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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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40 パーティー前夜

「この作戦はダメかぁ……」

イオは資料のファイルをばたんと閉じた。イオの泊まる部屋のバルコニーからは屋敷の前の大きなカルデラ湖が見える。水が青く澄んでいる。今日は世話係が来ない日なので、いろいろと調べものができる。書棚にあったハルミの歴代執事についての記録を読んでみたが、ハルミには死ぬまでに三人の執事がついたことがあり、そのうち二人は亡くなり、最後の一人はトキという40代の男で、ハルミの葬式の後、すぐに職を退き、行方がわからない。イチの一族でない双子も、ハルミの娘とはいえ、最近その事実を把握したばかりのイルマにも、トキと連絡をとる手段を持ち合わせていなかった。ハルミの娘であるイルマの執事にもそのヒトがなるのが自然にも思えたのだが、ファイルの記述からもうイチの一族の執事はこれっきりにするつもりだったことがわかったまでだった。トキと話しができれば、金庫の謎や、結婚相手の謎が立ちどころに解消するかと思ったが、その線は諦めなくてはならなかった。

とりあえず今は執事から攻める以外の方策が思いつかないので、せっかく侵入した良家の屋敷ということで、今日の残りの時間はタイムマシンに役立ちそうな本を探したり読んだりして有効に使うか、とイオは気持ちを切り替える。

イオが書斎にファイルを戻しに行くと、書斎のソファーにはイルマが体を投げ出すようにあおむけに寝転がり、本を読んでいた。ローテーブルの上には書棚から取り出した本がいくつか積まれ、ワインボトルも置いてあった。昼間から飲んでるのかこのヒトは。読書中に喉を潤す水のように手軽な感覚で高級な酒を飲むので、最初は呆れたが、最近はもうそういう光景も慣れた。イオはそっと本棚の金庫が隠されている段に目をやるが、イルマがそこ周辺の本を手に取ったりした形跡はなかった。金庫の存在はイルマは知っているのだろうか。イオが近くに来て初めてイルマはイオに気が付いたようで、驚いて本を顔の上に落とした。

「あ、イオ君。来てたんだ」

「はい。少し調べものを。イルマさんはなにを読んでいたんですか?」

イルマは読んでいた分厚く、古い本を見せた。

「これ、王城の設計について詳しく書かれた本でね、けっこうおもしろいんだ。さすが理科のブロックの一族って感じだね。私の部屋にあった本はみんな読んじゃったからさ」

イルマの部屋にはだいぶ専門的な本がたくさんあったような気もするが、この短期間で読んでしまったというのか。

「すごいですね。ひょっとして、今まで目指してたガクシャって、分野は理科ですか?」

「そう。まあそんなところ。イオ君はチャレンジャーだったよね。イオ君ってなかなか面白いし、もうちょっと早く出会ってたらパーティーに入ってあげてもよかったかも」

「面白い?どういうことですか?」

イルマは片方の口の端を吊り上げるようににっと笑う。

「とっても魅力的ってこと」

「……そうですか」

イオはファイルを棚に戻す。

「さて、僕は次は何を読もうかな……」

イオは右下に近いところから一冊本を抜き出した。『植物のエネルギー』。

「あー、イオ君。本棚の下の方に行くにつれて複雑なものが並べられてるみたい。読書が楽しめるのは今日くらいだし、チャレンジャーとしてすぐ力になりそうな本は棚の左の上の方から選ぶと効率よく学べると思うよ」

イルマがイオに声をかけた。

「え?あ、そうなんですか。教えてくれてありがとうございます」

イオは本をもとに戻した。植物に興味があるだけでさすがにエンシェとはばれないだろうが、用心はすべきか。イオは言われた通りに本棚の左上の方から適当に『カルデラ湖について』という地学の教養書を取り出し、書斎を後にした。


パーティーの日が近づくにつれて屋敷の中はきらびやかに装飾されていった。イルマの目の色である、明るい、生命力を感じさせる黄緑色を基調とした飾りつけや垂れ幕が準備されていく。パーティーは明日に迫った。イオとイルマとその世話係は、飾り付けの済んだ玄関ホールで、明日実際に着る衣装を着てリハーサルをしていた。

「黄緑色っていいよね。なんか元気になるっていうか」

イルマがイオに耳打ちする。イルマは真っ白で体のラインを強調するようなドレスを着て、顔にはメイクまで施されていた。銀色の大きな輪の形のピアスが顔の横で揺れる。普段はジーンズやTシャツを着ているノーメイクの姿しか見ていなかったので気付かなかったが、イルマはなかなかの美貌を持っていた。モテすぎて不遇な人生を送った女性の娘として申し分ない美しさだ。今は亡きハルミの瞳は鮮やかな緑色だったと聞く。

「ええ。まるで森みたいですね」

イオは一か月で身に着けた美しく丁寧なお辞儀をする。イオのほうも白いタキシードを着ている。差し色は黄緑だ。二人は優雅にダンスを始める。本当は、パーティーでダンスを踊るパートはないのだが、常に会場に音楽は流れているので、良家のヒトは庭とかに好きな子を連れ出して二人きりでさあ踊ろう、と言い出すことが無きにしも非ずなので、そこで踊れないといろいろとばれる可能性があり、ダンスの練習もすることになったのだった。ちなみに、この懸念を最初に口に出したのは双子だ。絶対踊れた方がいいと言って譲らなかった。そういう経験をした過去があるのだろうか。

