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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
97/172

44 50年前①

純白なドレスの背中のファスナーが上げられていく。鏡に映るのはつややかで長いストレートの黒髪、陶器のように透き通る肌、整った美しい顔立ち、鮮やかな緑色の瞳。先月20歳になったばかりのハルミだった。

ハルミはため息をつく。潤いのある、ぷるんとした桜色の唇から重苦しい吐息が漏れる。

「差し出がましいことを言うようですが、今夜のパーティーは形だけそつなくこなして、最終的には許嫁様を選んだように演じるのが一番かと」

ハルミの後ろに立つスーツの男は執事だ。幼いころからハルミのお目付け役だった。

「ええ、大丈夫よ。最初からそのつもりだわ」

ハルミは銀色の大きな輪のピアスを耳につける。鏡の前で顔を動かしてみると、それは優雅に揺れた。むき出しの首筋は青い血管が見えるほど白い。

「少し緊張しているみたい。一人にして」

ハルミは執事に言った。執事は恭しく一礼して部屋から出ていった。ハルミは窓辺に行って外を眺めた。南ブロックの主要都市、ホルトンの真ん中に立つ大きな屋敷、それがイチの一族の屋敷だった。

「どこまでいっても私はこの一族の道具なのね」

ハルミはつぶやいた。パーティーの招待状が送られて間もないころから、ハルミについてのあることないことの噂が流れていることは知っていた。ハルミには許嫁がすでにいるという事実も流出していて、ハルミが男遊びのためにパーティーを開いたという噂だ。

実際、ハルミは自分でも、男と遊ぶのは好きだということを認めているところはあった。最初は息の詰まるような屋敷での生活のちょっとした息抜きのつもりだった。夜に屋敷を抜け出してホルトンの半地下街で夜遊びする。自分の顔や表面だけを見て、薄っぺらく、下心が見え透いてはいるものの、自分を褒め、認め、愛してくれる男といっしょにいるのはとても楽しかった。本当に愛しているわけではないのだろうということが一種の安心感となって、これまでに男をとっかえひっかえ、同時に何人もと付き合い、たくさんデートして過ごしてきた。それは事実ではあるが、誰にも迷惑をかけているわけでもないし、パーティーをしなければ誰にもばれなかったはずだ。

ハルミはベッドの下から古びた箱を取り出し、蓋をとる。埃が少し舞う。中にはハルミが幼いころに描いた絵や、幼いころに遊んでいたおもちゃが詰まっていた。色とりどりのインクで描かれた一枚の紙を取り出す。白いドレスの少女と黒いタキシードの男が結婚式を挙げている絵だ。二人は愛し合っていて、まさに真実の愛だった。

「真実の愛だなんて。……そんなものあるはずない」

ハルミはまた蓋を閉め、箱をもとの場所に戻した。


「えいっ!こんなのはどうだい?」

赤茶色の髪、橙色の瞳の青年はくるりと軽やかにステップを踏んで、きらびやかな宝剣に変えたペンを振って見せた。

「なかなか決まってるぜ、兄弟」

その青年の横を歩くのは、その青年とそっくり同じ見た目の双子の弟だった。双子はジョンとジョナサンだ。

「おい、行儀よくしろ。もう屋敷に着く。どこから見られているかわからないのだぞ。結婚はしなくてもいいと言ったが、このパーティーでリンの一族の家名に泥を塗るような真似だけは許さん」

その二人の頭を後ろから押さえつけるようにしたのは、リンの一族の現家長、ジョンとジョナサンの父だった。

「へいへい。おとなしくしますよーだ。俺たちが兄貴をヨイショして、結婚を全面的に応援してやるから安心しててくれよ、親父」

父親は二人の頭を乱暴に押した。

「何も余計な事をするな。ジョイは出来の悪いお前らと違ってちゃんと、このヒトと決めたヒトを結婚させる力はある」

双子の前を歩く兄のジョイは振り返って鋭い目つきで双子をにらんだ。

「そうかな。兄貴は堅物であんまりモテそうだとは思えないけど。女の子は俺たちみたいに少し愛嬌のあるほうが好きになっちゃうもんなんだぜ」

「いいから黙れ」

屋敷の前に着き、ジョイは襟元を正す。

「リンの一族の者だ」

父親が息子たちを押しのけるようにして門の前にいる使用人に声をかけた。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」

