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時を戻した白鳥は、カラスの愛を望まない  作者: 木山花名美


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第73羽 時空の狭間へ

 

 バタバタと始まったリンディとルーファスの新婚生活は、砂糖のひとかけらほどの甘さもなかった。

 貴族であれば通常、数日訪問客を迎え入れた後、ひと月から数ヶ月かけて新婚旅行を楽しむが、自国主催の三ヶ国会議を控えている今、大臣補佐と宮廷絵師の二人にそんな余裕はない。

 式の前日から数え、五日間セドラー家に滞在した後は、すぐに王都へ戻り仕事に勤しむ予定だ。


 それでもセドラー家の屋敷で過ごす間は、夫婦共に食事をし、同じ寝室で過ごした。初夜と同じく、ベッドとソファーに分かれて寝るスタイルは貫いていたが、就寝前に手を握る儀式も続いている。



 全ての滞在客を見送り、訪問客も落ち着いてきた結婚四日目の昼、デュークとフローラ、若夫婦の四人は、和やかに食卓を囲んでいた。


「明日は王都へ帰ってしまうのか……賑やかだった屋敷も、一気に寂しくなるな」


 眉を下げるデュークに、リンディは明るく笑う。


「コップで沢山お喋りしましょう! 楽しみにしていますね」

「ああ、そうだな」


 フローラも娘とそっくりの明るい笑顔を浮かべる。


「私も美味しい物と楽しいお話を持って、遊びに伺いますわ。寂しいなんて仰る暇がないくらい沢山ね。何せもう親戚なんですから、遠慮はしませんよ」

「それは嬉しいが……先生のお蔭で、私は5キロも太ってしまったんだ。ほどほどに頼みますよ」

「あら」


 笑い合う三人を横目に、ルーファスは黙々とフォークを運ぶ。この賑やかな食卓にも大分慣れ、気にせず自分の食事に集中出来るようになっていた。


 実は彼も、3キロ体重が増えていた。元々食が細く痩せ気味なので、丁度良い位ではあったが。


(いつかこの母娘おやこのせいで、父子おやこ揃って豚のように肥えてしまうかもしれない)


 想像したルーファスは首を振ると、三個目のパンへ伸ばしかけていた手を下げた。


「今日は豊漁祭で道が混むから。帰る予定を明日にして正解だったな」


 デュークの言葉に、リンディはパッと顔を輝かせた。


「豊漁祭! そっかあ……この時期だったな」

「そういえばあなた、昔タクトと一緒に行ったわよね。それきり?」

「うん」


 “ タクト ”

 何故か聞き覚えのある男の名に、ルーファスの眉が上がる。


「そうか、来てくれたことがあるのか」

「はい! 子供の頃、幼なじみと。海の美味しい食べ物や、綺麗な物が沢山あって、とても楽しかったです」

「それは嬉しいな。豊漁祭は、私の曾祖父が領民達と共に考えた祭りなんだ。豊かな海と自然に恵まれた、この素晴らしい地を讃え感謝したいとね。まあ難しいことは考えず、領民はもちろん、地方の客にも楽しんでもらえたら何よりだ。今はパレードもあるし、昔よりもっと華やかになっているよ」

「……パレード!?」


 リンディは今にも飛び跳ねそうだ。


「そうだ、今日はもう来客もないだろうし、ルーファスと二人で祭りに行ってきたらどうだ?」

「……行きたい!!」


 興奮するあまり、とうとう肘をグラスにぶつけ倒してしまった。ひゃあと慌てるも、中身が水で幸い。ドレスも染みにならず、給仕達により手早く片付けられた。

 ルーファスはその一連の騒動を見ながら、盛大に眉をしかめている。


(豊漁祭? あんな人混みに、こんな猛獣と行くなんて……冗談じゃない)


「私は行きません。疲れていますし、人混みは苦手です」

「……そっかあ」


 しゅんとするリンディを見て、デュークはやや厳しい口調で息子へ言う。


「ルーファス、少しでいいから一緒に行ってあげなさい。新婚旅行もないのだから、その位いいだろう」

「……分かりました」


 家長の命には逆らえない。ルーファスは仏頂面で、三個目のパンへと手を伸ばした。



 ◇


 豊漁祭が行われている大通りへとやって来た、セドラー家の馬車。もうじきパレードが始まるとあって、道は非常に混雑していた。

 離れた広場へ何とか停めた馬車から、リンディはぴょんと勢いよく飛び出す。だが、ルーファスは座席に深く腰を下ろしたまま、一向に動こうとしない。


「旦那様! 着きましたよ!」


 車内を覗き呼びかける妻へ、夫は冷たく言い放った。


「俺は降りない。()()()()()()()()んだから、それで満足だろ」


 ぽかんと口を開ける妻を無視し、鞄から取り出した本を開く。


「……本当に行かないの?」

「人混みは苦手だと言っただろう。待っていてやるだけ有難いと思え。……一時間以内に戻らなければ、置いていく」

「……そっかあ。ごめんなさい、旦那様。パレードを見たらすぐに戻ります。お土産も買って来ますね」

「いいから、早く行け」


 しっしっと追い払われ、リンディは大人しく顔を引っ込めた。

 ふと見た窓の外には、遠ざかっていく妻と護衛の背中。何かがもやりとするも、ルーファスは再び本へ視線を落とし、文字に集中した。




 数年ぶりに来た豊漁祭は、デュークの言う通り、以前にも増して活気に満ちている。

 わあっと駆け出しそうになるリンディの前へ、ヨハネスはさっと立ち塞がった。


「混雑しておりますので危険です。どうか私の傍を離れませんように」


 はい!と笑顔で頷く主は、今日も堪らなく愛らしい。白い肌が映える紺地に、柔らかいクリーム色のレースがあしらわれたドレス。編み込まれたアップスタイルの金髪も、青い瞳も、全てがキラキラと輝いている。


