第15羽 遠く離れて
『サレジア国 ランネ学園芸術科』
パンフレットの文字を見たルーファスは、両親の考えを理解し、はっと顔を上げる。
ランネ学園とは、隣国サレジア国にて四十年以上前に創立された学校で、身分や貧富の差に囚われない自由な校風が特徴だ。
確か芸術科などの専門コースは高等部のみだったと記憶していたが……
「来年度から、中等部も専門コースが選べるらしい。転校という形にはなるが……リンディには普通の女学校よりも合っている気がしてね」
「リンディを一人で外国へ行かせるということですか」
「調べた所、他国の生徒の受け入れ体制も非常に整っている。寮での生活も、慣れるまでは手厚くサポートしてくれるそうだ。……勿論、リンディの気持ち次第だが」
再びパンフレットに目を落とし、渋い顔をするルーファス。それを見て、デュークは静かに口を開いた。
「実は……リンディの転校を勧めたのは、王室だ」
「王室が? 一体何故ですか?」
「先月、リンディが絵画コンクールで賞を取っただろう。その絵を国王陛下がご覧になった」
「陛下が……!」
「ああ、大層お気に召して、いずれはリンディを絵師として迎えたいと仰ったんだ」
王室専属の絵師────宮廷絵師とは、いわゆる記録係である。描いた絵は外交に使われたり、歴史資料として保管される為、正確に、鮮明に描くことが求められる。よって転写能力に長けた、光の魔力の保有者が選ばれることが多い。
「……リンディの絵は確かに素晴らしいのですが、感性で描かれている物がほとんどで。記録には向かないように思うのですが」
「ああ、私もそう思う。進言したところ、陛下はそれでも構わないと仰った。王宮に飾る絵や、壁画などの芸術的な作品を描いてくれれば良いと。ただリンディの為にも、リアルな絵も描けた方が仕事の幅が広がるのではと仰ってね。折角光の魔力を保有しているのだから、勿体ないと」
「それで転校を……?」
デュークは頷く。
「女学校で一般的な教養を広く身に付けるよりも、得意なことを伸ばしてやった方が、あの子にとっては良いと思う。フローラも、もしリンディが望むならと前向きだ」
個性を押さえ付けられることなく、好きな絵を思い切り学べる。リンディにとって、これ以上の恵まれた環境はないだろう。だが……ルーファスは複雑だった。
「……フローラとリンディも此処へ呼ぼう。家族で話し合う、丁度良い機会かもしれない」
リンディはデュークから渡されたパンフレットを、食い入るように見つめている。
「どうだ? リンディ」
問い掛けるも返事がない。パンフレットの表紙を指でなぞりながら、ひたすら青い目を輝かせていた。
そこに描かれているのは、芸術科の生徒達がデッサンをしながら笑い合う、何気ない授業の光景。だが、生徒達の生き生きとした表情や、話し声まで伝わるような躍動感のある絵だった。
「この絵……すごく素敵! 光の魔力でもないし、魔道具でもないし、普通の黒いインクで刷られてるだけなのに!」
「ああ、その絵は芸術科の卒業生が描いたものらしいよ」
「私、今まで絵を描く時は色を大事にしていたの。でも、色のない絵がこんなに素敵だなんて……」
ほうっとため息を吐くと、リンディは言った。
「お義父様、私この学校へ行きたいです。此処へ行けば、こんな絵が描けるようになるかもしれないから」
頭をガンと殴られたような衝撃に、ルーファスは言葉を失う。
フローラはリンディの手を握り、真剣な顔で向かい合った。
「リンディ、この学校があるランネ市は、いくら国境とは言え外国なのよ? あなた一人で、家族と離れて、寮で暮らせる?」
「……うん! だって、いつかは本当に家族と離れなきゃいけないんだもの。私は此処にいると甘えてしまうし、今から少しずつ練習するわ」
しっかりしたリンディの答えに、家族は驚き、そして胸に込み上げるものがあった。リンディは更に意外なことを口にする。
「絵を勉強して、絵を仕事に出来たら、自分の力で生きていけるんでしょう? 私、将来誰とも結婚は出来ないと思うから頑張るわ」
「リンディ……何故そんなことを!」
声を荒らげるデューク。
「だって……私、変だから。誰も結婚したがらないと思うし、私も誰とも結婚したくないわ。子供まで数字が見えなくなったら嫌だし、怒られたら可哀想だもの」
デュークは立ち上がり、泣きそうな顔で娘の元へ近付く。
「リンディ……何故、女学校を卒業したいと言ったんだ? 本当はずっと辛かったんだろう?」
「……嫌だったの。公爵令嬢なのに卒業出来なかったら、お義父様やお母様やお義兄様……みんなまで変に思われてしまうでしょう? 私が何か言われるのは本当だからいいけど、みんなが言われるのは絶対に嫌だったから」
もうデュークはリンディを抱き締めている。フローラも横から抱き付き、泣きながら金色の二つの頭をわしわしと撫でた。
ひとしきり泣くとデュークは娘から離れ、微笑みながら言う。
「リンディ。私は君のことを、変どころか誇りに思っているよ。まだ13歳なのに、あの気難しい王様に認められたんだから」
「……そうなの?」
「いつかご自分の部屋を、全て君の壁画にしたいとも仰っていたよ。壁も天井も」
「すごい……王様のお部屋に絵が描けるの?」
「ああ、君は本当にすごい子だ。初めて会った時から私は、君を娘にしたかったのかもしれないな」
フローラの胸には、あの雨の日が浮かんでいた。自分の帽子にかたつむりを入れて差し出すデュークと、それを嬉しそうに受け取るリンディ。
血の繋がりはなくても、二人は紛れもない父娘だ。
(この人と結婚して良かった……)
フローラは心からそう思っていた。
話が終わり、リンディと共に部屋を出ようとするルーファスに、デュークは声を掛ける。
「……ルーファス、お前も自分の将来を考えて、真剣に進路を決めなさい」
パンフレットを胸に、嬉しそうに廊下をスキップするリンディ。ルーファスがこんな義妹を見るのは久しぶりだった。
(自分ではなく、まさかリンディが離れていくなんて考えもしなかった。王都と外国。遠く離れて……僕と離れて……君は平気なのだろうか?)
思わず聞き掛け、口をつぐむ。
彼女があっさりと転校を決めてしまったことに、ルーファスはショックを受けていた。そしてそんな自分にも腹が立っていた。兄として、リンディの幸せを一番に考えてやらねばならないのに。何て身勝手なんだろうと。
(リンディが居なくなるなら、自分も此処に居る意味はない)
────もう進路は決まっていた。
あれからリンディは部屋で一人、何度もパンフレットを見ては絵を指でなぞっていた。
(寂しいな……お義兄様と離れるの。私一人で、上手く歩けるかしら。でもいつか、お義兄様の隣に並んでも恥ずかしくない大人になる為に、しっかりと勉強しなきゃ)
美しい絵が、涙で滲んでいった。
◇
それから二週間ほど経ったある日のこと、ルーファスの通う王律学園の廊下には、慌ただしい足音が響いていた。
「お義兄様!!」
ルーファスは顔をしかめる。自分をそう呼ぶのはリンディとあともう一人……
振り返れば、細長いひょろっとした少年が立っている。茶色い髪と茶色い目以外には、全く昔の面影はない。この姿に見慣れるまでに、随分時間がかかったものだ。
声変わり中のハスキーな声で、少年は叫ぶ。
「リンディがサレジア国に行っちゃうって、本当ですか!?」