大きな扉が開いた。双子は初めてのパーティーに目を輝かせ、お互いに目配せをしあった。


立食のパーティーが始まる前に出席者たちは屋敷の中にある試験場という場所に集められた。試験場とは、すり鉢状の大きな部屋の真ん中がモンダイと戦えるようになっている場所で、それを取り囲むように客席がある。結婚したいがために集まった良家の年頃の少年少女はみな、この場所で順番に自作のモンダイと戦って見せ、美しい解法を客席の狙っている子にアピールするのだ。

『えー、本日は私の主催するパーティーにご出席いただき、まことにありがとうございます。遠いところからご足労いただいてすぐで大変恐縮ですが、時にも限りがございますゆえ、さっそくお手元のプログラムの順にモンダイとの舞を披露していただきたいと思います。どなたさまも、どうぞ実力をいかんなくお見せください。それでは最初はトウの一族から、カナメ!』

ハルミの父がそうアナウンスして、長いマントを着た青年が試験場に走り出てきた。そして彼が走り出てきた方と反対側の扉から自らが作り出したモンダイを呼び出し、それと戦う。自作のモンダイなので解けて当然だが、みんなにわかりやすい解答を作り、それをみんなの前で実演するにはかなりの準備や練習が必要だ。解答というのはすなわち、モンダイの紐を解く作業にあたるので、紐を解くまでの武器の振り方やステップの踏み方の無駄のなさ、美しさをアピールする。美しい解法は時に、一人で剣舞を踊っているようにも見える。

カナメはマントを翻しながら角の鋭い、大きなモンダイと戦ってみせた。

「動きはそんなに悪くないけど、作問がなぁ。よく見る有名問題に無駄な尾ひれをつけて難しそうに見せているだけで、本質はそんなに難しくない問題だね」

「それに、あのマントはなんなの?演出だとしてもそんなにおもしろくないわね」

観客がひそひそ言った。カナメの舞は特に盛り上がることもなく終わった。

次に現れたのはハルミだった。問題自体はありきたりではあったが、理科の本質的なことを問うもので、薙刀の使い方や華麗なステップはその美貌も相まって見ていた男たちを虜にした。ハルミが足を振り上げるようにしてターンするたびにドレスのスリットからきれいな肌が覗いて男たちは目をかっぴろげて鼻の下を伸ばした。子供の付き添いで来ている多くの夫婦の夫も、妻の前で鼻の下を伸ばしてしまい、横に座る妻にひっぱたかれた。鼻の下を伸ばして「おおお~」と喜んだのは双子も例外ではなかった。

「やべえ、あの子めちゃくちゃかわいい!」

ジョンは両手で自分の口をふさぐようにして興奮を抑えきれない、といった様子で弟に訴えた。

「どうしよう、俺、あの子を落としたくなってきちゃった」

「ジョン、いくらお前でもあの子は相当厳しいと思うぜ。昨日流れてきた噂ではあの子は許嫁がいるって」

「ちょっと話すだけさ。協力してくれよ」

「またいつものか?まあ、先月お前が手伝ってくれたし、いいぜ」

「ありがとよ。なんて最高な弟なんだ」

ジョンとジョナサンは互いの拳を軽く突き合せた。


全員の舞が終わったところで会場は大広間に移り、立食パーティーが始まった。

「ハルミってお前だよな」

ハルミに声をかけたのはカナメだった。ポケットに両手を突っ込んだままぶしつけに言う。カナメはハルミの許嫁であったが、今までに顔を合わせたのは数回だ。しかし、その数回でも、カナメの自分の一族の家柄を鼻にかけ、常に高慢な態度は見え透いていた。カナメは隠そうともしなかった。歳を重ねるごとにそれが顕著になっていくような気すらした。ハルミはトウの一族の長男であるカナメと結婚すれば嫁入りということになり、トウの一族とともに暮らすことになる。

「そうだけど」

「お前と俺は結婚する。10年前からそう決まっていたはずだ。なぜ今になってパーティーを開いた?俺と結婚するのが嫌になったのか」

その通りよ、と言いそうになるのを我慢してハルミは別の言葉を絞り出す。

「すべて私のお父様が計画したことよ。誤解しないで。このパーティーは私の結婚相手を探すのが趣旨ではないわ。私たちくらいの良家のヒトがお互いに親睦を深めようという意図で計画されたものと私は思っている」

