39 準備期間
「……っていうことで、一か月は帰れないことになっちゃった。そっちはよろしく頼むよ」
イオはセトカに電話をかけていた。イチの一族の別邸の一部屋を貸してもらい、部屋に備え付けの電話を使っている。
『しばらく泊まって良家のパーティーに侵入する?イオ、あなたはR1のお尋ね者なんだよ?!良家のヒトにばれたらどうするの?』
「僕を狙っているのはケビイシじゃなくてR1だ。良家のヒトはきっと僕があの容疑者だとわかってもR1に突き出したりはしないと思う。僕はテート・ケビイシのヒトに釈明はしてあるし、もう一度ケビイシの前に行ったってそんなに状況は変わらないよ。もちろん、ばれないに越したことはないけど」
『とにかく気を付けてね。相手が良家だと話を聞いた後に断るのは気が引けるかもしれないけど、無理なことはちゃんと無理って言った方がいいと思うよ』
「わかってる。でも、別邸だけどイチの一族の屋敷に入れて収穫もあるんだ。この屋敷の書斎にいくつか植物に関する本があった。楽園中でここにしかない蔵書もあるらしいからそれを少しでも見られたらタイムマシンのエネルギーの問題も解決に近づくかもしれない」
『植物に関する本?確かにそれは読んでみる価値がありそうだけど……。無理はしないでね』
「うん。じゃあ、また電話するかも。おやすみ」
イオは受話器を置いた。部屋を改めて見まわす。明日には使用人や世話係が続々と到着するようだが、今夜はイオとイルマと双子以外いないので屋敷はしんと静まり返っている。夕食も準備するヒトがいなかったために、屋敷にもともとあった酒と少しのおつまみを夕食ということにしてそれぞれつまみ、なんとなく腹に収めてから部屋に戻っていった。イルマは20歳になったばかりとは思えないほどごくごくとためらいなく高級ワインを飲み、酔っぱらった様子を微塵も見せなかった。下戸なのだろう。イオも飲みたかったが、18歳という設定が邪魔をして叶わなかった。
イオに与えられた部屋は広々としてふかふかなベッド、装飾のある机と椅子、格子のはまった窓が一つある。しばらく使われていない部屋だったらしいが、客の宿泊用の部屋として使われていたようで、イオがここに来るまでに双子が少しばかり部屋を整えておいてくれたらしい。少し埃っぽい臭いがしなくもないが、換気すればすぐに快適になりそうだ。高級ホテルのシングルを名乗っても問題ないほどの広さだ。特にイオが気に入ったのは天井の壁紙に夜空の星座が印刷してあるところだ。明かりを消すと、蓄光塗料が塗ってあるのか、青白く光っている。理科の塔のある南ブロックの良家にふさわしい、美しい部屋だった。寝る前に屋敷を探検してみたいとも思ったが、自分以外のヒトが良家であるこの状況でうろうろするのはさすがに庶民臭すぎる行動だと思ったので踏みとどまり、おとなしく寝ることにした。
「違う!お辞儀はこう、もう少し腰から折るように!」
「はい!」
イオが玄関のベルの音で目を覚ました。イオ以外はまだ寝ていたのでイオが玄関の扉を開けると、屋敷の前にはずらりと使用人が並んで立っていた。使用人たちは軍隊のように足並みをそろえて屋敷に入っていくとてきぱきと掃除や朝食作りを始めた。イオはあれよあれよという間に席に着かされ、上品な食事の仕方をレクチャーされながら朝食を終え、すぐにきれいな服に着替えさせられ、玄関ホールの広い場所に移り、お辞儀と挨拶の練習に移行した。イルマは朝は苦手なようで、朝食中はイオの横で頭をぐわんぐわん揺らしながら半分寝たような状態で白目をむいていた。
「うーん、二日酔い……」
と言いながら頭を押さえている。
双子の老人は二人が朝食を食べ終わった後に起き出してきて、朝食のトーストをかじりながらイオとイルマのレッスンの様子を階段の上から笑いながら見物していた。完全にガヤだ。双子はしばらくイオたちを見ていたが、やがて飽きるとどこかに行ってしまった。
イオとイルマの世話係はイオが庶民であり、良家のパーティーに潜り込もうとしていて、イルマが庶民として今まで育ってきたことまでは把握しており、その点については何も言わず、代わりに良家での常識のようなものを多く教えてくれた。
「これがパーティーに出席するであろう良家のヒトの写真とプロフィールです。チャレンジャー、ガクシャを目指しているんなら明日までに暗記してテストをしますが、いいですね?」
二人は受け取った紙の束の量を見て顔をひきつらせた。
世話係たちは住み込みではなく通いなので、夕食が終わった後に帰っていった。イオはやっと一息ついて自分の部屋に戻ろうとした時だった。老人がイオを呼び止めた。
「ええと、ジョンさん?それとも、」
「ジョナサンだ。イオ、見せたいものがある。ちょっと来てくれ」
ジョナサンはイオを書斎に連れて行って、明かりをつけることなく静かに音がしないよう注意深くドアを閉めた。そして本棚の右下のあたりからいくつかの本を抜き出す。すると、本に隠されていた壁をくりぬくようにして作られたスペースが現れた。そこには金庫が埋め込まれていた。
「金庫?」
「そうだ。この中にはきっとハルミが愛するヒトに残した遺書が入っているはずだ。それか、ハルミとそのヒトの文通の記録が」
「鍵は?」