「で、調査の手順は完璧?」

「できることはすべてやりました」

二人は優雅なステップを踏む。踊りは求められたときに踊る用なので、正式な型にははまっていないが、いろいろなダンスの基礎を押さえておく必要があった。世話係は一か月育て上げた二人のダンスを見て感極まっている。

「そう。私のお父さんが誰か、わかったら教えてね」

「はい」

イルマはふわりとターンする。突然20年間知らされなかった本当の身元を知らされ、母親の壮絶な人生を知り、父親も誰かわからない。ハルミが娘のことを思っていままでそうしてきたのだろうということは、頭ではわかっていてもなかなか受け入れられないところもあるだろう。母親や父親からの直の愛を受けたかったと思っていても仕方のないことだ。パーティーで初めて会う知らない人々、本当の親類かもしれない初対面の人々に誹謗中傷されるかもしれないという中で、イルマがそれでも真実の愛を求める理由はきっと愛に飢えているからだ。父親を知ったところで愛が受けられるとは限らない。しかし、母がやったような方法を用いればもしかしたら結婚相手との間に母が見つけたのと同じ、真実の愛を見つけることができるかもしれない。イオは結局、自分の真実の愛の定義ができないままだったが、イルマにはどうか、イルマの定義に合う真実の愛でその相手を見つけてほしいと思った。

「イルマさんも、頑張ってください」

「ありがと、イオ君」

パーティーは夕方からだ。あと24時間でパーティーが始まる。


「さて、イオ。手順を最後におさらいするぞ」

ジョナサンは書斎にイオを連れてきた。

「はい。まずは僕はスタッフに変装し、入り口で金属探知の検査。客の持ち物を確認して鍵を持つ人物を絞り込む。で、パーティーが始まったらツブの一族の末息子に変装してジョンさん、ジョナサンと合流」

ツブの一族は代々イオのような見た目に近い髪や目の色をしているので、イオがそう名乗ればすぐに疑われることはない。実際、ツブに一族からはユタカという息子が一人出席する予定だが、結婚にあまり興味はなさそうだし、鉢合わせしなければ何とかなる可能性は高い。

「よし。で、そこで俺たちと鍵を持っていそうなヒトについて共有。その後、そのヒトたちのいる控室に俺とジョンが乗り込む。当時ハルミに求婚したもののリストにあるヒトはとりあえず回るつもりだが、それ以外に怪しいヒトがいたら優先的に回る。その間イオは俺たちの世代の子供、または孫の世代から情報を集める」

イオの頭の中にはもう、出席者で双子と同じ世代のヒトの名簿は入っている。ハルミの遺した金庫が存在し、開かないのでそのうち処分されてしまうだろう、という噂は良家の中に自然に流してある。もし中に入っているのがプライベートの手紙などならば、父親は鍵を持って現れるだろう。

「鍵を見つけたらすぐに開けて、ジョナサンさんに渡す」

「そうだ」

ジョナサンは上出来だ、とばかりに頷いた。ジョナサンは左腕をまくった。きれいな金時計がはめられている。

「俺たちはいつも全くおんなじ恰好をしてきた。ジョンに内緒でこういう計画をする今回も例外じゃない。イオには俺たちを確実に見分けてほしいから、こうしよう。イオは自分の手首を本体の手でつかむ動作をしてくれ。それが合図だ。そうしたら俺が時計を見せる。お前は針が止まっていることを確認してから報告とか、手紙の受け渡しとかをしろ。わかったな?」

「わかりました」

イオは頷いた。ジョナサンは満足気に笑った。しかし、イオには数日前から疑念が起こっていた。イオ自身もこの一か月、屋敷の中を隅から隅まで調べつくし、この屋敷内に鍵がないか探した。鍵を探すうちに、金庫の中に入っているものは本当に文通の手紙や遺言の類だろうか、と不安になってきた。ジョナサンは半ば確信めいた言葉で手紙だと強調するが、もしも、その中がハルミしか知らない単なるへそくりや、ハルミの恥ずかしい趣味だったら?

「あの……」

イオがジョナサンに言おうとしたとき、階下からすすり泣きのような声が聞こえてきた。

「え?ジョン?」

ジョナサンは慌てて廊下に出る。イオも追う。その声は一階の食堂から漏れているようだった。ジョナサンは半開きになった扉に手をかけて、食堂に入っていこうとしたが、手を止める。イオがその後ろから食堂の中を覗くと、酒の瓶がたくさん置いてあるテーブルに突っ伏すようにしてジョンが泣いていた。イルマがその肩をさすっている。

「ハルミ……。なんで俺じゃないんだよ……。せめて、結婚したなら教えてくれたっていいじゃねえか……」

「……もう寝よう」

ジョナサンはイオに言って踵を返した。双子は、情けないところは見ないふりをすることでお互いのプライドを守ろうとしているかのようだった。それが、ジョナサンなりの兄への優しさなのだろう。イオは黙って頷いた。

「事情があったんだよ。大丈夫だよ。ハルミはきっとジョンが友達でよかったって、お葬式に来てくれてありがとうって、そう思ってるよ」

「本当はよぉ、イルマ、お前のことは嫌いだった……。ハルミとどこぞの俺以外の馬の骨との子供なんてよ……。でも、お前はハルミによく似てる……。顔立ちも、目元も、唇の形も、眉毛の感じも……、顔立ちも」

「うん、……それ全部顔立ちだね」

ジョンはウイスキーらしき酒をボトルから直接飲む。顔は真っ赤で、手は震えている。

「俺はお前に幸せになってほしいんだよぉ。お前は、せめてお前は、真実の愛を見つけろよな……」

ジョンは口の中でもごもご言いながら机に頭を打ち付けるようにして突っ伏した。

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