第22羽 砂時計の仕組み
『リンディ、君がムジリカ国に帰ってしまってから、僕は歯の抜けたカバのように食事もままならず、足を切り落としたタコのように動けないでいます』
(……アイツ、相変わらず語学がダメだな)
独創的な書き出しから始まるタクトの手紙に、ルーファスは苦笑する。
『だけど驚いてください! 君に会えない寂しさを、研究への情熱に注ぎ込んだ結果、ついに時を戻す魔道具の開発に成功したのです! きっかけは、我がランネ学園の名誉教授、ワイアット氏との対談でした』
ワイアット教授。
その名にルーファスは思わず前のめりになる。もう90歳は越えているはずだが、魔術の知識においては未だに国内外問わず右に出る者がいない。
王都学園時代は、彼の教材で魔術を学んでいたルーファス。いわば魔術界の神に会えるなんて……なんと羨ましいと、ため息を吐いた。
『時を戻す魔道具について相談したところ、大変興味をお持ちになり、研究に協力してくださいました。既存のどの魔力を組み合わせれば、時を動かせるのか。手当たり次第に試しては失敗続きの僕でしたが、ワイアット教授は全てを一旦白紙に戻し、魔力の性質から見直されました。そしてついに辿り着いたのが……!(ここからは極秘でお願いします)』
興奮で便箋を捲る手が震える。
『光の魔力、回復魔力、そして、地の魔力の組み合わせでした』
地の魔力……動を鎮め、不動を揺らす魔力で、主に精神や魔力のコントロールに使われる。
非常に希有で、此処ムジリカ国での保有者はいない。比較的魔力を持つ者が多い隣のサレジア国でも、ほんの数人しか保有していない魔力である。
(光、回復魔力までは自分も考えたことがあったが、そこに地の魔力を加えるのか……!)
『何故この三種類の魔力で時を戻せるかと言いますと、時間の進み方を光の速度から捉えることにより……長くなりそうなので、省きます。方法だけ簡単に説明すれば、地の魔力で光の魔力(転写)を最小限に圧縮した後、回復魔力と共に最大限に揺らす。このエネルギーを砂に込めることで、過ぎ去った時を復元──つまり時を戻せるのです。(義兄上はきっと興味をお持ちでしょうから、計算式も同封しますね)』
他人のくせに相変わらず馴れ馴れしいと、ルーファスは眉根を寄せるが、同封された計算式には向学心が騒ぐ。
『地の魔力は大変貴重なので、サンプリングに苦しむかと思いましたが……何とサレジア国の皇女殿下のご子息が地の魔力をお持ちでいらっしゃるとのことで、力を貸していただけたのです。これもサレジア国皇室と深い繋がりを持つ、ワイアット教授のお蔭です』
(皇女殿下のご子息が保有者なのか! ……凄いな)
本や教材でしか知らない魔力に、ルーファスはわくわくする。
『という訳で、無事に貴重な魔力のサンプリングに成功し、試行錯誤を経て、ついにあの砂時計が完成したのです!
さあ、何分時を戻せたと思いますか?』
「急にクイズ形式だな。……せいぜい三分てところか?」
「五分!」
一緒に便箋を覗いていたリンディが叫ぶ。二人は顔を見合わせくすりと笑うと、答え合わせの為、次の便箋を捲った。
『正解は…………僅か一分でした。あんなに苦労したのに、ドーナツはひと欠片分しか皿に戻って来ませんでした(味は美味しかったです)』
(まだドーナツで試してるのか!)
ルーファスはかつてのぽっちゃり少年を思い出し、ぷっと噴き出す。
『ですがこれは、魔術界における非常に大きな革命です。次は三分、五分……いずれ十分以上時を戻して、リンディに美味しいおやつを何回も食べさせてあげたいです』
(勲章や名誉を得る為ではなく、リンディをおやつで喜ばせるのが研究の目的とは……タクトらしいな。まあ、アイツのそんなところは嫌いじゃない)
しかし最後の一行を見るなり、ルーファスは乱暴に便箋を折り畳んだ。
『追伸 : 来月一度帰国するので、王都を色々案内してください!(義兄上はお忙しいでしょうし、リンディと二人きりで結構です。どうかお気になさらず)』
「すごい! タクトってば、本当にあの砂時計を作っちゃったのね! ドーナツひと欠片でも本当にすごい!」
「……ああ、そうだな」
手放しでタクトを褒めるリンディが面白くない。ルーファスは、ふて腐れた顔をする。
「帰国した時に沢山話を聞いてみようっと! ああ、楽しみ!」
「……リンディ、君は勤め始めたばかりで、タクトに構ってる暇なんてないかもしれない。ぬか喜びさせると可哀想だから、“ 義兄上 ” が丁寧に王都を案内してやると手紙に書いてくれ」
「本当!? きっとタクトが喜ぶわ! ありがとう、お義兄様」
ルビー色の瞳が、意地悪く細められた。
夕飯を終え一人になったルーファスは、計算式を何度も解いては考える。時を戻す仕組みは解ったが、指輪についてはまだ謎だらけだった。
穴が空くほど読んだ説明書を開き、一文字ずつじっくりと目で追う。
『この指輪は、夫婦の契りを交わす男女に適している。互いの薬指に嵌めると同時に、石の砂は相手を表す。
それぞれ一度だけ、相手への想いで石を潤した時にのみ、願った時に戻ることが出来る。それまでの記憶は願った方にしか残らないが、指輪は互いの指に残る。
尚、指輪に愛された者達に限り、互いの砂を分け合うことが出来る』
(────もう一度、整理してみよう。
現時点で確かなのは、指輪の砂が減り続けていることと、着けた者以外には見えないことだけ。
これから起こり得るのは、何かの条件を満たした場合のみ、願った時に戻れること。砂時計とドーナツで考えてみれば……単純に若返る可能性が高い。
それにより一方は記憶を失うこと。ただ、『それまでの記憶』とは、どこからどこまでの何の記憶なのか。範囲は曖昧。
そして……砂を分け合えるということだが、『砂』の意味が分からないことには、解読不能だ)
またしても過る嫌な想像から逃れようと、ルーファスは指輪を手で覆う。
(そうだ。幾ら周りには見えないと言っても、互いの薬指には確かに指輪が嵌まっている。年齢的に、自分にもリンディにも、これから本格的に縁談話が舞い込むことが予測されるだけに、指輪がその障害になってはいけない。
……結婚か。自分は一体、どんな女性を人生の伴侶に迎えるのだろう。全く考えられないな。
リンディは一体、どんな男を選ぶのだろう。彼女の性質を理解し、才能を敬い、生涯愛し守り抜く。そんな男でないと、自分は安心して彼女の手を離せない。
手を……離せるのか? 想像するだけでこんなに苦しいのに)
ズキズキと痛む胸を押さえながら、ルーファスは覚悟を決めてペンを握った。




