第26羽 人生は一度きり
それから一時間ほどが過ぎ────
三人が囲むテーブルは、いつの間にかこの店で一番賑やかな一角となっていた。
もう何杯目かのグラスを、ロッテはドンと置く。
「大体ねえ! な~んで女だけ、長く働いているだけで “ お局 ” なんて言われなきゃなんないのよ」
「あらぁ! あたしは逆に羨ましいわ。“ お局 ” なんて呼ばれてみたい! 正真正銘、女だってコトでしょ?どうせあたしなんて、あと十数年で “ おっさん ” て言われるんだから……ううっ」
一度引っ込んだ涙が、アリスの目にまた溢れ出す。
「こら、アリス! 泣くんじゃないの! 男でしょ!」
「女よ!!」
「どっちでもいいわよ! 嫌なことは、飲んでぜ~んぶ忘れちゃいなさい。すみましぇ~ん! お代わり二つお願いします!」
情緒も呂律も怪しいが楽しそうな二人を、リンディはにこにこと眺めている。
「でもさ、姐さんは本当にカッコいいわよ。男達の中で、バリバリ働いているんだもの」
「あんただって、女達の中で働いているじゃない。勇気がなきゃ出来ないことよ」
「うう……あたしっ……あたしね、本当に本当に女に生まれたかったの。何で神様は間違えちゃったのかしら」
「私だって、どうせお嫁さんになれないなら、男に生まれたかったわ。そうしたら、もっと卑屈にならず、胸を張って堂々と生きられたのに」
「あたし達……性別が逆なら幸せだったかしら」
「どうかしらね……こればっかりは分からないわ。理不尽でも、不平等でも、人生はたった一度きりだもの」
新しく来たグラスの水面を、しばし感慨深げに見つめるアリスとロッテ。「はい、どうぞ!」とリンディに明るく差し出されると、二人は目を合わせ微笑んだ。
女になりたいアリスと、男になりたかったロッテ。抱えるものは違えど、互いの苦悩は痛いほど分かる。そこには年齢も性別も超えた、不思議な友情が芽生えようとしていた。
「リンディ……貴女、本当にブロッコリーが好きなのね」
「そうなんですよ! この子ったら学生の時も、ブロッコリーばかり食べちゃうんだから」
二人が盛り上がっている間に、リンディは旬のブロッコリーメニューを何皿も平らげていた。
「だって、もしゃもしゃして美味しいんだもの!」
「いいわよ。お酒があんまり飲めないんだから、好きなものを好きなだけ食べなさい。ほら! アリスもじゃんじゃん頼んで! 遠慮なんかするんじゃないわよ?」
ロッテはドンと胸を叩く。
「ありがとうございます! じゃあ、グラタンとソテーをもう一皿ずつと……」
「姐さん、あたしもこれ食べたいわ!あと、お酒のお代わりも……」
「いいわよいいわよ! 女だってね、可愛い後輩達にお腹一杯食べさせるだけの甲斐性があるんだから。お局万歳よ!」
そう言いながら、ロッテも酒をぐいと飲み干す。
「すみましぇ~ん!お代わりを……」
三人の宴はまだまだ続いた。
今夜もルーファスは、アパートの暗い窓を見上げて肩を落とす。
(当たり前か……もうこんな時間だもんな)
明日も休日だというのに、王宮へ来いと命じられた。さすがに仮病でも使って断ろうとしたが、国王陛下も交えて絵画を鑑賞しようと言われては、断ることが出来ない。
あの手この手で約束を取り付けては、自分を拘束する王女。まるで奴隷ではないかと、ルーファスは叫びたくなった。
苛立ち紛れにポストを乱暴に開けると、そこには二通の手紙が入っていた。一通は父デュークから、もう一通は……タクト。
(やっと返事が来たか!)
階段を駆け上がり部屋へ飛び込むと、ビリビリと乱暴に封を切った。
『義兄上、お返事が遅くなり大変申し訳ありません。また、王都へ伺うと言いながら、結局帰国出来なかったことをお許しください。急に研究室の仕事が忙しくなり、身動きが取れなくなってしまったのです。それは網に絡まったイカのように……』
くだらない前置きはすっ飛ばし、本題から読み進める。
『……ご相談いただいていた魔道具の件ですが、先日ワイアット教授に再びお会いする機会がありましたので、訊いてみました。特徴をお伝えしたところ、魔力だけではなく、呪術も加えられているのでは? とのご回答です』
呪術……
ルーファスの背中がゾクリとする。
『実物を見た訳ではないので何とも言えないが、指輪に使われているのは時を戻す砂で間違いなさそうだ。ただ、一度着けたら外れない、記憶を失くすなどの効力は、呪術によるものではないかと仰っていました。そして、割れてもいないのに、石の砂が減っていくという奇妙な現象についてですが……何かの残り時間を示しているのでは、とのことです』
聞きたくなかった答えに、便箋を握る手が震え出す。
『夫婦が身に着ける物ならば、夫婦に関する何かの残り時間ではないか。ただ砂の減り方が異なるのであれば、夫と妻、それぞれの何かに関すること。例えば……愛情がなくなるまでの時間、健康でいられる時間、そして、別離までの時間など』
“ 別離 ”
ルーファスの中で、その言葉が一番しっくりきてしまった。
『魔術だけでなく呪術が加えられていると仮定するなら、時の巻き戻し効果は未知数である。また、一度身に着けたら一生外れない可能性もある。危険な黒魔術でないことを祈る……と。教授のご回答は以上です』
(黒魔術……悪魔と契約し、身を滅ぼす危険な魔術。そんなものが、もしこの指輪に使われているとしたら……!)
『義兄上、ところでそのアクセサリーは、一体どなたが着けているのですか? 今度私も……』
ルーファスは最後まで読まずに、ふらふらとソファーに倒れ込んだ。
(夫婦の別離といえば、離縁か死別。だが、もし離縁であるなら、砂の減り具合は両方とも同じはずだ。しかも自分とリンディは実際結婚などしていないのだから、離縁などあり得ない。片方だけ減るということは……)
『石の砂は相手を表す』
ルーファスは薬指を見て青ざめる。
(そんな訳がない! だってリンディはまだ成人したばかりだし、あんなに元気じゃないか。違う、これは、この砂は、何か他の時間を表しているはずだ)
必死に考えれば考えるほど、他の何かが思い浮かばない。気持ちを落ち着ける為に、タクトの手紙を一旦置き、父からの手紙を開いた。
ところが読み終えたルーファスは、更に浮かない表情で頭を抱える。王女との婚約について話をしたい、一度屋敷へ帰って来いという内容だったからだ。
(婚約? まさか、命じられたら断ることも出来ないのか? 食事や散歩と同じように。
……万一の時は、自分の顔に傷を付けてでも回避してやろう。あのプライドの高い王女が、醜い男と結婚などする訳がないのだから)
そう覚悟を決めた時、どこからか男の歌声が聞こえてきた。それは次第に大きくなり、窓のすぐ下で響いている。
(煩いな……酔っ払いか? 全く何時だと思ってるんだ。リンディが眠っているのに!)
尖っていたルーファスの神経は、その酷く音程の外れた歌に逆撫でられる。文句を言ってやろうと窓を開ければ、体格の良い派手な……男? が、ふにゃふにゃした何かを背負いながら陽気に揺れていた。
「……リンディ!?」