(本当は、手を繋いで一緒に歩きたい。歩けたら……どんなに幸せだろうか)



 公爵家の花嫁に気付いた領民から、次々と祝いの言葉をかけられる。「おめでとう」と野花を差し出す子供の相手までしているものだから、なかなか先へ進めない。やっとのことで近くの屋台に寄ると、リンディは塩アイスを一つヨハネスへ差し出した。


「はい! ヨハン兄様もどうぞ。少ししょっぱいけど、暑い時に食べると、とても美味しいのよ」


「任務中ですので」と断るヨハネスに、リンディは寂しげに俯く。貝殻の上で溶け出すアイスを匙で掬うと、二つ分を急いで胃に収めた。


 食べ終わり、また少し歩くと、通りを挟んだ向かい側に何かを見つけたリンディ。あっと叫ぶと、一目散に駆け出した。

 不意を突かれたヨハネスは慌てて跡を追おうとするも、ロープを持った警備員により行く手を阻まれてしまう。


「間もなくパレードが始まりますので、横断は出来ません。通りの入口から迂回してください」


(しまった……)

 パレードを観ようと押し寄せる人だかりに、小柄な主の姿は忽ち見えなくなっていく。


「奥様! お迎えに行きますから、そちらに居てくださいね! 動かないでください!」


 果たして聞こえているのかどうか。ヨハネスは急ぎ入口まで向かおうとするも、なかなか進めず、人混みを必死に掻き分けた。


(これは……ルーファス様を護衛していた時よりも、俊敏な反射神経が必要だな)



 屋台で目的の物を買ったリンディは、後ろを振り向いてやっと、ヨハネスの姿がないことに気付く。ピョンピョン飛び跳ねてみるが、沿道の人だかりで何も見えない。


(どうしよう……はぐれてしまったわ)


 どのみち身動きが取れないし、此処でパレードが終わるのを待っていた方が良いかと考えていた時だった。


「おにいさま!」


 甲高い子供の声が、リンディの鼓膜を刺激する。はっとそちらを向けば、金髪の女の子と、背の高い黒髪の男の子の後ろ姿があった。しっかりと手を繋ぎ、人混みの中をスルスルと走り抜けていく。


(あれは……私とお義兄様? 一度目の人生で、初めて豊漁祭に来た時の。時空の狭間に迷い込んでしまったのかしら……)


 エキゾチックなパレードの音楽と相まって、リンディの胸が熱くなる。懐かしいあの日へふわりと羽ばたき、子供達の背中へと飛んでいった。



 入口で迂回したヨハネスは、やっとのことで向かい側へ辿り着いたものの、既にリンディの姿はなかった。


「奥様! 奥様!」


 頭一つ分抜き出た身長を利用し、辺りを見渡すが、主らしき姿はどこにもない。大変なことになってしまったと、背筋を冷たいものが走る。


 結婚式の翌日から昨日まで、セドラー家の屋敷の庭園は毎日解放されており、大勢の領民が祝いに訪れていた。直に領民と触れ合った訳ではないが、バルコニーから何度も手を振った為、リンディがクリステン卿の花嫁だと知っている者は多い。先程の領民達の様子からしてもそうだ。


(もし身代金目当てに、誘拐を企む者が居たら……警戒心がなく素直な彼女のこと。簡単に付いて行ってしまうだろう。……良くも悪くも、彼女は目立つ)


 ヨハネスは腰のつかを握ると、大股で駆け出した。




 ──パサリ

  何かが滑り落ちる音に、ルーファスは目を覚ます。


(……寝てしまったのか)


 床に落ちた本を拾い上げ、埃を払うと、固まった身体を伸ばす。


(アイツと一緒になってから、食欲が増し、よく眠れるようになった。……獣の傍にいると、人間の本能が呼び起こされるのだろうか)


 今何時だと懐中時計を見れば、約束の一時間を大幅に過ぎている。


(アイツ……すぐに戻ると言ったくせに。本当に置いて帰ってやろうか)


 苛立たしげに時計の蓋を閉じた時だった。何者かが馬車に駆け寄り、荒々しく扉を叩く。窓を見れば、それは青い顔で息を切らすヨハネスだった。尋常ではないその様子に、ルーファスは急ぎ扉を開ける。


「どうした」


 周りを見るも、小さな白い妻は何処にも居ない。


「……アイツは?」


 その一言で、主が馬車に戻っていないことを察したヨハネスは、一層青い顔で答えた。


「奥様が……奥様が行方不明です」


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