第27羽 優しくないお義兄様
慌てて外へ出て、男……? に駆け寄れば、やはりその背中に負われているのはリンディだった。二人の鞄を手に後ろを歩く護衛兵は、ルーファスに気付くと引きつった顔で礼をする。
「リンディ」
アリスは歌うのを止め、声の方を見た。
(まあ! 酔いも覚める超絶美形! ん? 黒髪にルビー色の瞳といったら……)
「もしかして、リンディのお兄様!?」
その問いには答えず、ルーファスはアリスの全身をまじまじと見る。
「君は……もしかしてアリスか?」
「あらあ! あたしのこと、お分かりになるんですか? 嬉しいっ」
「……リンディから何度も聞いていたから」
「うふっ! そうよね、こ~んなイイ女、会えばすぐに分かるわよね! あたしもね、リンディからお兄様のお話をたっくさん聞いてたんですよぉ!」
赤い顔でヘラヘラと笑うアリスに対し、ルーファスはにこりともせず腕組みをする。
「……で?」
「へ?」
「何で君の背中にリンディが?」
「ああ、偶然会ってね、一緒に夕飯を食べていたんです。お酒はそんなに飲んでいないんだけど、食べ過ぎて眠くなっちゃったみたいで。こんな時間だと馬車も煩いし、酔い覚ましがてら歩こうって……」
「二人きりで?」
「へ?」
「二人きりで酒を飲んだのか?」
ついさっきまで綺麗だと思っていたルビー色は、その目つきだけで人を殺せそうなほど冷たい。アリスはひいっと叫びそうになるも、何とか堪え、震える口を開いた。
「いえ……いえ!! あのっ、お局さん……いえ、リンディの職場の、絵師のロッテ姐さんと。三人です! 三人!!」
「……そうか」
ルーファスの顔から殺意が消えたのを見て、アリスは安堵する。
(あたし……どうやら生き延びたみたい)
緩んだ背中から落ちそうになるリンディを、ルーファスは素早くむしり取り、腕に抱えた。
「悪かったな。……ありがとう」
「いっ、いえっ!」
お礼を言われているのに、こんなに恐いのはどうして? と、再び震えが込み上げる。
兄妹の姿が階段の上へ消えていくのを見届けたアリスは、一気に脱力しふらりとよろけた。飲みすぎたせいで汗ばむほど暑かったはずなのに、今は悪寒で全身が粟立っている。
(リンディったら……どこが優しいお兄様なのよ! もっっっのすんごく恐いじゃない!)
すっかり酔いの覚めたアリスは、一目散に家へと駆けていった。
隣の部屋を開けようとする護衛兵を制し、ルーファスはリンディを自分の部屋へと運ぶ。
「慣れない酒を飲んだらしいからな……具合が悪くなったら心配だ」
兵に対して、わざわざ言い訳めいたことを言う自分に苦笑しながらドアを閉める。
ベッドへ寝かせても全く起きる気配はなく、涎を垂らしながらスヤスヤと眠るリンディ。ふと見下ろせば、いつもは細い腹の辺りがパンパンに膨れていた。
(一体どれだけ食べたんだ……)
口をもしゃもしゃと動かしながら、空の皿を積み上げていくリンディを想像し、ふっと笑いが込み上げる。
濡らしたタオルで顔を拭いてやり、なるべく見ないように服を緩めると、その上にさっと布団を掛けた。そのまま枕元に座り、優しく髪を撫でながら、幸せそうな寝顔を見つめる。
(不思議だな。さっきまでささくれ立っていた心が、こうしてリンディに触れるだけで凪いでいくなんて。
……時々思う。もしリンディに出会っていなかったら、自分はどんな大人になっていたのかと。ひょっとしたらまだ今も、あの暗闇を一人彷徨い続けていたのだろうか)
「お代わりお願いしまぁす!」
勢いよく手を上げ、叫ぶリンディ。ビクッと驚くルーファスを余所に、何事もなかったように寝息を立て続けている。
(なんだ、寝言か)
ぱふっと投げ出された手を、笑いながら布団に入れようとした時……あの指輪にコツンと触れてしまった。
『石の砂は相手を表す』
『別離』
ルーファスは自分の左手を、リンディのそれと並べてみる。ほとんど砂が残っていない自分の指輪に対し、リンディの方はまだ八割近く満たされており、輝き方も比べ物にならぬほど強い。
(……万一何かがリンディの命を脅かすなら、自分が絶対に守ろう。たとえこの命をなげうってでも)
小さな手を握れば、柔らかな温もりが伝わり、次第に瞼が重くなる。
(最近、王女に振り回されて寝不足だったからな……)
リンディの横にそっと身体を横たえると、ルーファスはいつの間にか意識を失っていた。
◇
( ……暑い。何でこんなに暑いのかしら)
手を上に突き出せば、少しだけ涼しい空気に触れる。それでもまだまだ暑く、今度は足を出そうとするが、何か重いものが乗っていて身動きが取れない。
ゆっくり瞼を開けたそこには、黒い艶々の羽があった。手でそれを分ければ、今度は黒くて長い睫毛が現れる。
(綺麗……本当に綺麗なカラスね。カラ……ス?)
