表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/92

第75羽 消さないで

 

 先に帰っている。

 その言葉にリンディはショックを受け、哀しげに目を伏せた。帰ってしまったと思いつつも、心のどこかでは、自分を待ってくれている気がしていたのだろう。


『あちらでクリステン卿がお待ちですので』


(そっかあ……あれもさっきの人たちの嘘だったんだ。旦那様が私と一緒に来てくれて、馬車で待っててくれたことだけでもすごいのに。約束の時間を過ぎてしまったら、帰ってしまうのも当然だわ。きっと怒って……ううん、呆れているかもしれない)


 瞬きをすれば、一度は引っ込んだ涙が、またほろりと溢れる。ヨハネスはハンカチを取り出し、リンディの顔を丁寧に拭くと、優しく微笑んだ。


「リンディ、海を歩いて帰らないか?」

「海……」

「きっと潮風が気持ちいいよ」

「でも、早く帰って旦那様に謝らなくちゃ」

「どうせもう遅れているんだから、少しぐらい平気だよ。王都に戻ったらまた仕事で忙しくなるんだから、息抜きに……ね?」

「うん」


 ヨハネスに控えめな鼻をきゅっとつままれ、リンディはほんの少し和らいだ表情を浮かべた。


 支えられながらゆっくり立ち上がると、ドレスのスカートには、泥やら草やらがたくさん付いている。よく見れば、綺麗に編み込まれていた金髪も、あちこちほつれくるくると飛び出していた。


「……君は一体、どこを冒険してきたの?」

「あのね、木の陰とか、植込みの裏とか。あっ、草の中も潜ったわ。誰にも見つかっていないといいのだけれど」


 愛らしい花嫁の大冒険を想像し、ヨハネスはぷっと噴き出す。


「……おかえり、リンディ」


 心からそう言うと、華奢な手を取り、海へ向かい歩き出した。



 ヨハネスの言った通り、浜には心地好い潮風が吹いていた。凪いだ青い海を赤い夕陽が染め、水平線が紫色の光を放っている。


「綺麗だね、この時間に浜辺を歩くのは初めてかも」

「昔、一度目の人生でね、この浜にお義父様が東屋を建ててくださって。そこでよく、海の絵を描いていたの。確かこんな、夕陽の景色も描いた気がするわ」

「へえ……リンディの描く海は、きっと素晴らしかったんだろうな」

「人魚や空を飛ぶ魚も描いたわ。金色のクジラも」

「それは本物の海より楽しそうだな」

「あとね、あとね、ふわふわの甘~い生クリームの波も」

「生クリーム!? 最高じゃないか!お腹がいっぱいになるまで泳いでみたいな」


 夕陽に輝く瞳を交わし、二人は笑い合う。


(温かい……。彼女の隣は本当に温かい。ずっとこうして、手を繋いで歩いていられたらいいのに)


 ヨハネスのそんな願いは届かず、紫の光が灰色に変わるとともに、ある人物によって終わりを告げられた。




 あれからルーファスは、砂浜の草の上に座ったまま、ずっと動けないでいた。

 “ 誰か ” を手繰り寄せている内に、記憶の溝にすっぽり落ちてしまったのだ。


 さくさくと砂を踏む足音に混じり、甲高い声が耳を突く。その瞬間、ルーファスの心身は急に解き放たれた。

 立ち上がり、声の方へ視線を向ければ、手を繋ぎ笑い合う妻と護衛がいる。ルーファスは砂を激しく蹴散らし、そちらへ向かった。


「旦那様!」


 驚いた顔で自分を見上げる妻にも、自分が目の前にいるというのに妻の手を離さない護衛にも、怒りが込み上げる。ルーファスの口から出たのは、自分でも聞いたことがないほど、昏く冷淡な声だった。


「今まで何をしていた」

「あの……ごめんなさい。買い物をしていたら、迷子になってしまって」

「迷子? はっ、成人した大人が……頭は正気か」


 鋭い視線にリンディの身がすくむ。繋いでいる手を離し頭を下げようとするも、何故かヨハネスの手には力がこもり、そうさせてくれない。

 ルーファスは二人の手を射抜くように睨むと、冷たい言葉を放ち続ける。


「その手は何だ? 夫を待たせておきながら逢引きか」

「……安全のために繋いでおります。そもそも最初からこうしていれば、はぐれることはありませんでした。旦那様のご命令には背くかもしれませんが、今後私は奥様の身の安全を優先させていただきます」

「何?」


 一段と増す怒気にも、ヨハネスは全く怯まない。ルーファスにも負けぬ冷たい声で、言葉を放つ。


「奥様は先ほど、暴漢に拐われそうになっておりました」


 ルーファスの顔色が変わる。細い腕をさっと両手で掴み、リンディの乱れた頭から爪先までを見下ろした。それでもヨハネスは、リンディの手を離さずに、淡々と報告する。


「お怪我はありませんのでご安心を」

「……処理は」

「自警団にて、一時的に身柄を拘束しております」

「徹底的に痛めつけた後、辺境送りにして奴隷として働かせろ」

「かしこまりました」


(拘束……痛めつける……辺境送り……奴隷……)


