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時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


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第74羽 迷子

 

(行方不明……アイツが?)


 問い質したいことはたくさんあるのに、激しい動悸が喉元まで込み上げ、うまく言葉にならない。


「パレードの人混みではぐれ、お姿が見えなくなりました。今、自警団が内密に捜索をしておりますが……」


 ヨハネスが言い終わらないうちに、ルーファスは馬車から飛び降りていた。


「旦那様!」



(足が、身体が勝手に動く。こんなに必死に走って、どこへ向かっているのかもわからない。

 兵や自警団に任せておけばいい。アイツは獣みたいに獰猛でしぶとい女だ。きっとあちこち飛び回った挙げ句、何ともなかったような間抜け面で戻って来るに違いないのだから。

 そう思うのに……なぜ自分はこんなに走っているのだろう)


 祭りで賑わう大通りを突っ切ると、白い波が揺らめく砂浜が現れた。さくさくと歩き、草が生い茂る場所へ立つと、ルーファスは辺りを見回す。


(前にここへ、誰かを迎えに来た気がする。一度だけでなく、何度も、何度も。……その “ 誰か ” は、一体どこへ行ってしまったのだろう)


 走り続けたルーファスの足は、急に力が抜け、ふらりと草の上へ座り込む。拳を開けば、無意識に掴んでいたらしい砂が、さらさらと潮風に乗って流れて行った。




 その頃リンディは、走り続ける子供たちをひたすら追っていた。人混みを抜け、路地を抜け、民家の間を抜けて行くが、雑木林に入った所でその姿を見失ってしまった。


(あともう少しだったのに。あともう少しで、あの頃の……義兄妹だった私たちに会えたのに)


 泣きそうになっていると、瑞々しいハルニレの木の向こうから甲高い笑い声がした。堪らず駆け寄れば、そこには一軒の小さな民家があり、玄関で子どもたちが笑い合っている。


「ほら! 手を繋げばお兄ちゃんと同じ速さじゃない!」

「僕が手加減してやったんだよ! お前の足なんて亀と同じだ」

「ひっど~い! 母さんに言いつけるから。ああ、喉渇いたあ」


 そこに居たのは、リンディとルーファスとは似ても似つかない子どもたちだった。よく似た焦げ茶の髪と円らな黒い目を合わせて笑う二人は、きっと血の繋がりがある本物の兄妹なのだろう。


「家に何か用ですか?」


 立ち尽くすリンディに気付き、男の子が問う。


「いえ……何でもないの。ごめんなさい、ちょっと道に迷ってしまって……ごめんね!」


 リンディは慌てて雑木林を抜け、元の道へ出た。大通りへ帰らなきゃと足を踏み出しかけ、はて、どちらへ? と動きを止める。その場でくるくる回ってみるが、どの方角にも見知らぬ景色が広がっていた。


(あれ……ここは……どこ? 落ち着いて。私は変だけど、記憶力はまともなんだから。来た道をただ思い出せばいいの)


 目を瞑り、記憶のページを捲るが、目印どころか風景の一部すら思い出せない。


(そっかあ。私、あの子たちの背中ばかり見ていたから、他は何も覚えていないんだわ)


 一度目の人生で、5歳から12歳まで過ごした地とは言え、徒歩では屋敷から海までの、大通りと裏通りの移動しかしたことがない。(魔道具店タクトもこの途中にある)

 二度目の人生でも、屋敷、海、魔道具店タクトに加え、大通りにある母の教室と貸馬車屋を訪れただけだ。

 ──つまり、今豊漁祭が行われている大通り以外、リンディにはほとんど土地勘がないのだ。


 誰かに道を訊こうか、そう考えリンディはハッとする。


(ダメ。私はもうクリステン卿の妻で、セドラー家の人間なのよ。護衛も連れずに迷子になって、領民に道を訊いたなんて知れ渡ったら……頭のおかしい花嫁だって、お義父様やお義兄様が笑われてしまう。

 どうしよう。きっと今頃、ヨハン兄様が心配しているわ。約束の一時間も過ぎているでしょうし、お義兄様はもう帰ってしまったかしら。

 いくら走ったとは言え、子どもの足で移動出来る範囲よ。それほど大通りからは離れていないはずだけど……離れてないといいけれど……)


 焦りながらうろうろするリンディの耳に、どこからか笑い声が聞こえてくる。咄嗟に木の陰に隠れ、チラリと顔を覗かせれば、屋台の食べ物や品物を持って歩く、人々の姿があった。


(お祭りから帰る人だわ! じゃあ、この人たちと逆の方向に進めば、大通りに戻れる?)


 リンディの視界が明るく開けてきた。



 誰にも見つからないように、木に身を潜め、時には匍匐前進で、間者の如く慎重に移動する。そのうち徐々に人が増え、音楽も聞こえてきた。


(よかった! やっぱりこっちで合っていたみたい!)


