第72羽 白いと不味いの?
「私の護衛? ヨハン兄様が?」
兄という響きに、ルーファスの眉がまたピクリと上がる。
「そうだ」
「旦那様の護衛なのに?」
「お前と結婚したんだから、もう男好きの演技をする必要もないだろう。それに、お前付きにしろと命じたのは父上だ」
「お義父様が……」
(私のことを想って、兄と慕う大好きな彼を護衛にしてくださったんだわ)
デュークの優しさに、リンディの胸が温かくなる。自然と浮かんでいた妻のその微笑みに、ルーファスは得体の知れない不快感を覚えた。
「……今日からお前はヨハネスの主だ。兄などと馴れ馴れしい態度は一切止めろ」
「休憩中とか、お休みの日もダメ? ヨハン兄様は年上だし、やっぱり私のお兄様な」
ガン!!
話を遮るように、空のグラスが乱暴に突き出される。
「注げ」
リンディは満面の笑みで、ピッチャーから水を注ぐ。早く飲んでもう一度お代わりしてくれないかなあと、美しい喉仏を見ている内に、さっきまでの会話はすっかり何処かへ消え失せてしまった。
昼食後、親と滞在客への挨拶を一通り終え、休んでいた新婚夫婦の元へ、制服姿のヨハネスがやって来た。
「失礼致します。本日より奥様の護衛の任に就くことになりましたヨハネス・ウェンです。よろしくお願い致します」
リンディは立ち上がると、床に片膝を突き目を伏せる彼の元へ近付く。自分もしゃがみ同じ目線になると、ヨハネスの頬に両手を添えて、そっと上を向かせた。
さらりと流れるミルクティー色の髪の毛。優しい緑色の切れ長の瞳……
「よかった! やっぱり本物のヨハン兄様だわ! 知らない人かと思って……心配になってしまったの」
ヨハネスは想いを悟られぬように、潤んだ瞳をふいと逸らす。
(こうして笑うリンディは、昨日までと何も変わらないのに。正式な主従関係が結ばれた今日からは、自分の意思で彼女に向かうことは出来ない。頬を包む華奢な手に触れることも、兄様だよと安心させてやることも……)
二人の様子を見ていたルーファスは、おもむろに立ち上がり、リンディの首根っこを掴んでヨハネスから引き離した。
「……さっき言ったことをもう忘れたのか」
冷たい夫の声にリンディはハッとし、改めてヨハネスへ向かった。
「お願いね。ヨハ……ネス」
新しい主に忠誠を誓う為、ヨハネスは体勢を整え再度堅い礼をする。頬に残る、柔らかな温もりから逃れるように……
「失礼致します。お客様がいらっしゃる前に、奥様のお支度を整えさせていただきたいのですが」
侍女に声を掛けられる。
この後、式には招待しなかった貴族らが屋敷へ祝いに訪れる予定だ。領民達にも庭園を解放し、酒や食事が盛大に振る舞われる。
わざわざ小規模な式にしたのに面倒なことだとルーファスは思うが、これが公爵家として不名誉な噂を立てられることのない、最低限のもてなしだった。
「じゃあまた後でね! 旦那様、ヨハン兄様」
ぶんぶんと手を振り、侍女と部屋を出ていくリンディに、ルーファスはため息を吐いた。
──騒がしい猛獣が出て行き、しんと静まる室内。
ルーファスは、片膝を床に突いたままのヨハネスへ、立てと命じた。
背筋を伸ばし、元主の前へ立つ護衛。ルーファスは再び椅子に腰掛け足を組むと、ヨハネスの繊細な顔をじっと見据える。しばらく探り続けるも……そこには何の感情も見られない。さすがだなと、冷たい笑みを浮かべながら口を開いた。
「……あいつはもう、お前の “ 妹 ” ではない。そもそも何の血の繋がりもないのに、兄だの妹だのと言うこと自体馬鹿げているが」
全く動じないヨハネスに、ルーファスの声音は一層鋭さを増す。
「これまでのことは全部見逃してやる。あの汚い密室で、お前とあいつが情を交わしていたとしても」
(情を……交わす?)
