46 50年前②
「そんなに落ち込むなよジョン。最初から許嫁が決まってただろ」
「落ち込んでなんかねえよ」
ジョンはスラックスのポケットに両手を突っ込んだ。ハルミとカナメの結婚式は、トウの一族の屋敷のある、北ブロックの主要都市、ルリノテカンで行われる。まだパーティーの開演には時間があったが、良家や、一族と関わりのある団体が大勢来ていて、玄関ホールで待っていた。
「俺たちが招待されただけ喜ぼうぜ。あの現場でグラスをいじったのは俺たちだ。毒を入れたのが俺たちだったと、変な疑いをもしかけられていたとしたら呼ばれるはずはなかった。俺たちは疑われなかったのさ」
ジョナサンが言った。
「どういうことだよ」
「ハルミはグラスと俺たちの関わりについて、声高に言及しなかったってことだよ。単なる同情心かもしれないけど、少なくとも嫌われてはいないって考えてもよさそうだろ?」
「お前いいこと言うな」
開演の合図のアナウンスが入り、ホールの奥の扉が開いた。客たちはぞろぞろとその部屋へと移動した。
「悪いけど席とっててくれない?俺、ちょっとトイレ」
ジョンが言った。
「なんだよ、俺もちょっと行きたいと思ってたのに」
双子は尿意を催すタイミングも共有することがよくあった。ジョンは小走りで駆けていったので、ジョナサンは仕方なく席を探した。
「ちょっと。黙ってこっちに来て」
ジョンが用を足し終えて廊下を歩いていると、突然角から腕がにゅっと伸びてきてジョンの腕をつかむと、力任せに通路に引っ張り込んだ。
「なにすんだよ!」
振り払ってその人物の顔を見ると、ジョンは動きをぴたりと止めた。
「ハルミ……?」
薄桃色のドレスに身を包んだハルミだった。
「しーっ」
ハルミは唇に人差し指を立てた。
「お願いがあるの。黙ってついてきて」
「もうすぐお披露目が始まるんじゃ……」
「うるさい。いいからついてきて。そうしないと、前回のパーティーで毒を仕込んだのはこのヒトですってケビイシにチクるわ」
ヒュウ、とジョンは短く口笛を鳴らした。
「ずいぶん積極的だ。悪くないね」
控室に二人は忍び足で入り込んだ。ハルミは自分が着替えるためのスペースにジョンを入れた。
「あの、君の気持ちは嬉しいんだけれど、二人っきりというのはさすがにもう少し段階を踏んでからのほうがいいんじゃないかな。ええと、君には今日結婚する予定の相手もいるわけだし」
ハルミは落ち着かないジョンを無視してドレッサーの引き出しからビニールの紐付きの袋を取り出し、中身を机の上にぶちまけた。婚約指輪だ。30個ほどある指輪は、どれも美しい石がトップにあしらわれ、見るからに高級な仕上がりだ。
「こんなにもらったんだ……」
「お願い。この中から今日私が結婚する、カナメの指輪がどれか見つけてほしいの」
ハルミはやや潤んだ目でジョンを見て訴えた。
「はあ?なんで俺が?」
「この前のパーティーでこの指輪たちをもらったんだけれど、あの夜、いろいろ事件も起きたりしてバタバタしたでしょう。それで、私、ついいらいらして、指輪をこう、ガシャーンってぶちまけてしまったのよ。それで、次の朝気付いたんだけど、私の結婚相手の指輪はいったいどれだっただろうってわからなくなってしまったの」
「そんなの俺にもわかるわけないよ」
「でも、あなた以外にお願いできるヒトなんていない。あのパーティーで私にからんできたのに指輪をくれなかったのはあなただけ。指輪をくれたヒトの中の一人に助けを求めたりなんかしたら面倒なことになるし、言い訳ができなくなる」
「バーカウンターで怪しい動きをしたけど、黙ってたって貸しもあるし?」
「とにかく。ここでもし間違った指輪なんかはめて行ったら良家の関係はおしまいなの。お願い」
ハルミの手は震え、顔は青ざめていた。
「……いいよ。いっしょにどれだか考えよう」
