第33羽 空腹のカラスは白鳥を喰む
「ふっ……ん」
漏れる吐息すら甘い。
甘くて、柔らかくて、温かくて……
唇をくすぐり、その向こうへ。溶け合ってはまた唇へ。行ったり来たりを繰り返しながら、貪欲に彼女を味わう。
夢中で重ねている内に、リンディはくたりと力を失い、ルーファスの腕に身体を預ける。それでも止めることなど出来ず……むしろ余計に熱くなった彼は、華奢な身体を掻き抱き、甘美な一時に溺れていった。
彼女から移ったアルコールの香りが、正常な神経を麻痺させる。欲望のまま、唇を白い首筋へと滑らせた時……息も絶え絶えのリンディが、とんでもないことを口にした。
「おい……しい?」
「……え?」
「私……美味しい?」
(何てことを訊いてくれるのだろう……そんなの、決まっているじゃないか)
潤んだ青い瞳、上気した赤い頬、何度も重ねたせいで艶めく唇。見下ろした彼女の鮮やかさに、身体は一層熱を持つ。ルーファスは己を落ち着かせる為に、自分でも知らない場所から声を絞り出した。
「どうだろう……何か甘い……あ、生クリームかな」
「うん……ケーキ食べたの……ブルーベリーの……」
「やっぱり……道理で甘いと思ったよ」
「……甘過ぎる?」
「どうだろう……分からないけど……もうおかしくなりそうだ」
彼女の髪に顔を埋め、香りを吸い込む。すると、またとんでもない言葉が、火照ったルーファスの耳に滑り込んだ。
「舐めてるばかりで全然齧らないから……私、美味しくないのかなと思って」
「なめっ……かじ……?」
思考が停止するルーファスを無視し、リンディは「あっ!」と声を上げた。
「そっかあ。お義兄様、裸じゃないから齧らないのね」
漸く意味の分かったルーファスから、力が抜けていく。リンディを腕に抱いたまま、床にズルズルと腰を下ろした。
このタイミングで、昼から何も食べていないルーファスの腹が、ぐうと音を立てる。リンディは難しい顔でうーんと唸ると、顔を赤らめながらブラウスのボタンを外し始めた。
思いもよらない彼女の行動に、ルーファスは「なっ……」と叫びかけたまま固まる。
「まだ唇しか舐めていないでしょ? よかったら、身体も舐めて味見してみて。それで美味しかったら、少し齧ってもいいわ。お腹……空いてるんでしょ?」
開け放たれた薄いクリーム色のブラウスの下には、透けるような白い胸元が輝いている。思わず喉がごくりと鳴るも、ルーファスは慌てて目を逸らした。
(────もしかしたら自分は、彼女にとんでもないことを教えてしまったのかもしれない)
なるべく胸元を見ないようにしながら、ルーファスは厳しい顔でリンディへ問う。
「リンディ……君はもし、タクトがお腹が空いたと言っても、同じように味見させるのか?」
リンディは一瞬小首を傾げると、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「させない! タクトにはさせないわ! 絶対に! だって本当は、齧られるなんてすごく怖いもの! ……お義兄様だから、お義兄様にだけは、食べられてもいいの」
(本当に……何てことを言ってくれるのだろう)
ルーファスの全身が、カッと燃え上がる。
彼女から次々と与えられる試練に、ルーファスの理性は打ちのめされていた。
「私……」と言い淀むリンディの顔が、不意に哀しみを帯びる。
「お義兄様が、他の女の人を食べるの嫌なの。考えるだけで哀しくて、苦しくなって。でも……そんなの、そんな風に思うの、やっぱり変?」
答えてはくれないルーファスに、リンディはしゅんと下を向く。
「前にね、お義兄様が幸せになるなら結婚して欲しいって言ったでしょ? あれ……嘘なの。本当は、結婚なんかしないで、ずっと私の傍に居て欲しいって思ってるの。……ごめんなさい、嘘吐いてごめんなさい」
青い瞳から、ポロポロと涙が溢れる。
可愛くて、愛しくて……激しく脈打つ想いは喉で引っ掛かり、もう何も言葉にならない。
ルーファスは彼女の顔を熱い両手で挟むと、瞼、目尻、頬と、順番に唇を落としていく。
そして……胸元にポタリと落ちた雫を喰めば、白い肌がピクリと震えた。
「甘いけど……少ししょっぱいな。でも……美味しい」
吐息混じりの感想に、リンディは嬉しそうに微笑う。彼に熱せられたむず痒い心から、一番怖い質問が自然に溢れた。
「……お義兄様は、私が他の男の人と結婚したら嬉しい?」
(リンディが……他の男と?)
