第32羽 『妹』なんかじゃない
「貴女から誘うなんて珍しいわね、リンディ」
「昨日行けなかったから……ブルーベリー、ロッテさんと一緒に食べたかったんです」
そう言う割には、さっきから実をフォークでつつくばかりで、一向に口に運ぼうとしない。
「お兄様、今夜も泊まり?」
「いえ……帰って来ます」
「あら、じゃあ帰った方が良かったんじゃないの?」
「いえ……ブルーベリー、ロッテさんと食べたかったので……」
「そう……」
ロッテはデザート皿に舌鼓を打ちながらも、心配そうに問う。
「昨日、王女に何か言われたの?」
「色々教えてもらいました……色々考えました」
「何か嫌なこと言われたんじゃないの? ……吐き出したいなら何でも聞くわよ。誰にも言わないから」
するとリンディはフォークを置き、真剣な顔でロッテへ向かう。
「ロッテさん、“ 男女の関係 ” って、裸になって男の人に食べられることですか?」
ロッテは危うくワインを噴き出しそうになる。何とか堪え飲み込むと、掠れた声で答えた。
「そう……ね。そう、そういうことよ」
恋愛経験がほぼないロッテは、この手の話にはめっぽう弱い。深く訊かれたらどうしようか、先輩としての威厳は保てるかと、内心焦っていた。
「じゃあ、私とお義兄様は、男女の関係に見えますか?」
思いもよらぬ展開にロッテは慌てる。
「見えっ……見えないわよ! だって貴女達、兄妹じゃない!」
「……本当の兄妹じゃなくても?」
「……そうなの?」
思わず身を乗り出し、小声になる。確かに似ていないとは思っていたが、どちらも整った顔立ちだし、仲が良いので気にならなかった。それに何度か宰相を見かけたことがあるが、目はルーファスと同じ色だし、髪はリンディと同じ金色だったので、三人とも本当の親子だと思い込んでいたのだ。
「両親は再婚なんです。私はお母様の子で、お義兄様はお義父様の子です」
「そうだったの……仲良しだから、全然気付かなかったわ」
「……仲良し過ぎますか? 私とお義兄様」
「うーん……家は弟だからちょっと違うかもしれないけれど、毎日会いたいとは思わないわね」
リンディは、「やっぱり」と呟きながら肩を落とす。
「お義兄様は優しいから、いつも私の傍に居てくれるんです。私は変だから、子供の頃はずっと手を繋いでもらっていました。今は繋いでもらわなくても歩けるけど……でも、本当は今でも繋ぎたいなって思っていて」
青い瞳に涙を溜めるリンディに、ロッテははっとする。
「リンディ、貴女……」
「それだけじゃないんです。いつかお義兄様が結婚して、他の女の人を食べるって考えると苦しいんです。それなら私を食べて、ずっと私の傍に居てって……」
ボロボロ泣くリンディを胸に受け止めるロッテ。激しく動揺しながらも、華奢な背を擦り続ける。
(どうしよう……何と言ってあげたらいいの? ああ! 経験のない自分を恨むわ)
「……お兄様はどうなの? 貴女のことを可愛がってくれているでしょ?」
「優しいから……すごく優しいから……本当は離れたいのに、言えないのかもしれない。私が結婚すれば、本当は喜んでくれるかもしれない」
「もしかして、王女にそう言われたの? 結婚してお兄様から離れろって?」
こくりと頷くリンディ。恋愛経験は乏しいが、勘のいいロッテは大方察した。
(あの女……とことん性悪だわね)
「お兄様は、王女のことを何て言ってるの?」
「王女様とは結婚しないって言っていました。嬉しい訳がない、嫌いって」
さすがあの兄さん! よく分かっているわと、ロッテは頷く。
「でも、王女様と会わなくなった頃から、お義兄様の元気がなくて……。王女様と何を話したのかなとか、私に言えないこととか沢山我慢していることがあるのかなって。色々考えたら、ぐるぐるして苦しくなって……!」
「ねえ、リンディ」
ロッテはフォークで生クリームとブルーベリーを掬い、リンディの口に押し込む。反射的に咀嚼する内に、リンディの興奮は落ち着いていった。
「ぐるぐるするなら、直接お兄様に訊いてみたら? それでね、お兄様が答える時、目をよく見てみて。そうしたらきっと、お兄様の本当の気持ちが分かるわ」
「目を……」
「ええ。人ってね、目は絶対に嘘を吐けないの」
「……そっかあ」
唇に付いたクリームを舐めながら、リンディは思案顔で口を開く。
「それでもし、本当は私と離れたいって分かったら……私は遠くへ行きます。引っ越したり、結婚したり。でももし、私と離れたくないって分かったら? そのままお義兄様の傍に居てもいいの?」
(もちろん! 傍に居て…………いいのかしら?)