 頭上を飛び交う物騒な言葉に、リンディは震える。一度目の人生で受けた拷問の痛みと恐怖が甦ったからだ。

 いつもの如く、突如発動する獣並みの腕力でヨハネスの手を振りほどき、両手でルーファスのベストを掴む。


「あのっ、大丈夫! 私、どこも怪我していないし、何も言われてないから! 痛めつけなくても大丈夫!」


 ルーファスは、ベストに食い込む指を器用にこじ開け、そのままリンディの両手を握った。


「公爵家の人間を、領地内で害そうとした奴を罰しない法が何処にある。本来は極刑とするところを、未遂だったことを考慮し、拷問と辺境送りで済ませてやるというのに」

「でも……痛いのは可哀想」


 その言葉にこれ以上ないほど顔をしかめたルーファスは、吐息とともに冷たい言葉を吐いた。


「誰のせいでこうなったと思っている。そいつらが痛い目に遭うことになったのも、元はといえば、勝手にはぐれたお前のせいだ」


(……そう。旦那様の言う通りだ。私の軽率な行動が、あの人たちの人生を壊した。一度目の人生では、何事もなくお祭りを楽しんで、幸せに暮らしていたかもしれないのに)


 あまりのショックに、リンディの全身から力が抜けていく。ルーファスがこうして手を握っていなければ、立っていられないほどだ。


「奥様、お気になさることはありません。あのような輩は、今回のことがなくても、いずれ別の悪事を働いたでしょう。むしろ捕えることができて良かったくらいです」

「余計な口を挟むな。たかが護衛の分際で」



 二人の間に広がる不穏な空気にも気付かず、リンディは遠い目で辺りを見る。空も、海も、浜も、すっかり濃い灰色になり、宵闇がじりじりと迫って来ていた。


(消さないで……大好きな海を、大切な想い出を。

 消さないで……)


 ヨハネスへと気が逸れたルーファスは、握っていたリンディの手を離した。さっきまでは心地好かった潮風が、はぐれた手を寂しく撫でる。

 リンディは苦しくなり、その手を鞄に入れると、ルーファスへ包みを差し出した。


「あのね、これ、旦那様へ。食べてほしくて買ったの。もう冷めてしまったけれど」


 しわくちゃの包みが、ルーファスの前で震えている。その向こうの妻の表情は、顔を伏せているためよく見えない。パッと受け取り、中身を見たルーファスは、呆れた口調で言った。


「お前、夫にこんな汚い物を食べろと言うのか」


(……汚い?)


 ルーファスの手からそれを取り返し、中身を見たリンディは愕然とする。

 冷めきった衣は油を滲ませながらぐしゃぐしゃに潰れ、その中からは、見るも無惨な白身魚とホワイトソースが飛び出していた。子どもの頃、まだ義兄妹だった頃、この浜辺で一緒に齧ったフライとは、似ても似つかない。


 とうとう完全に力の抜けたリンディは、砂の上に崩れ落ちた。


「……おい」


 呼び掛けにも答えず、ドレスを砂に埋めながらペタリと座り込んでいる。しゃがんで覗いた妻のその顔に、ルーファスの心臓がドクリと跳ねた。

 いつも笑っている口は真っすぐに閉じ、白い頬は強張り動かない。虚ろな瞳からは、ただ涙が流れては落ち、落ちては流れていく。


「おい!」


 肩を掴んで揺さぶると、やっと目が合う。するとリンディは、うーっと声を振り絞りながら、激しくしゃくり上げた。


 妻の泣き顔に、ルーファスは胸を押さえる。


(心臓が痛い。剣で串刺しにされたように痛い……)


 勝手に動いた身体は、動かないリンディを腕に抱き上げ、馬車へと歩き出していた。



 ◇


「先ほどお薬を飲まれ、今はご入浴されています」


 侍女プリシラの言葉に、ルーファスはホッと胸を撫で下ろす。

 ──あの後、馬車へ戻ったリンディは、急にうずくまり額に脂汗をかき始めた。医師に診せたところ、冷たい物の食べすぎと精神的なストレスだと言う。


(呆れるな。腹を壊しやすいのに、アイスクリームを一気に二個も食べるなんて)


 そう考え、ルーファスは首を捻る。


(……腹を壊しやすい? 妻の体質など興味がないのに、なぜこんなことを知っているのだろう)


「旦那様、今日は別のお部屋でお休みになられますか?」

「……いや、同じでいい」

「あの、それでしたら……」


 プリシラは遠慮がちに、それでもキッパリと言った。


「今夜は奥様をベッドで寝かせて差し上げてください。ソファではお身体が冷えてしまいますので」


 気付かれていたかと、ルーファスはやや、ばつが悪い顔で頷いた。



 風呂から上がったリンディは、部屋に入るなり、枕と布団を持ち、当たり前のようにソファへ向かおうとする。その手を掴むと、ルーファスは聞き取れないほど微かな声で呟いた。


「……ベッドでいい」

「え?」

「今夜はベッドで、一緒に寝ることを許可してやる」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
木山花名美の作品
新着更新順
総合ポイントの高い順
*バナー作成 コロン様
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