第24羽 花束に落ちた涙
三ヶ国会議後のあの夕食以来、ルーファスは何度も王女に誘われる羽目になった。初めの頃は若い大臣らと共に招待を受けていたが、今は彼一人だけ、ほぼ毎晩呼び出される。夕食だけでなく、休憩時にはお茶や庭園の散歩まで。
ルーファスはうんざりしていた。つまらない話に愛想笑いをするのも、馴れ馴れしく腕を組まれるのも。
アリエッタ王女は、彼の一番苦手なタイプの人間だった。こちらが断れないのをいいことに、身勝手な好意で振り回す。王女でなければ絶対に関わらないだろう。
そのせいで、最近はほとんどリンディと帰ることが出来なくなった。帰宅時間もどんどん遅くなり、今もアパートを見上げれば、既にリンディの部屋の灯りは消えている。
(今日はどんな絵を描いたのか、昼は何を食べたのか……沢山聞きたかったな。リンディの他愛ないお喋りは、王女が得意気に語る社交界のくだらない噂話の、何百倍も価値があるのに)
夜に会えなくなった分、ルーファスは以前よりも朝早く起きて、リンディとの時間を作るようになった。それはリンディも同じで、鶏の鳴き声と共に部屋に飛び込んで来ることもある。ゆっくり朝食を摂りながら、夜の分まで会話を楽しみ、時には馬車に乗らずに、こうして朝の心地好い風を浴びながら王宮まで歩く。
(せめてこの時間だけは、誰にも邪魔されたくない)
朝日に輝くリンディの笑顔を見て、ルーファスは幸せな気持ちに浸っていた。
◇
(────思った以上に素敵な男性だった。容姿は勿論最上級。頭脳明晰で品が良く、物腰も柔らかで。
庭を並んで歩けば、遥か上から聞こえる声に胸がときめく。絡めてみた腕は、スラリとしているのに筋肉質で……思い出すだけで、身体が熱くなるわ)
宰相の息子であり、王家の血を引く公爵家の令息。申し分のない家柄は、王女である自分とも釣り合う。こんなにふさわしい男性は、もう二度と現れないだろうとアリエッタ王女は思っていた。
(きっと彼も私に好意を寄せているはずだわ。口数は少ないけど、私が何かを話せば、優しく微笑んで相槌を打ってくれるもの。このまま順調にいけば、結婚を申し込まれるのも時間の問題ね。
……だけど、夜だけでは足りないわ。朝も、昼も、休日も、もっと沢山会って距離を縮めたい。
そうだ、今夜は気分を変えて外食にしてみようかしら。私が直接誘って喜ばせてあげる)
アリエッタ王女は急いで身支度を整えさせると、居ても立ってもいられず、王宮勤めの者達が出入りする裏門へと向かう。普段ならまだのんびりと朝食を摂っている時間に、柱の陰からこっそりとルーファスを待ち伏せていた。
(……来た! 今日もなんて素敵なの)
飛び出そうとしたが、彼の隣を見て思い止まる。
(あの女、見覚えがあるわ。確か……)
朝日を纏う二人の間には、他の者が入り込めない特別な空気が漂っている。それは甘く、優しく……まるで恋人同士のようではないか。
王女は柱にギリギリと爪を立てた。
◇
今日は珍しく王女の誘いがないなと、ルーファスは時計を見やる。
(この時間になっても連絡がないということは、今日は用がないということか)
久しぶりにリンディと帰れると思えば、ペンを持つ手が軽快に踊り出す。
(早く仕事を終わらせて、市場へ買い物に行こう。好きな材料を買って、二人で好きな物を作って……デザートはケーキがいいな)
仕事中は滅多に感情を表さないルーファスだが、その顔は、知らず知らずのうちに綻んでいた。
「嬉しいな! お義兄様と一緒に帰れるの」
終業後、裏門へ続く廊下をスキップするリンディに、ルーファスも笑みを向ける。
「この時間ならまだ市場が開いてるから、一緒に買い物へ行こう」
「やったあ!」
門を出ようとしたその時……
「クリステン卿」
ねっとりした声で呼び掛けられ、ルーファスのこめかみがピクリと動く。振り返ると、そこには今一番会いたくない女が立っていた。