徐々に覚醒したリンディは、ひゅっと息を吸い込み叫んだ。
「お、お義兄様!?」
美しい瞼がピクリと反応し、薄く開いていく。睫毛の下に現れたのは、しっとりと濡れる濃いルビー色。それはリンディを捉えると、光を湛えながら妖艶に瞬いた。
初めて見る義兄の表情に、身体中の血がざわめき、リンディの顔は忽ち火照っていく。
「ん……寝てしまったのか」
ルーファスはそう一言呟くと、気だるそうに手を伸ばし、義妹の赤い頬に触れた。
「真っ赤……酒が残っているのかな。気分は?」
「お酒?」
「うん。昨日ロッテさん達と飲んだんだろ? アリスにおんぶされて帰って来た。心配だったから、こっちで寝かせたんだ」
「私……ずっと寝てたの?」
「うん」
「ここで?」
「うん」
リンディは眼球だけを忙しなく動かし、状況を確認する。そこはロッテ達と食事をしていた夜祭りの店ではなく、カーテン越しに淡い朝日が差し込む見慣れない寝室だった。
(一晩中ここで寝てたの? ……お義兄様の隣で?)
さっきから自分の身体に乗っている重い物が、義兄の足であることにもようやく気付いた。
『……男は裸になると、狼になって女を食べてしまうんだ。死なないように、見えない部分の肉をガリガリと齧り……』
リンディは「ひゃあっ」と叫び、ありったけの力でルーファスを押しやる。ベッドの端に遠慮がちに置いていた長身は簡単に落ち、床でごとんと鈍い音を立てた。
「つっ……」
頭を抱えうずくまるルーファス。リンディはベッドから飛び下り、真っ青な顔で覗き込んだ。
「ごめんなさい! 大丈夫?」
「……どうだろう。目は完全に覚めたかも」
涙目でふわあと欠伸をする義兄は、見る限りではちゃんと服を着ている。自分の身体も慌てて探るリンディだが、襟元のボタンと腰のリボンが緩んでいる以外に、特段変わった様子はなかった。
ゆっくりと起き上がったルーファスは、いつもの優しい “ 兄 ” の微笑みを浮かべている。リンディはほっとするも、念の為訊いてみた。
「ねえお義兄様……夕べ、裸にはなっていない?」
「裸?」
「ええ。寝る時は、いつも裸になるって言ってたから」
「……ああ」
(こんなに怯えた顔をして……ちゃんと覚えていたんだな)
ルーファスは必死に笑いを堪える。
「夕べはすごく眠かったから、服を着たまま寝てしまったんだ。だから大丈夫。君のことは一口も食べていないよ」
「そっかあ……よかった! どこも痛くないから、大丈夫かなとは思ったんだけど」
(痛くない、ね。誰かが聞いたら誤解しそうだな。実際、睡魔が襲ってくれてよかった……色々と元気だったら、大変だったかもしれないから)
幾ら心配だったとはいえ何故自分の部屋で寝かせてしまったのだろう、余程リンディ不足だったのかなと、ルーファスは頭を掻く。
「痛くない? 本当に大丈夫?」
義兄の難しい表情を見て、リンディは心配そうに尋ねる。
「大丈夫だよ、何ともない」
安心させようと、おどけながら金髪を引っ張ってみるが、何故か彼女はしょんぼりと下を向いてしまった。
「迷惑かけてごめんなさい……お義兄様は今が大事な時期なのに」
大事な時期? 一体何のことやらと首を傾げるルーファスに、リンディは消え入りそうな声で問う。
「……王女様とご結婚されるんでしょう?」




