第66羽 出会うべきだった人
「父上、まだ市場にも出ていない、こんな怪しげな魔道具を使用してはなりません。他人と声で繋がるなど」
さっきまでコップを持っていた手を、ぽかんと見つめるリンディ。ルーファスはそんな彼女を、鋭い目で睨みつけた。
(ふん……間抜け面で欺こうとしても無駄だ。この道具でより父と親密になり、セドラー家の何かを探ろうとしているに違いない)
息子を咎めようと口を開いたデュークだが、リンディの「ああ!」という叫び声に、ピタリと止まった。
「そっかあ。おに……ルーファス・セドラーさんは、お父様が私とばかり仲良くするから、ヤキモチを妬いてしまったのね」
「……は?」
ふふっと楽しげに笑うリンディに、父子はそっくりの目を点にする。
「じゃあそれは、ルーファス・セドラーさんにあげます。私はお手紙を書くので大丈夫! お父様と沢山お話ししてくださいね」
ルーファスはコップを持ったまま固まる。
(何故だ……何故こんなにあっさりと手離す。本当にただ会話をしようとしていただけなのか? いや、騙されるな。この女は策士だ。きっと何か魂胆が……)
戸惑いながら父を見れば、自分によく似たその目が涙で潤んでいた。
「ルーファス……私と……これで話をしてくれるのか?」
「……それは」
“ 哀れな息子 ”
そんな父の視線が煩わしく、あえて距離を取ってきた。
縋るような目をしているこの男は、今、ルーファスにとって、“ 哀れな父親 ” 以外の何者でもない。反抗する気も起きず、自然に「はい」と答えていた。魔道具を使ってまで、わざわざ話したいことなど何もないのに。
「そうか……楽しみだな」
くるりと向けた背は、微かに震えている。昔は大きく見えた父が、いつの間にかこんなに儚く見えることに、ルーファスはただ驚いていた。
◇
本当に素敵な一日だったと、リンディは夜の庭をスキップする。
(今夜は月も星も綺麗ね……夜空まで私をお祝いしてくれているみたい)
此処はリンディが幼い日、よく遊んでいた中庭。そう、案内されたのは、なんと一度目の人生でリンディが使っていた部屋だったのだ。
お気に入りだったブランコも、よくエリザベスを覗いていた池も当然ない。青々とした平らな芝生が広がっているだけなのに、懐かしい空気が漂っていた。
使用人に尋ねてみたところ、庭師のサム爺は、足腰が弱り数年前に退職したと言われた。
(一度目の人生では、まだ元気に働いてくれていたのに……何故かしら)
そして、モリーという使用人はこの屋敷には居ない。長く勤めている自分が知らないのだから、間違いないと言われてしまった。
(そうか……モリーさんは、一度目の人生でお父様が私の為に雇ってくださったシッターさんだから。私が此処に居なかった二度目の人生では、彼女も居ないんだわ。
サム爺によく手入れしてもらった庭……
モリーさんによく遊んでもらった庭……
二人にはもう、二度と会えないだろう)
柔らかな芝生を撫で肩を落としていると、室内からチリチリとベルの音が聞こえた。
「リンディ。ハーブティーを頂いたから、一緒に飲みましょう」
室内には、ハーブの良い香りが充満している。母フローラの待つテーブルへ向かうと、自分も椅子に腰を下ろした。
カップに口を付けたリンディは、懐かしい味にほうっと息を吐く。幼い頃は、興奮して寝つけない自分の為に用意してくれたホットミルク。女学校に入った頃からはこのハーブティーに替わり、優しい味と香りに疲れた心が慰められた。
たまに無性に恋しくなって、カフェで飲んだり茶葉を買って自分で淹れてみたりしたけど、セドラー家のものとは何かが違った。
「……デュークお父様って呼んでいるのね」
顔を上げれば、母が優しく微笑んでいる。
「ええ。娘みたいだから、そう呼んでもいいと仰ってくださったの」
「そう。公爵様、気さくでとても素敵な方ね。クリステン領で教室を開いた時から、いつかご挨拶したいと思っていたのだけど」
「……素敵だった?」
「とっても。初めてお会いしたのに、まるで親友みたいに感じたの。何故かしらね」
「親友……」
リンディはカップを置くと、膝の上で手をギュッと握る。
「お母様……お母様は今、幸せですか?」
思わぬ問いにフローラは一瞬目を瞠るも、はっきりと答える。
「ええ、とても幸せよ。愉快な友達に囲まれて、仕事も順調で、何よりこんなに可愛い娘も居てね」
頬をつつく母の温かな指に、リンディはふにゃりと笑う。綺麗に成長した娘の、幼い時と変わらぬ表情に、フローラは目を細めた。
(今の答えに偽りはない。自分は幸せだし、最高の人生を送っていると思う。でも……)
ずっと心に引っ掛かっていたものが、ふと零れた。