鋭い痛みがルーファスの胸を刺す。彼女の唇を知った今となっては、考えるだけで気が狂いそうだ。
「……嬉しい訳がない。僕以外の男が君を食べるなんて、絶対に許せない。僕も君以外の女なんて、絶対に食べたくない」
リンディはルーファスの瞳を覗き込む。熱っぽくて、苦し気で、今にも泣きそうで……その言葉が偽りでないことを、真っ直ぐに伝えてくれていた。
「私……お義兄様の傍に居てもいい? お義兄様が離れろって言うまで、傍に居てもいい?」
「もちろん」
(リンディの幸せ。そんなもん知ったことか。だって……)
「だって僕の傍じゃなきゃ、君は幸せになれないんだろ?」
「……うん!」
すりすりと頬を寄せるリンディに、もう一度優しく唇を重ねた。
小鳥のさえずりに目を覚ませば、腕の中でリンディがすやすやと眠っている。
(……散々味見をさせておいておあずけなんて。天使の顔をした悪魔かもしれない)
唇を堪能している最中に、こてんと寝てしまった彼女。ベッドに運び寝顔を見ている内に、そのままルーファスも寝てしまったのだ。
(前にもこんなことがあったな。だけど、あの時と違うのは……)
ルーファスは彼女の金髪を、指でくるくると弄びながら考える。
互いの気持ちを確認し合った今、もう “ 兄妹 ” ではいられない。モラル、法律……そして、両親の反応。どうしたら彼女と共に生きていけるだろうかと。
(……最悪、何もかも捨ててしまえばいい。地位も身分も財産も、どれも彼女より、大切なものなどないのだから)
ずっと恐れていたというのに、いざ壊れてしまえば、呆気ないほどに覚悟は出来ていた。
くるんとカールした金色の睫毛が開き、青い瞳が覗く。
「お義兄様……」
「おはよう、リンディ」
「私……また寝ちゃったの?」
「うん」
「ここで?」
「うん」
前回で学習したルーファスは、ベッドから突き落とされないよう身構える。
だが、今日のリンディは至って冷静だった。ルーファスのシャツをちょんと触り、裸でないことを確認すると、申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい。味見の途中だったのに……何か食べた?」
ルーファスはわざと口を尖らせてみる。
「……食べてないよ。お腹空きすぎて死にそう」
「わあ、大変! ちょっと待ってね!」
がばっと身体を起こし、ブラウスのボタンに手を掛けるリンディを、ルーファスはさっと止めた。
「今はまだ……これでいい」
顔を引き寄せ、何時間ぶりかの甘い唇を味わった。
惜しみながら離れ、熱い額をコツンと合わせた時、玄関のドアが何者かに忙しなく叩かれた。
(誰だ……こんな朝早くに)
嫌な予感に、素早くシャツを整え開けてみれば、そこには息を切らせたセドラー家の兵が立っていた。
「朝早くに申し訳ありません。奥様よりご伝言をお預かりしました。旦那様が急変されたので、至急お二人にお戻りいただくようにと」
(────天罰が下ったんだ。
義務も責任も放棄しようとした、愚かな自分に……)