元主のとんでもない誤解に黙っていることなど出来ず、ヨハネスは目を剥き反論する。
「私と奥様はそのような関係ではございません!」
「身体は重ねていないと……では心は? あいつを一度も女として見たことがないと、純粋に妹として接していたと、胸を張って言えるのか?」
「……はい。奥様は、血の繋がりはなくとも、私の大切な妹です。それ以上の邪な気持ちなど一切ございません」
そう答えるヨハネスのこめかみが、小刻みに震えているのをルーファスは見逃さない。
「あいつはもうセドラー家の人間で……夫である俺の物だ。法的にも……肉体的にも」
その言葉に、ヨハネスの顔色がサッと変わる。
「……何だ。意外そうな顔をしているな。俺がアイツを抱かないとでも思ったか。まあ、あんな猛獣みたいな女でも、目を瞑って強引に組み敷けば訳無かった」
クッと笑う自分を、鋭く睨みつける緑色の目を見て確信する。
(……やはりそうか)
黒いものが沸き上がったルーファスは、椅子を倒す勢いで立ち上がる。つかつかとヨハネスへ詰め寄ると、その胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「お前も知っているだろうが……姦通罪はおぞましい重罪だ。もし俺を裏切ることがあれば、大切な “ 妹 ” をこの手で処分してやる。……お前の目の前でな」
緑色の目が恐怖を孕んだのに満足すると、ルーファスは掴んでいた胸ぐらを振り払う。
「アイツを護り、監視する。お前の仕事はそれだけだ。アイツに話し掛けることも、感情を出すことも、今後は一切許さない」
千切れたヨハネスの制服のボタンは、自由を求めてころころと床を転がるが、椅子の脚にぶつかり呆気なく倒れた。
主がとりとめのないお喋りに夢中になっている間に、侍女は金髪を手早くハーフアップにし、ピンク色の薔薇と真珠の髪飾りを迷いなく挿していく。
昨日からリンディ付きの侍女となったこのプリシラと言う女性は、デュークが雇っただけあり、二十代半ばとまだ若いが非常に優秀だった。ベビーシッターとペットシッターの経験もある為、自由奔放な主人の扱いもお手の物。
長時間身に着けていても苦にならず、かつドレスが綺麗に見える絶妙な強さでコルセットを締め、鏡の前でくるりと回してやる。キャッキャとご機嫌な内にピンク色のドレスを被せ整えれば、愛らしい結婚二日目の花嫁が完成した。
「このドレス、すごく可愛い!」
「はい、お胸元から裾まで、薔薇が沢山咲いていますね」
「薔薇は木に咲くけど、これはまるで薔薇の畑に見えるわ。夢みたいなドレスね」
うっとりと手を広げる主人に、プリシラはうんうんと頷き微笑む。
「奥様はお肌のお色が真っ白なので、このような淡いピンクもよくお似合いですね。本当に素敵です」
(真っ白……)
リンディはピタリと動きを止める。舞い踊っていた手をスカートに下ろすと、悲痛な顔でプリシラへ問うた。
「プリシラさん……白いと不味いの?」
……奥様は何のことを仰っているだろうと、プリシラは考える。これから彼女に仕えるなら、このような突飛な会話にも、冷静に対処していかなければならない。とりあえず不味いといえば……
「食べ物ですか?」
「ううん、私」
「……奥様?」
「ええ。おに……旦那様にね、夕べ、お前は白すぎて不味そうだって言われてしまったの」
知識、経験……プリシラが身に付けてきたあらゆるものが、目まぐるしく動き、答えを弾き出そうとしていた。だが……この新しい主の情報が、まだ少なすぎる。超難問……故に回答不能である。
「それで……どうされたんですか?」
まずは情報収集だ。
「食べないで寝てしまったわ。前にね、少し味見されたことはあるんだけど、その時は甘くて少ししょっぱいけど美味しいって言ってくれたの。でも、本当は不味かったのに、優しい嘘を吐いてくれたのかなって」
「……はあ」
「不味そうって言われて、とてもショックだったけど……私も “ 旦那様 ” には食べられたくないだなんて、酷いことを言ってしまったから。だってね、何だか恐いんだもの。あの綺麗で狂暴そうな歯でガリガリ齧られたら、私きっと一晩で骨になってしまうわ。血を啜るだけならいいのだけど……骨になったら、こんな綺麗なドレスだって着られないし、絵筆だって持てないかも」
(……ダメだ。情報を収集すればするほど解らなくなる。ここはシンプルに考えよう。奥様の話は、九割が無駄話なのだから)
優秀なプリシラは、余分な情報を削ぎ落としていく。
『お前は白すぎて不味そう』
『食べないで寝てしまった』
『旦那様には食べられたくない』
点と線が繋がった。何の痕跡もないのに、わざと乱されていたベッドもこれで合点がいく。
……と同時に、若い夫婦の今後が危ぶまれた。セドラー家に立派な跡継ぎをもうけさせることは、侍女である自分の務めであるからだ。
(旦那様は色黒がお好みなのかしら。では奥様を少し日焼けさせてみる? それともメイクを暗くするか……前途多難だわ)
プリシラの悩める日々が始まった。
「旦那様!」
先に支度を終え、別室で待っていた夫の元へリンディが駆け寄る。
ピンクの薔薇を全身に飾り付けた妻は、やはり白くて強烈だと、ルーファスは目を逸らした。
「うわあ! 旦那様、今日の礼服も凄く素敵!このクラヴァット、旦那様の瞳と同じルビー色ですね。無地もいいけど、今度これに刺繍してみたいなあ。ねえ、金糸と銀糸、どちらがお好き?」
「……契約書の “ 1 ” 」
「ああ、“ 有事の際以外、夫に話し掛けてはならない ” でしょ? でもまだサインしていないわ。ゆっくり読むから、もう少し待っててね」
「今日中に寄越せ! 必ず!」
「無理よ。だって昼間は忙しいし夜はねむ」
「うるさい!」
ぎゃあぎゃあ言い争いながらも、妻の手を取り引きずっていく夫。
そんな二人の背中を、一人の護衛が張り裂けそうな胸で追いかけていた。




