第67羽 瞳の奥を
前にもこんなことがあった、落ち着けと、ルーファスは首を振る。
目を凝らしてもう一度見れば、それは夢の中の男ではなく、またしても自分の護衛だった。
(何故だろう……何故いつも、夢の男とヨハネスが重なるのだろう。分からない……この張り裂けるような、胸の苦しさが何なのかも)
花と光の中で寄り添う二人から目を逸らす。
(眩し過ぎる……やはり自分に、光は眩し過ぎる……)
ルーファスは、その場にズルズルと崩れ落ちた。千切れそうなほど強く、カーテンを握り締めながら。
光から逃れたい──
その一心で、ルーファスは一人、屋敷を飛び出し王都へ帰った。薄暗いアパートに辿り着くと、ベッドへ潜り闇を待つ。
だが……いつまで経っても闇は現れない。強烈な光の残像に苦しみながら、何度も寝返りを打った。
◇◇◇
「ルーファス、今日の夕飯は何を食べたんだ?」
「……バナナを食べました」
「今日も果物だけか。それで満腹になるのか?」
「寝るだけなので充分かと」
「そうか……私はな、フローラ先生から頂いた新鮮な海老を……」
あれから二ヶ月。
今夜もコップの向こうからは、父親の声が聞こえてくる。初めは遠慮がちだったそれは、いつしか週一から週二になり、二日に一回になり……今では毎日だ。
使えないようコップを伏せてしまえば済むことだが、話をすると約束してしまった手前、それは躊躇われる。デュークとルーファスは親子であるだけでなく、一国の宰相と大臣補佐という絶対的な上下関係にあるからだ。
それに、会話のほとんどが食事の内容など他愛ないもので、数分話せば満足するのか、サッと向こうから切り上げる。その為、さほど苦にはならなかった。
今夜も全く興味のない、互いの夕食の話が終わる。いつもなら『じゃあ、おやすみ』と告げられるのに、今夜は沈黙が続くだけで、なかなかその一言がもらえない。ジリジリしていると、コップの中から深みのある声が聞こえてきた。
「この間……リンディにこの魔道具をもらった時。お前は、こんな怪しい物で他人と繋がるなと言ったな。私はあの時、本当は嬉しかったんだ」
「嬉しい?」
「ああ。お前が私のことを心配してくれた。そのことが嬉しかったんだよ」
その言葉に、ルーファスはむず痒いような、申し訳ないような、なんとも言えない気持ちになる。
(別に父を心配した訳ではない。ただあの女が怪しかったから……セドラー家に害が及べば、自分が危うくなると思ったから……それだけだ)
「ルーファス。将来宰相の地位を目指すかはお前次第だが、一大臣としても、人を見る目を養うのは大切なことだ」
「……はい」
父が何を言わんとしているのか……次の言葉で、ルーファスは理解した。
「あの娘は良い娘だよ。そうでなければ、初対面の母親まで屋敷に招いたりはしない」
押し黙る息子に、デュークはふっと笑う。
「私はこう見えて非常に警戒心が強いんだ。自分のテリトリーに、怪しい他人をむやみやたらに入れたりはしない」
「……数回しか会っていないのに、何故怪しくないと分かるのですか。手紙なんて、幾らだって取り繕えるでしょう?」
「瞳を見れば、その人間の本質が分かるよ。上辺だけでなく、奥を見れば。……いいか、ルーファス、恐れずに真っ直ぐ奥を見るんだ。人の上に立つ者には、その勇気と器量が必要だ」
(恐れずに……真っ直ぐ……)
コップを持つルーファスの手が、カタカタと震え出す。
(父は自分の本質を見抜いている……臆病な自分の本質を。……分かっている。このままでは、セドラー家の当主にも、領地と領民を治める公爵にも、そして宰相どころか大臣だって務まらないことを……)
コップの向こうでは、デュークの手もカタカタと震えていた。
(息子に向き合わなければいけない。恐れずに……真っ直ぐ。自分が死んだ後、息子を守れる者は誰も居ないのだから。折角リンディが、こんなに素晴らしい魔道具をくれたのだ。逃げてはならない)
デュークは胸に手を当て、すうと息を吸い込む。
勇気を振り絞り、ずっと考えていたことを口にした。
「ルーファス……リンディ嬢と……」
◇
(──あっ! お義父様からだわ!)