「俺とは結婚するんだな?」

カナメはハルミに顔をぐっと近づける。ハルミはのけぞるようにして距離を保つ。

「そういうことになるわね」

「ふん」

カナメは鼻を鳴らすと去っていった。

「さっきの、誰?」

ハルミのところに青年がやってくる。

「さあ?私のファンよ」

ハルミは言って青年の頬に軽くキスをする。そしてハルミの手を取るとさりげなくその指に指輪をはめた。

「飲み物でも持ってくるよ」

青年はそう言ってウインクするとどこかに行った。その後すぐ、別の青年がやってきた。

「ハルミ、久しぶり」

「ああ、久しぶりね」

「これ、僕らの間じゃ必要のないことかもしれないけど、形式って大事だろ?とりあえず受け取っておいてくれよ」

青年はハルミの手の中に小箱を滑り込ませる。ハルミが開けると、青年の目と同じ色の石のはまった指輪が入っている。

「ええ、形式だけ受け取っておくわ」

「うん、それじゃあ」

青年は照れくさそうに笑ってどこかに行った。ハルミは青年を見送った後、ため息をついて小箱を見下ろした。

「おっと、すいません」

ふいに後ろからぶつかられてハルミがよろける。それは優しく受け止められた。

「やあ、初めまして。ぶつかってごめんよ。足は平気?」

受け止めたのは赤茶色の髪に橙色の瞳の青年だった。ちゃらけたタキシードにピアスといういかにも軽薄そうな若者だったが、物腰は丁寧で、着崩しのなかにも育ちの良さがにじみ出るようだった。

「ええ、大丈夫。どうもありがとう」

二人はしばし見つめあった。

「あの、よかったらなんだけどさ、俺とあっちで飲まない?」

「私もそう思ったところ」

ハルミはぱっと華やかに笑って頷いた。

「へえ、お兄さん、お姉さんたちがそんなことを。そいつは大変だね。俺も弟だからさ、兄貴や親父からそういう扱いはされてる」

「あなたもお兄さんがいるのね。私たちってずいぶん共通点がありそう」

二人はバーカウンターのところに座り、しゃべっていた。二人の息はぴったりと合い、すぐに仲良くなった。

「あ、そういえばさ、俺は手品ができるんだ。君に見せてあげるよ」

「なあに?」

バーテンダーがハルミの前にグラスを置く。

「あ、私、お酒はあんまり……」

ハルミは酒を断ろうとするが、それをさっと奪い取って目の前にかざした。

「いいか、ここに透明な日本酒の入ったグラスがあるだろ。これを俺は今からテーブルの上をこう、あっちへ滑らせる。それをじっと見てて」

「……わかったわ」

グラスはテーブルの上をスピードをつけて滑っていった。そして、それをテーブルの一番端でキャッチしたのは、さっきまで隣にいた青年だった。横をみると、そこには青年はいなかった。驚くハルミに青年は手を振って、ハルミの隣の席まで戻ってきた。手には桜色の酒を持っている。

「タララーン!これが俺の瞬間移動マジックと、お酒の色変えマジックだよ。どう?おもしろかった?」

「すごい、どうやったの?」

「それは秘密だよ」

青年はグラスをハルミに手渡して、自分の人差し指を軽くハルミの唇に当てた。

「おい、ハルミ、そいつはいったい誰だ?」

声がして二人が振り返ると、カナメが立っていた。

「誰だっていいでしょ。何か用?」

「まあ、誰でもいいか。最後に男遊びを気の済むまでやるがいいさ。それより、なんだこれは。ふざけてんのか」

カナメはハルミの目の前に一口サイズのカップに入った雑煮を突き付けた。

「お雑煮……だと思うけど」

カナメは急に手を振り上げ、ハルミの頬を張り飛ばした。

「お雑煮?これがお雑煮とでもいうのか?雑煮の餅はなぁ、先祖代々四角って決まってんだよ!俺が来てるっていうのにどういうつもりだ?こんな丸い餅なんて餅じゃねえんだよ」

「嫌なら食べなきゃいいだろ。他にも料理はいっぱいあるし」

青年は二人の間に割り込んだ。ハルミはうつむいていて、長い髪で表情は見えない。肩が細かく震えていた。

「てめえはすっこんでろ。おい、俺が結婚してあげるっていうのに勝手にパーティーを開いて、そこで俺を侮辱するような真似をするのは許せねえ。謝れ」

「お前こそ謝れよ。ぶつなんて最低だ」

「なんだと?やんのかお前。お前がどこの誰だか知らねえが、俺が誰だか知ってんのか?俺はトウの一族の、」

「キャアアアアアアア!」

悲鳴が聞こえて、今にも掴みかからんとしていた二人もいったんお互いから視線を外して悲鳴の発生源の方へ眼をやった。そこには一人の女が倒れていた。女は血を吐いて、床には血だまりがじわじわと広がっていた。そして、その女の横には、割れたグラスと、透明な日本酒がこぼれていた。ついさっき、ハルミがバーテンダーから受け取り、手品によって飲むことのなかったグラスだった。