ジョンは指輪を手に取った。結婚相手なのに相手の目の色も確信をもってこれだと言えないのだ。望んだ結婚でないのは明らかだった。しかし、ここで自分にできることは正しい指輪を見つけてあげることくらいだった。
「本番まであと何分?」
「15分くらい」
「よし、俺はすぐにカナメの目の色を確認してくる。たしか赤茶色みたいなくすんだ赤系の色だったはずだ。すぐ戻るよ」
ジョンは着替えスペースを抜け出した。ハルミはその背中を不安そうに見送った。
「ジョナサン!おい、緊急で話がある」
ジョンはトイレから出てきたばかりの弟をジャストなタイミングで捕まえた。だいたい弟の行動は読める。
「なんだよ。なかなか戻ってこないから俺もトイレに来たんだよ。早く会場に戻らないと式が始まっちゃうぜ」
「それどころじゃない。協力してくれ。今すぐカナメの目の色を知りたいんだ」
「カナメ?なんで急にそんなこと言うのかわからねえけど、さっきすれ違ったよ」
「本当か?目の色は覚えてるか?」
兄がすごい剣幕で両肩をつかんで揺さぶってくるのでジョナサンは目を白黒させた。
「お待たせ。見てきたよ」
ジョナサンが着替えスペースに入ると、ハルミは今にも泣きそうな顔をしていた。ジョナサンは机の上に散らばった指輪を一つずつ光に透かしつつ調べていった。
「これだ。間違いない」
ジョナサンは一つの指輪を取り上げた。
「本当?」
ハルミはもうほとんど泣き笑いのようになって言った。ジョナサンは恭しい手つきでハルミの手を取ると、その指輪をハルミの指にはめた。
「これで大丈夫。あんまり思いつめない方がいい。君は笑ってるほうがきれいだ」
ハルミはぎこちなく笑顔を作った。
「ありがとう」
「もうすぐ時間だ。それじゃ」
ジョナサンはすぐにその部屋を後にしようとしたが、ハルミはその腕をつかんだ。
「名前を聞いてもいい?前会った時は教えてもらわなかったから」
「ええと……」
「あ、言っておくけど、あなたのじゃないわ。あなたの兄弟の方の名前よ」
ジョナサンは驚いて一瞬視線が宙をさまよった。
「気付いてたの?俺たちが双子だって」
「もちろんよ。手品のときから気付いていたわ。透明なグラスを滑らせたのと、ピンク色のグラスを持って現れたのは別のヒト」
「よく気付いたね。完璧におんなじ恰好をしてたと思ったんだけど」
「それくらいわかるわ」
ノックの音がした。会場につながるほうのドアだ。
「スタンバイお願いします。あと2分です」
「俺はジョナサンであっちはジョンだ。俺はそろそろ行くよ」
しかし、ハルミはまだジョナサンの腕を離さなかった。
「ねえ、これから、私と友達でいてくれない?」
「いいよ。ジョンも君からそう言ってもらえたと知ったらきっと喜ぶ」
「……」
「なんだよ。そろそろ行かないと見つかっちゃうよ」
「指輪が欲しかった」
「え?」
「あなたじゃなくて、ジョンからの指輪が欲しかったな」
ハルミは切なそうに笑うと、ジョナサンを押しのけ、会場へとつながる廊下に出ていき、ドアをバタンと閉めた。
飾り付けられた部屋、着飾った人々。花嫁と花婿は向かい合った。客たちは息をのむようにしてその様子を静かに見守っている。
カナメはハルミの前に片膝をついて見上げるような姿勢を取る。片手を差し伸べ、指輪をはめたハルミの手を取る。
「名前を呼んでもいいですか?」
「……はい」
ハルミは静かに言った。
「オキナグサ、私と結婚しましょう」
会場は拍手に包まれる。カナメは立ち上がり、ハルミとともに観客のほうを向き、お辞儀をした。二人の結婚が認められた。
「はあ?なんだって?爆弾?」
ジョナサンは思わず大きな声で聞き返す。
「バカ!声がでかいんだよ。さっき、そこで聞いたんだ。二人のために作られたウェディング寿司ケーキの中には小型の爆弾が仕掛けられていて、入刀とともに爆発する」
「ウェディング寿司ケーキに突っ込んでいいのかわからないけど、そいつはなんだ」