アパートのポストには、一週間ぶりにデュークからの手紙が入っていた。階段を器用に飛び跳ね部屋に入ると、鞄を放り、ビリビリと封を切る。
『リンディ、しばらく返事が書けなくてすまなかった。心配させてしまったかい? 仕事が立て込んで疲れていたが、君の楽しい手紙に癒されていたよ。どうもありがとう。
リンディに勧められた通り、時間を見つけて週に二回は健康診断を受けているよ。今日も診てもらったが、至って健康!(君のお母様がしょっちゅう美味しい差し入れを下さるせいで、やや太り気味だが)
とうとう医師に、こんなに頻繁に診察は必要ないと呆れられてしまった』
リンディは、良かったと息を吐く。
一度目の人生で、デュークが病に罹った正確な時期は分からない。リンディが勤め始めた頃には痩せていたことを考えると、その数ヶ月前……今位の時期には既に体調に異変を感じていたかもしれないと、健康診断を勧めた。
この二度目の人生で、自分は変えてはいけないことを沢山変えてしまった。ならばいっそ人の寿命も動かせないだろうかと、リンディは考えていたのだ。
(神様に背く行為かもしれない、でも……。大好きなお父様が亡くなると分かっていて、何もせず見ていることなんて出来ない)
手紙には、フローラとの会話など日常の何気ないことが綴られ、こう締めくくられていた。
『来週の休日、もし予定がなければ、屋敷に遊びに来てくれないか? 君に直接話したいことがあるんだ』
お話……もしかして体調が……! と、つい悪い方へ考えてしまうが、必死に首を振る。
(……大丈夫、きっと大丈夫! だって、文字がこんなに元気だもの)
すぐに真新しい便箋を開き、返事を書いた。
◇
約束の休日。
数ヶ月ぶりに見たデュークは、手紙の文字通り元気そうに感じた。痩せるどころか、むしろ誕生日に会った時よりもふっくらとし、肌艶も良く見える。
「遠くまで来てもらって悪かったね。王都で会えれば良かったんだが、なかなか時間を作れなくて」
「いえ! お会い出来て嬉しいです。お元気そうで良かったあ」
空よりも澄んだ彼女の青い瞳は、その奥を何度覗いても変わらない。デュークは微笑むと、早速話を切り出した。
「リンディ、正直に答えて欲しい。君は私の息子を……ルーファスのことをどう思う?」
「……どう?」
「うん、好きとか嫌いとか……ああ、好きになれそうとか、なれなそうとかでもいい」
きょとんとする彼女に、デュークは唐突過ぎたと反省する。だが……
青い瞳はみるみる輝き、白い頬は赤く染まっていく。薔薇色の唇は、彼が今までに見たことのない、切ない笑みを湛え開いた。
「好き……大好きです。ずっとずっと、大好きです」
それだけの答えに、彼女の想いが溢れている。
デュークは胸を打たれ、掠れた声で問う。
「……あの子のどこが好きなんだ?」
「全部です」
「全部?」
「はい。お……ルー……ファス様は、全部が優しいです」
「優しい……あの子が?」
「はい。とても」
まるで世界中の星を集めたような瞳に、デュークは言葉を失う。
(……彼女はルーファスの本質を見てくれているのだろうか。
私が壊してしまった、哀れなあの子の本質を……
冷たく尖った瞳の奥の、弱さと優しさを……)
込み上げるものを堪え、セドラー家の家長らしく居住いを正す。瞳を輝かせ続けるリンディに、改まった口調で衝撃の一言を放った。
「リンディ・フローランス嬢、我が息子、ルーファス・セドラーと結婚してくれないか?」