 ほっと胸を撫で下ろしたその時、何かが肩にポンと触れる。恐る恐る振り向くと、そこには見知らぬ男が二人立っていた。


「どうかしたのかい?」

「いえ……いえ、あの、少し気分が悪くて。休んでいるんです」

「おや? もしかして貴女は、クリステン卿の奥様ではいらっしゃいませんか?」

「……いえっ! いえ! 違います! よく似ていると言われますが……ほら、ご覧の通り、護衛も連れていませんし、ねっ」


 こんな祭りにはそぐわない、高価な装飾品とドレスに身を包み、必死に否定する若い女。男たちは顔を合わせ、ニヤリと笑った。


「護衛の方とはぐれてしまったのでしょう? あちらでクリステン卿がお待ちですので、私共がお送りしますよ」

「おにっ、旦那様が待ってくれているの!?」


 思わず叫んでしまったリンディに、男たちは一層ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。それを目にした瞬間、リンディの全身に悪寒が走り、毛穴という毛穴がぶわっと開いた。

 彼女の野生の勘が働く。絶対に彼らに付いていってはいけないと。


「大丈夫です! 本当にただ休んでいるだけですから! もうすぐ護衛が迎えに来ますから!」


 ひきつった顔でふるふる首を振るも、それは逆効果だったらしい。一人には腕を、一人には腰をガシリと掴まれ、身動きが取れなくなる。


「どうぞご安心を、奥様」


(絶対安心じゃないってば!! 私食べられちゃう? 殺されちゃう? どうしよう、どうしよう……思いきり叫んでみる? 思いきりふりほどいて、走って逃げる? でもそんなことしたら、頭のおかしい花嫁だってバレちゃう……せっかくここまで、誰にも見つからないで戻って来たのに。

 そうだ、あれ! あれをあげたら見逃してくれないかしら。私の買ったのが最後の一個だったんだもの。もしまだ食べていないのなら、この人たちも絶対欲しいはずよ)


 リンディは鞄に手を入れ、“ あれ ” の包みを掴む。


(でも嫌、やっぱり嫌! これはお義兄様のために買ったんだから。どうしてもお義兄様にあげたい!)


 頭が混乱する中、いつの間にか口も塞がれていた。


(お義兄様……ああ……こんなことならお義兄様に食べられて骨になった方がよかった。でも、白くて不味そうだから、きっと食べてくれないの……)


 涙で滲む視界の隅に、キラリと光る物が見えた。


「不潔な手を離せ」


 腕と呼吸いきがふっと楽になったリンディは、さっきまで自分の口を押さえていた毛むくじゃらの手が、宙で小刻みに震えているのに気づく。自由になった顔を横に向ければ、鋭利な切っ先が男の首を捕らえていた。長い足がもう一人の男を蹴り上げ、同時に腰の不快感も消える。

 そこからは一瞬だった。殴り、捻り上げ……男たちは一人の男により忽ち拘束され、自警団に突き出された。それはリンディが息を吸って吐くまでの、僅か数秒の出来事だったと感じるほどに。


「リンディ! 大丈夫か? 怪我はないか?」


 いつもは穏やかな緑色の瞳が、恐怖に見開いている。


「ヨハン兄様……!」


 ヨハネスの優しい手が、リンディの腰、腕、口元と、男に掴まれていた所に優しく触れていく。傷や痛みがなさそうなことに安堵すると、ヨハネスは震える身体を掻き抱いた。


「よかった……よかった、リンディ……よかった」


 一体どれだけ心配してくれたのだろう。弱々しいヨハネスの声に、青い双眸からどっと涙が溢れる。


「ごめん……ごめんなさい、ヨハン兄様。あのね、子どもの頃の私とお義兄様がいたの。会いたくて、会いたくて夢中で追いかけていたの。でもね、よく見たら、私とお義兄様じゃなくて、全然別の兄妹で……周りを見たらどこかわからなくなっていて。私、私……やっぱり変でおかしいの。自分で時を戻したくせに、あの頃のお義兄様に会いたいって……あの頃に戻りたいって。お祭りを歩きながら、そんなふうにばかり考えていたの。そのせいでごめんなさい……ごめ」


 ヨハネスはリンディを強く抱き締め、薔薇色の唇に自分の耳を近付ける。高い声、温かい吐息……くすぐったい彼女の存在を、夢中で確かめていた。


「いいんだよ。無事に戻って来てくれたなら……それでいいんだよ」


 リンディは声を押し殺しながら、ヨハネスの胸でひとしきり泣いた。



 背中を撫でられ、やっと落ち着いてきたリンディは、涙と鼻水まみれの顔を上げ尋ねた。


「ねえ……お義兄様は? どうしよう! きっと待ちくたびれているわ!」


 今にも駆け出そうとするリンディの手を掴み、ヨハネスは低い声で言った。


「旦那様なら、どこかへ行ってしまったよ。もう先に帰っているかもしれない」



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