「今は重要な問題はそこじゃないだろ。早く止めないと、大変なことになる」
「わかったよ。今は置いておこう。この事は誰かに知らせたのか?今ケーキはどこに?」
「誰にも言ってない。ケーキは厨房にあるはず。今、お披露目で正式に結婚を認められている最中だろ。これが終わったらすぐケーキ入刀だ。どうしよう」
「俺たちがまた現場にいたら、いよいよ疑われるかもしれないが、それでも行くのか?」
ジョンは冗談だろと言わんばかりに天井を仰ぐ。
「あのな、ジョナサン。ハルミの命がかかってんだぞ。俺らが犯人扱いされるくらい、なんだ。たとえ俺といっしょにならないヒトだって、惚れたからには助けるってもんだ。それが本当の愛だろ」
ジョンはもうハルミへの気持ちを隠そうともしなかった。
「それが聞きたかった。よし、行こう」
二人は走り出した。
「なあ、ジョン。ハルミはお前に惚れてたぞ」
ジョナサンは横を走るジョンに言った。
「バカ。もうそんなのはいいんだよ。俺は彼女を好き。一方的だけど、ちゃんと好き。リターンなんかいいんだ。愛してるヒトに対しての正しいと思う行動をするだけなんだよ」
ジョナサンは言葉を返そうと口を開けかけるが、適当な言葉が見つからなかった。
「先月までは別の女の子に夢中だったくせに」
「エミリアのことを言ってんなら、そいつは遊びだ」
厨房に着く。大きなワゴンには身長ほどもあろうかというほどの大きさの白いウェディングケーキが載せられていた。きめ細やかな生クリームがむらなく伸ばされ、絞り袋による美しいクリームの装飾が施されている。
「一体どこに爆弾なんか仕込めるんだ?」
「俺たちが今触ったらクリームに跡がついて絶対にばれる」
「おい、一体何をしようってんだ?」
背後から声がして二人は振り返る。男が立っていた。派手な衣装に身を包み、ピアスが耳を唇に開いていた。
「誰だ?」
「俺はツブの一族のトムソンだ。それは結婚式において欠かすことのできない、大事なウェディング寿司ケーキだ。離れろ!未練がましい振られ男どもめ!」
「これは未練じゃねえ!純粋な愛だ!」
ジョンは食って掛かる。
「というか、今はお披露目中だぞ。なんで会場に行かずにこんなところにいるんだ」
トムソンは二人をにらめつけながら言った。
「そのセリフ、そっくりそのままお返しするぜ、トムソン。俺たちはハルミを救うために命を賭して爆弾解除に挑もうとしてんだ。用がないならさっさとどっか行きな」
「爆弾だと?」
「そうだ。ハルミが爆発の被害を受けないよう、俺たちがここで爆発させるんだ」
「え、ちょ、マジ?」
きっぱりと決意のにじんだ声で言いきるジョンにジョナサンは慌てる。
「何かっこつけてやがる。俺だってハルミを思ってた。お前だけがヒーロー面すんな。――俺にもやらせろ」
「え?は?」
トムソンまでもが兄の無謀な計画を支持したことに、ジョナサンは動揺を隠しきれない。トムソンは堂々とした顔をしてジョンの方へと近づいて行った。
「……ジョン、ちゃんと避けろよ」
言うなりジョナサンは素早くしゃがんで足をトムソンの前に突き出した。トムソンはそれにつまずいて前につんのめる。ジョンは素早く反応し、後ろに飛び退った。トムソンの顔が落ちる先には、ウェディング寿司ケーキが待ち構えている。まるでスローモーションのようにきれいな弧を描いてトムソンの頭はケーキに突き刺さった。双子は自らの頭をガードしながら転がるようにしてケーキから離れる。
「ぷほ!」
トムソンは真っ白な顔でケーキから身を起こした。
「あれ?爆発しない?」
双子は恐る恐るケーキに近づく。ケーキの表面のクリームは剥がれ、ケーキの内部が露出していた。寿司ネタとシャリが大量にケーキの形を模していた。
「おい!誰かいるのか?」
「まずい」
双子は慌てて厨房から逃げ出した。
