人生で、お義兄様が私を美味しいと言ってくれたのは、やっぱり嘘だったんだ)
熱い唇を押さえながらベッドへ沈み込む。どうしたら自分は美味しくなるのかと考えながら、浅い眠りを繰り返し、気付けば朝を迎えていた。
翌朝、給仕が運んだ朝食を見て、ルーファスは顔を綻ばせた。ガラス皿の上には、苺の薔薇とハートに囲まれ、仲良く遊ぶ三羽のうさぎ。林檎だけでなく、くるんと耳の曲がった、キウイとオレンジのうさぎまでいる。
すぐにでも食べたいのを我慢し、しばらく待つが、妻はやって来ない。
(……何だ。今朝は一緒に食べてやってもいいと思っていたのに。夕べ噛んで脅かしたからか? ふん。猛獣も、やっと夫を恐れるようになったらしい。これを機に大人しくなるといいが)
静かな室内には、ソーサーにカップを置く音だけが響き、空虚感が広がる。
(ああ、こういう時にあれを使うのか?
契約書 “ 2 ” の補足、『寂しい時は食卓を……』)
そこまで考え、まさかと首を振る。フォークを取ると、苺のハートを刺し、そっと口に入れた。
朝食後、ルーファスは “ 反応 ” のコントロール法を調べるため、図書館へ出かけようとしていた。玄関へ向かい歩いていると、背後から甲高い鼻唄と軽快な足音が迫って来る。
長い足を止め振り返れば、地味な麦わら帽子に茶色の服を着た妻が、バスケットを下げ立っている。
「何だ。連れて行かないぞ」
するとリンディは、鼻唄の延長のような明るい調子で答えた。
「行きませんよ。私、アパートへ行くんです」
「アパート?」
「ええ! 絵を描きに。久しぶりに窓に会いたいの」
結婚前にリンディが住んでいたアパートは、あの窓と別れたくないという彼女の希望により、現在も契約したままになっている。家具も画材もそのままなので、いつでもアトリエとして使用できる状態だ。
「奥様、馬車の用意が整いました」
ヨハネスが呼び掛ける。
「ありがとう! じゃあ、旦那様もどこかへいってらっしゃいませ。またね」
適当な挨拶でさっさと外へ出ようとする妻の腕を掴み、ルーファスは自分の方へと引き寄せる。
「まさか、ヨハネスと一緒に行くんじゃないだろうな」
「行きますよ。だって私の護衛ですから」
今度はヨハネスを睨みながら問う。
「お前、風邪を引いているんじゃないのか」
「はい。軽い喉の痛みだけですので、奥様には移さないかと。護衛の任務にも一切支障はございません」
(ヨハネスと……アパート……二人で……ヨハネスと……)
「……行く」
きょとんと小首を傾げるリンディに、ルーファスはもう一度言った。
「俺も一緒に行ってやる。アパートに」