ロッテは返答に悩む。
血は繋がっていないのよね、でも法律上は兄妹なのよね、何でよりによって私にこんな難問……! と頭を掻きむしる。
(とにかく、無責任なことは言えないわ。この娘の人生に関わることだもの。だけど、自信を持って言えることは……)
「リンディ」
ロッテはリンディの両手を握ると、澄んだ瞳に真っ直ぐ向き合う。
「お兄様から離れるのは構わないと思う。貴女が決めることよ。でも、その為に結婚するのだけは止めなさい。相手にも失礼だし、自分も絶対に幸せになれないわ」
「そっ……かあ」
「そうよ。結婚は好きな人としないと。今時、政略結婚なんて流行らないしね。まあ……そんなこと言っているから、私は独身のままなのかもしれないけど」
自虐的に笑うロッテに、リンディも哀しげに微笑んだ。
「自分を大切にしてあげなきゃダメよ、リンディ。貴女はよく自分のことを変だって言うけど、とびきり魅力的な娘なんだから。王女の何億倍もね」
「……そうなの?」
「私の目を見て。ほら、嘘を吐いてる?」
ロッテの黒い瞳を覗き込み、リンディはふるふると首を振る。
「あとね、お兄様の幸せが何なのかは、お兄様にしか分からないわ。やっぱりきちんと話してみることね」
「……はい」
「よし! とにかくケーキを食べちゃいなさい。自分を大切にする為には、まずは身体に美味しい栄養をあげないと」
「はい!」
元気にフォークを掴み、皿に向かうリンディ。その様子にロッテは少し安堵すると、グラスを傾けながら呟いた。
「私は自分を大切に出来ているかしら……長生きする可能性が高いから、ちゃんと労ってあげないとね」
「ロッテさん、長生きなんですか?」
「ええ。黒髪は長寿の証なのよ。迷信だと思われていたけど、何十年か前に学会から発表されているわ。もちろん生活習慣とか、複合的な要因もあるでしょうけど」
そう言いながら、自分の長い黒髪を摘まむ。
「じゃあ……じゃあ、お義兄様も長生きね!」
「あら、そうね、彼も黒髪だったわね」
「お義兄様が長生きしてくれるの、すごく嬉しい! よかった! 黒髪でよかった!」
(まあ……この娘ったら、本当にお兄様が大好きなのね)
嬉しそうにはしゃぐリンディに、ロッテの胸は切なくなる。
「ロッテさんも長生きで嬉しい!」
がばっと抱き付くリンディの頭を、ロッテは優しく撫でた。
土産を手に、ルーファスが視察先からアパートへ直帰したのは、まだ夕方の五時前だった。
(この時間じゃ、まだリンディは帰っていないな。よし、いつものスープを作っておこう。今夜はゆっくり過ごせそうだ)
ところが、六時、七時と時計の針が回っても、一向に帰って来る気配がない。
今日帰ると伝えたはずだが……と、ルーファスは何度も罪のない時計を睨んではじりじりする。
九時を過ぎた頃、表にやっと馬車の音が聞こえた。期待を込めてカーテンを開ければ、そこには求めていた姿があった。
部屋の前で腕を組み、待ち構えるルーファス。そのただならぬ雰囲気に、リンディは驚く。
「お義兄様、おかえりなさい」
「……ただいま。何でこんなに遅かったんだ。仕事か?」
「ううん、ロッテさんとご飯を食べに行っていたの」
確かに彼女の呼気からは、ほのかなアルコールと何やら甘い香りが漂っている。
「今日帰るって言ったのに、他の人と食事に行ったのか?」
「ごめんなさい、ちょっと話したいことがあって」
ルーファスの中で、何かがもやもやと蠢く。リンディの手を掴むと、自分の部屋に引き入れドアを閉めた。
「僕よりも大事な話だったの?」
「それは……」
「君と一緒にと……何も食べずに待っていたのに」
室内に漂うスープの香りに、リンディはあっ! と慌てる。
「ごめんなさい! 折角作ってくれたのに……お義兄様、お腹ペコペコよね? すぐに温めて、パンも焼いてあげるから!」
キッチンへ向かおうとするリンディを引き寄せ、感情のまま壁に押し付けた。
「お義兄……様?」
「もうこんな時間だ……空腹過ぎて、スープやパンなんかじゃ足りない」
ゆらりと燃えるルビー色を、リンディは怯えた目で見上げる。
(……勝手だと分かっている。何時に帰れるか分からなかったし、夕飯の約束をした訳でもない。自分の帰りを待ちわびてくれているものだと、勝手に思い込んでショックを受けただけだ。彼女には彼女の都合や、付き合いもあるというのに)
ルーファスのこの感情は、あの時に似ていた。彼女がランネ学園への転校をあっさり決めてしまった……離れていく彼女に焦燥感を覚えたあの時に。
(あの時から少しも成長していない。結局自分のことばかりで、彼女の幸せなど考えていないじゃないか。
もし本当の妹だったら、こんな身勝手な感情は抱かないだろう。……そう。ずっと、ずっと……リンディは、『妹』なんかじゃない)
気付けばルーファスは細い腰を抱き寄せ、薔薇色の唇に自分を重ねていた。




