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第2羽 かたつむりが結んだ縁

 

 今日も勇んで、自宅から少し離れた職業安定所に出掛けたは良いものの、何も収穫はなかった。

 おまけに家を出る時は晴れていた空が、今はどんよりと曇り、霧雨を撒き散らしていた。

 楽天家で前向きなフローラも、流石に今後の生活を憂い、帰途に就く足取りが重くなる。


「あっ!!」


 高い石塀の前で、リンディが足を止める。

 見れば小さなかたつむり達が、雨を浴びながら嬉しそうに散歩していた。

 リンディはその場に座り、頬杖をつきながら塀を見上げる。


 あらら……こうなってしまったら、当分帰れないわね。傘も持って来なかったのに。


 此処が温かい国で良かった。帰ったらすぐにお風呂に入ればいいかと、フローラも娘と並んで腰を下ろす。



 一時間程経ち……

 まだリンディは飽きてくれないらしい。

 流石に服も靴も濡れて気持ちが悪くなってきた。

 どうやったら家に帰れる? 今、かたつむりに勝てるものは何だろう?

 真剣に考え始めたその時、ふと自分の周りが暗くなったことに気付く。見上げれば大きな黒い傘と……立派な身なりの紳士に覆われていた。


「家の塀に何か御用ですか?」


 家の塀……ああ、この男性ひとの家か。

 他人の家の周りで、傘も差さずに座り込む私達は、きっと不審者以外の何者でもないだろう。


「申し訳ありません。娘が御宅の塀のかたつむりに大変興味を示しまして……かれこれ一時間ほどこの状態なのです。今、どうやって此処から移動するかを模索していた次第でした」


 男性はリンディとフローラを交互にチラチラ見ると、顎に手を当て何かを考える。やがて自分の頭から帽子を取ると、おもむろに塀へ近付き、かたつむりを何匹か取っては裏返したその中にポイポイ入れていく。

 そしてリンディへ近付くと、かたつむり達の楽園と化したその帽子を見せる。


「うわあああ!」


 中を見て、目をキラキラ輝かせるリンディ。


「お嬢さんにあげるよ」

「いいの!?」

「ああ」

「ありがとう!」


 リンディは帽子を覗いたまま立ち上がる。

 男性はフローラへ向き直るとこう言った。


「そのままだと風邪を引きます。よろしければ、家で休んでからお帰り下さい」




 思わぬ誘いに警戒しなかったのは、この男性ひとがリンディの心を掴んだからだろうか。はたまた雨に濡れた気持ち悪さから意識が朦朧としていた為だろうか。

 とりあえず今、こうしてタオルと着替えを用意され、温かいお茶を頂いている状況から、やはり親切な人であったと確信している。


 石塀の内側は何とも広大な屋敷で、普段であれば萎縮してしまう所だが、今はただこのお茶の美味しさに有り難く身を委ねていた。

 男の子のシャツとズボンに着替えたリンディは、大好きなホットミルクも目に入らぬほど、かたつむりの楽園に夢中だ。


 

  ノックの音がして、先程の男性がやって来た。


「温まりましたか?」


 フローラは立ち上がり、頭を下げ礼を言う。


「ありがとうございました。着替えにお茶まで……大変助かりました」

「いえ、急だったもので、使用人と男の子の着替えしか用意出来ずすみません」

「とんでもございません! 洗って後日お返し致します」

「いえ、もう使わない服ですので、返却は結構です。不要でしたら捨てて下さい」

「あの……お帽子は……」


 恐らく高級品であろう、仕立ての良い黒い帽子は、かたつむり達の粘液で艶々と光っている。


「そちらもどうぞ、お持ち帰り下さい」

「こちらは流石にお支払いさせて頂きます。お幾らですか?」


 思わぬ出費だが仕方ない。フローラは鞄から財布を取り出す。


「値段など忘れてしまいました。それに、非常に興味深い体験をさせて頂きましたので、その御礼だと思って頂ければ」

「はあ……」

「思い付きでやったことですが……かたつむりを帽子に入れ、更にそれを喜んでもらえるなど、生涯で二度とない体験でしょう」


 よく分からないが、とりあえず良い人なのは間違いない。フローラは甘んじて、素直に礼を述べた。


「お身体が温まるまでごゆっくりどうぞ。お帰りになる際はベルで使用人をお呼び下さい。雨が酷くなってきましたので、馬車でご自宅までお送りしましょう。では、私はこれで」


 部屋を出ようとする男性に、フローラは思い切って声を掛ける。


「……あのっ!」


 この屋敷の規模からして、彼は上級貴族に違いない。これも何かの縁だと、フローラは恥も外聞も捨てて尋ねた。


「お知り合いのお子様に、家庭教師をお探しの方はいらっしゃいませんか?」

「……家庭教師?」

「はい! 私はフローラ・フローランスと申しまして……ふざけているようですが、至って真面目な本名です。どうぞ、こちらをご覧下さい」


 鞄からやや湿った履歴書を取り出すと、男性に近付き差し出した。


「ほう、王都学園を首席で。ご優秀ですね」

「この子と一緒に住み込みで働ける御宅を探しているのですが、なかなか見つからず……あの、この通り、ほんの少し個性的な子なもので」


 男性は履歴書とフローラを交互にチラチラ見ると、顎に手を当て何かを考える。やがて履歴書を畳むと口を開いた。


「では、息子の家庭教師をしていただけませんか?」



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