「私としたことが、今日はお誘いするのをうっかり忘れてしまいまして……申し訳ございません」
ちっとも申し訳なくない。むしろ今日は会わなくて済むと喜んでいましたよ、と喉元まで出かけた言葉をルーファスは呑み込む。
「あら、貴女は……もしかして、リンディじゃない?」
知り合いか? と隣のリンディを見れば、さっきまでの笑顔はすっかり消え失せ、全身が強張っている。
「女学校で一緒だったでしょ? まさか、この私を覚えていないの?」
いつかのように、みるみる顔が曇っていくリンディに、ルーファスははっとする。
「ふっ、覚えていなくても仕方ないわ。未だにまともな挨拶が出来なくても。だって、あのリンディ・セドラーですものね」
笑いながら棘のある言葉を放つ王女に、ルーファスは嫌悪感を抱く。
「まあ……セドラーとは言っても、セドラー家の血なんか一滴も引いていない、下級貴族の養女でしょ? 道理でお兄様とは全然似ていないわけだわ。貴女、王宮で働いているの?」
「はい。“ 私の妹 ” は、宮廷絵師として働いております」
ルーファスが間髪を入れずにそう返すと、王女は「絵師……」と呟きぷっと噴き出す。
「貴女、絵師になったの。女学校の時も、授業も聞かないで一日中絵ばっかり描いていたものね。私、当時は貴女のことを随分心配していたのよ。王女として学校の規律を正さなければいけなかったから……つい煩く言ってしまってごめんなさいね」
やはりそうかとルーファスは確信する。怒りを抑え、作り笑いを浮かべると、王女へ向かった。
「リンディを支えてくださったのですね。ありがとうございます。国王陛下だけでなく、王女殿下にも気に掛けていただけたとは……妹は果報者です」
「陛下……お父様に?」
「はい。リンディが宮廷絵師になったのは、国王陛下のご推薦を頂いたからです。丁度女学校の時にコンクールで受賞した絵を、陛下がお気に召されまして。三ヶ国会議の資料の絵も、リンディが描いた物は特に好評で、陛下直々にお褒めの言葉を賜りました」
「あら、そうでしたの」
面白くなさそうな顔をする王女。だがすぐにルーファスの腕を取り、猫なで声で言った。
「ねえ、今夜は外でお食事しませんこと? サレジア国の有名なレストランがこちらにも支店を出したんですって。食材からこだわっている高級店ですから、私達の口にも合うと思うわ。……リンディ、貴女もよかったら一緒にいかが?」
ルーファスはリンディの手を取る。冷たく震えているのに気付くと、包み込むようにしっかり握り直した。そして、王女へ向かい毅然と言い放つ。
「折角ですが、リンディの体調が悪いので今日は遠慮させていただきます。王女殿下はお優しいので、ご理解いただけますよね。……では」
頭を下げると、返事も待たずにさっさと外へ出た。
(私の誘いを断るなんて!)
取り残された王女は、屈辱感にわなわなと震え出す。
「……本当の兄妹じゃないくせに」
ぼそっと呟かれた言葉は、反響することもなく消えていった。
市場に着くまでの間、リンディは一言も喋らなかった。握ったままの小さな手は、少し温かくなってはきたものの、まだ震えている。
野菜売り場である物を見つけたルーファスは、すぐに金を払いリンディに渡す。すると、虚ろだった青い瞳がパッと見開いた。
「……大きい!」
「大木みたいだろ? 気持ち悪いけど茹でてあげるよ。これだけ大きければ、サラダにスープに、何でも作れるな」
「もしゃもしゃして、すごく美味しそう!」
やっと笑顔が戻ったリンディに、ルーファスはほっとし、優しく語りかける。
「リンディ、今の君には沢山の居場所がある。ランネ学園の友達や先生、絵師の先輩。家族や屋敷の者はずっと味方だし、何も恐れることはない」
「……うん」
今にも泣きそうな白い頬を、長い指でふにっとつまむ。
「君は、君のままでいいんだよ」
花束のような巨大なブロッコリーに、ほろりと涙が落ちた。