「なんだ?何事だ!」

警備員がやってきて人込みをかき分け、女の首筋に手を当てた。

「し、死んでる」

会場は騒然となった。

『今日のパーティーはお開きとします!このことは良家以外に漏らしてはいけません』

アナウンスが入り、速やかにパーティーは終わった。


「さて、先ほど死んだのはたいしたことのない家柄の、それも次女だったらしいから、もう心配はいらない。今日はもう寝なさい」

ハルミの父はドレスやタキシードで着飾ったままの五人の子供たちを前にそう言った。客はすべて帰り、死体は片付けられていた。

「お父様!あれは本当なら私が飲むはずだったものよ!このパーティーに出席したヒトの中に私を殺そうとしていたヒトがいたのよ。私に何等かの恨みのある良家のしわざよ。犯人を突き止めないとまた同じことが起きるわ」

ハルミは言った。

「あなたのことをみんなが注目していたから?」

ハルミの姉のアスカが言った。

「うぬぼれるのもおよしなさい。まるで悲劇のヒロイン役に酔っているみたい。ちょっとちやほやされたからって被害妄想癖まで発症しなくてもいいじゃないの」

アスカは笑い、アスカの妹でハルミの姉であるミノリも声高に笑った。

「アスカの言う通り、どこにもハルミを狙った間違い殺人だという証拠はない。とにかく、全員さっさと寝なさい。このことについては犯人捜しはしないという結論だ。もし、良家の誰かがやったとして犯人を捜そうとすると、うちが疑っていると思われ、その一族との関係が悪くなるかもしれん。別に正当な良家の一員が死んだわけでもないし、良家同士の県警を保っていくためにはお互いに目をつぶるところはつぶりあっていかなくてはならん」

「でも、本当に私は狙われて――」

父にすごい形相でにらまれてハルミは言葉を飲み込む。

「そうですよね。……自意識過剰でした」

ハルミがそう言うと、父は満足した、というように頷き、ドアの方に顎をしゃくった。五人兄弟の一番上の兄のユウがドアを開き、その後に続くように兄弟たちはそろって父の部屋を後にした。


ハルミが自分の部屋に戻ると、机の上に、おそらく執事によって、今日ハルミがもらった婚約指輪が並べられていた。今日もらったものと、事前にもらっていたものを合わせると30個ほどになる。

ハルミは思い切り机の上に並んだ指輪を薙ぎ払った。指輪はきらめきながら高い音を立てて床に転がった。

生まれてから今まで、一族や父、兄や姉の言うことを何でも聞いてきた。聞かなければならなかった。言われた通り勉強をし、言われた許嫁と結婚の約束を交わし、父に命じられたからパーティーにまで出席した。逃げられない。命の危険にされされても誰も心配してくれない。どうしようもなく孤独だった。

ハルミはドレスを着替えることもせずにベッドに突っ伏すように倒れこんだ。


「もともとお前にはこのパーティーでトウの一族以外の一族の有力な家族の男をモノにして、そっちと婿入りを条件に結婚してもらう予定だった。そうすれば私の一族の力が増すからな」

ハルミの父はハルミと大きなデスクを挟んで向かい合っていた。父の方は見るからに高級そうな背もたれの豪華な椅子に座っていた。父はデスクの上のペンをいじる。こちらも金色で繊細な彫細工が施してある。

「しかし、少し事情が変わった。トウの一族がこちらに圧力をかけてきた。許嫁が長男だったから、あちらもお前に嫁入りしてほしいそうだ。争いになると面倒だから、お前には予定通りカナメと結婚してもらう」

「はい、お父様」

ハルミは頭を下げたままの姿勢で言った。無感情な声だった。なぜそんなことをパーティーをやる前に見越せなかったのかとあきれる思いだったが、父に文句を言うことはできなかった。パーティーさえしなければ、変な噂が立つこともなく、ヒトが死ぬこともなかったはずなのに。

「ついては、結婚式を来月に執り行う。準備をしておけ」

「はい、お父様」

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