「ケーキは爆発しなかった。本当は爆弾なんか仕掛けられてなかったのか?それとも、ただ突っ込むのが浅かっただけか?」
「わからない」
「生クリームと寿司って合うのかな?」
「わからない」
「あいつはうまく逃げたかな?」
「知るかよ」
双子は会場に駆け込んだ。ワゴンが運ばれてくる。観客にはトムソンが突っ込んだ箇所が見えないような絶妙な角度でスタッフが運んでくる。ステージには新郎と新婦がケーキ入刀のために待機していた。
ハルミとカナメはケーキの裏側を見て怪訝そうな顔をするが、すぐに取り繕い、何も見なかったようなふりをした。二人に大きな包丁が手渡される。二人は同じ一つの包丁をいっしょに握る。カナメはハルミの一歩後ろに立っている。ハルミは緊張した面持ちでケーキに包丁を入れた。
「駄目だ!」
ジョンがたまらず叫ぶと同時にクラッカーを耳元で鳴らしたかのような破裂音が響き、ジョンの視界は白く染まる。ケーキは四散し、生クリームと寿司ネタ、シャリが周りのヒトに飛び散り、お互いの顔もわからないほど会場全体が真っ白だった。爆弾は爆弾だが、ヒトを殺すような殺傷能力を持ったものではなく、せいぜい食べ物をまき散らすほどの威力だったのだが、会場の客はパニックになった。
「子供だましのミニクラッカーだ。ただのいたずらか」
悲鳴を上げて走り出したり、慌てふためく客で双子だけが拍子抜けしたように立っていた。
「嫌がらせとしては満点だ」
ハルミとカナメは包丁を持ったまま、驚きのあまり体を硬直させて目を見開いていた。もちろん、至近距離でケーキが爆発したので、二人はどちらがどちらともわからないほど顔がクリームまみれだった。
「お前の顔、真っ白だ」
ジョナサンは隣の兄の顔を見て言った。ジョンは舌を伸ばして口の周りのクリームをなめる。
「お前もだよ」
兄弟は噴き出した。
「逃げようぜ」
ジョンはステージまで駆け寄ると、ハルミの手をつかんだ。
「待ちなさい。どこへ行くつもり?」
声がして振り向くと、ハルミの姉、アスカとミノリだった。ステージから遠いところにいたのか、クリームは顔についていなかった。
「避難だよ。爆弾魔のいる物騒なお屋敷から花嫁を脱出させるんだ」
「うまくいくといいわね」
アスカとミノリは踵を返し、ヒトの流れに乗って会場を出ていく。ジョンとジョナサンとハルミもヒトの流れに乗って出口へと向かう。出入口はごった返し、人波に揉まれる。
「きゃ!」
ハルミはふいに後ろから腕をつかまれてよろける。ジョンとつないだ手がほどける。
「ハルミ!」
腕をつかんでいたのは、顔中が真っ白の男だ。
「ハルミ、こっちだ。俺が逃がしてやる。一緒に来てくれ」
「おい!出口はこっちだ!」
ジョンとジョナサンは人波に押され、出口を出てしまう。戻ろうともがくが、押し出される。やっとのことで人波の勢いが弱まったところでジョンは会場へと走って戻る。ジョナサンもそのあとに続く。
「ハルミ!こっちだ!俺の手を取れ!」
ジョンは叫んで、ハルミに手を差し出した。しかし、そのセリフは多くの声と被った。ハルミの周りにはカナメも含め、婚約指輪を渡したであろう男たちがぐるりと取り囲み、皆、ハルミに向かって手を差し出していた。全員、顔はクリームでおおわれてよくわからない。男たちは自分と同じ行動をする輩を見まわしてにらみ合った。突如としてバトルが始まったようだった。ハルミはすべての自分に思いを寄せている男たちを前にして、いったい誰を選ぶのか。
ハルミは泣きそうになって自分を取り囲む全員をぐるりと一周見渡した。
そして、迷いなくジョンの手をつかんだ。他の男たちは呻いた。
「正しいよ。指輪を渡していない俺を選ぶなんてね」
二人は走り出した。
「私、こう見えて計算深いのよ」
その後、ハルミはイチの一族の本館を追われた。これほどの事件が起きたのだ。カナメとの結婚もうやむやになり、ついには取り消しとなった。