「でもね、出会うべきだった大切な人に出会っていない。いつもそんな気はしているの。“ 幸せ ” の中で、そこだけ隙間が空いているような……その大切な人を探し求めているような気がして」
フローラは、改めてその奇妙な感覚に首を捻る。きっとリンディにも笑われてしまうわねと目線を上げれば、娘の青い瞳から、ボロボロと大粒の涙が落ちていた。
(私のせいだ……お母様が大切なお父様と出会えなかったのは……結婚出来なかったのは私のせいだ。お母様は、大切なものを失くしたことを、心の何処かでちゃんと覚えていた……それなのに。
お兄様と義兄妹になりたくなくて、普通の男女として出会いたくて、二度目の人生を変えたのは自分なのに。家族四人揃った今日を、こんなに喜んだりして。本当に……本当に、なんて自分は身勝手なんだろう)
「ごめんなさい……お母様、ごめんなさい……」
謝りながら泣き続ける娘をどうしていいか分からず、フローラは赤子の時と同じように、優しく背中を撫で続けた。
◇
暗い……真っ暗だ。
周りも、上も下も、何処を向いても暗闇ばかり。
心を無に包んでくれる、冷たくて心地好い世界。
何も、誰も居ない。自分さえも存在しない……はずなのに……
……ああ、またお前か。
黒髪で、気味の悪い赤い目の、自分にそっくりな男が笑っている。何かを見て、何かと話して笑っている。
やがて、哀れむような視線をこちらを向けるのだろう。
だが……自分を見る男の顔は、今までにないほど穏やかで。笑みさえ浮かべているように感じる。
──瞼を開ければ、カーテンをほんのりと染める柔らかな光。
不完全な闇に居ながら、恐怖も苦しみもなく朝を迎えられたことに、ルーファスは驚いていた。
朝の食卓も、夕べと同じく賑やかだった。
ほとんど喋らず、食後はさっさと部屋へ戻って行ったルーファスだが、息子の纏う空気が穏やかであることにデュークは気が付いていた。
給仕も、空の皿を片付けながら驚く。朝のお坊っちゃまは特に食欲がなく、数口召し上がればいい方なのに、今朝はお代わりまでされていた。昨日に引き続き、一体どうされたのか……と。
食事が済んでもまだ、デュークとフローラの話は尽きることがない。まるで失った十数年分を埋めるように。懐かしい両親の姿に、リンディは胸が温かくなるが、その一方で罪悪感に襲われていた。
「どうした? リンディ」
急に口数の減った彼女を、デュークが気遣う。
「あっ……お腹が一杯で。少し眠くなってしまいました」
「まあ、昨日成人したというのに。ミルクをよく溢していた時の、小さな女の子みたいね」
愛しげに笑う母に、リンディの胸は一層痛む。
「フローラ先生、お茶を飲み終えたら、貴女の教室を案内していただけませんか? 領地の子供達が受けている最先端の教育を、この目で見てみたい」
「ええ、喜んで。今日は休講日ですが、教材やカリキュラムでしたら色々とご案内させていただけます」
するとデュークは、テーブルの端で静かにフルーツをつまむヨハネスへ向かう。
「ヨハネス、私達が留守にしている間、リンディが退屈しないように、庭や屋敷を案内してくれないか? 本来はルーファスの役目なんだが……」
仕方ないという風に、デュークは天井を見やった。
わいわいと出掛けていくかつての両親を見送ると、リンディはヨハネスと二人で、庭を散歩することにした。
「リンディ、今日の服もいいね」
「ありがとう! とっておきじゃないけど、何回か着ちゃったけど、お気に入りなの」
白地に青とピンクの小花柄のドレスを着たリンディは、本当に生ける人形そのものだ。
(眼鏡なしでこんなに愛らしい彼女を見たというのに……ルーファス様は、あっさり部屋に戻ってしまわれた。外見は彼にとって重要ではないのか? それとも美的センスがおかしいのか?
ヨハネスは首を傾げるも、まあそんなにトントン拍子にはいかないかと、自分を納得させる。ああして会話が出来ただけでも、すごい進歩なのだからと)
「さっきお茶していた時、少し元気がなかった気がしたけど。どうしたの?」
優しい緑色の瞳に、リンディの心は和らぎ、ふわっと口を開く。
「あのね……夕べお母様が……」
話に集中し出した途端、おぼつかなくる彼女の足元。ヨハネスは耳を傾けながら、転ばないようにと華奢な左手を握った。見えない指輪のある薬指を、親指で無意識になぞりながら……
( 何故だろう……何故だか無性に光を浴びたい)
ルーファスは部屋の窓に近付く。少しだけカーテンを開けてみれば、強烈な陽光が目に刺さり、うっと顔をしかめた。
やはり無理だと落とした視線の先──
そこには闇の中の男と、あの “ リンディ ” という女が、手を繋ぎ歩いていた。