「ない。この屋敷に滞在し始めてからもう一か月ほど探しているが見つからないんだ。それで俺は考えた。きっとこの金庫を開ける鍵はハルミの相手が持っているんだ。もし、ハルミの娘がこの屋敷でパーティーを開くと言ったらその人物はきっと鍵を持ってここにやってくる。イオにはその鍵を持つ人物を探してほしいんだ」
「鍵を持つ人物が知りたいのなら、金庫を目立つ場所に置いておいて、開けに来たヒトに話を聞けばいいじゃないですか。僕の出番ないですよ」
「駄目だ。人前で鍵を開けようとなんてしたら、ハルミとの関係がばれる。もしかしたらその人物はハルミとの関係を誰にも明かしたくないかもしれない。従者が鍵を保持していたら?従者に頼んで開けさせたりしたら永遠に真相はわからないかも。金庫が開いた瞬間に出向いて行ってそのプライベートな手紙を見せてくれ、なんて言ったら問題だからな。とにかく、俺たちは確実に誰への手紙なのか知りたいだけだから、イオは鍵を持つ人物からちょいと鍵を拝借してここを開け、手紙の中身を検める。誰かわかったらそのまま鍵を閉め、持ち主に返すなり適当に落とし物にするなりする」
「そんな無茶な!」
「俺たちもその間何もしないわけじゃないぜ。昔の記憶をひっぱりだして当時あのパーティーにいたやつらを一人一人問い詰める。それで得た手掛かりをお前にも渡すよ」
イオは手元の写真とプロフィールの書かれた紙の束を見下ろす。パーティーの出席者の中から可能性がありそうなヒトをピックアップしていってそのヒトの周りを調査する。かなり大変なことになりそうなことはわかるが、DNAを集めてくるよりはまだ目に見える鍵を探すほうが可能性はありそうな気もする。
「とにかく、これの鍵をさがして、本人よりも先にこの中身を見るんだ。それが今回のお前の役目だ」
「……わ、かりました。なんとか頑張ります」
「よし、頼んだぞ。それと、これはジョンには言うなよ。ジョンは他人のプライベートを盗み見るような方法でハルミのことを調べるのを嫌うから。手紙を手に入れたら、金庫を暴いたら出てきた、とかは決して言うんじゃないぞ」
ジョナサンはイオの両肩をつかんで真剣な声で言った。
「わかりました」
イオが頷くと、ジョナサンは肩をつかむ手の力を緩めた。
「こんなことに巻き込んですまないな。報酬はたくさん弾むから許してくれ。でも、恨むならジョンじゃなくて俺を恨んでくれよ」
さっきとは打って変わって弱弱しい声に、このヒトがかなりの高齢であることを思い出す。廊下から細く差し込む光に照らされ、ジョナサンの顔のしわがより際立って見えた。
「いや、仕事ですから。大変だからと言って恨みとかないです!精一杯やらせてもらいますよ」
「ありがとう」
イオはジョナサンといっしょに書斎を出た。
「おやすみなさい」
イチの一族の別邸での二日目の夜が終わった。
「はい、ツブの一族19代目長男、73歳、トムソン!好きな食べ物は菱餅」
「はい、トウの一族20代目次男、68歳、フク!兄の補佐で副家長」
「はい、リンの一族20代目長男、75歳、ジョイ!弟とは腹違い。今は引退して隠居中」
イオとイルマは世話係が見せる顔写真のプロフィールをどちらが先に言えるかの早押しクイズのようなものをやっていた。イルマはなぜかおじいちゃん世代の問題はすらすらと即答し、イオに得点を与えようとしなかった。
「なんでこんなに老人のは覚えてるんですか?」
かなり覚えてきたつもりだったのにそのクイズでぼろ負けしたイオは、あまりに悔しかったので夕食のときにイルマに聞いてみた。イルマは片方の口の端をにっと吊り上げて笑った。
「それはね、イオ君、秘密があるんだ」
そしてイオの耳に口を近づけるようにしてささやく。
「後で部屋においでよ」
イオがイルマの部屋をノックすると、イルマがすぐに顔を出した。
「入って」
イルマの部屋はイオにあてがわれたものよりも少し広く、豪華なドレッサーが特徴的な部屋だった。本棚もある。客が泊まるための部屋ではなく、ハルミが生前使っていた部屋なのかもしれない。
イルマはイオがドアを閉めたのを確認すると、ドレッサーの引き出しを開けて、ビニールのひも付きの袋を取り出した。縁日のお祭りとかでやっている金魚すくいやスーパーボールすくいの袋のイメージだ。しかし、その中に詰め込まれていたのは金魚やスーパーボールではなく、様々な色の石がついた指輪だった。アクセサリーの保存にしてはいささか雑に見える。
「これ、なんだかわかる?」
イルマはドレッサーの机に指輪をぶちまけた。ざっと見た感じ30個くらいはある。どれも装飾が凝っていて見るからに高価そうだ。ドレッサーの鏡のところに取り付けられているライトの明かりをつけると、宝石は光を浴びてキラキラときらびやかに輝いた。
「指輪?」
「そう。指輪なんだけど、もう少し詳しく言うと婚約指輪かな」
「婚約指輪?」
イルマは色とりどりの石のついた指輪の中から青っぽいものを一つつまんだ。
「お金持ちのヒトが求婚するとき、自分の目の色と同じ色の石が埋め込まれた指輪を相手にプレゼントするらしいんだ。目の色はそのヒトだけのもの、唯一性があるからね。これとか、イオ君の目の色と似てはいるけれど、まったくおんなじではない」
「もしかしてこの指輪たちは、ハルミさんがたくさんの男性に求婚されたときにもらった指輪なんですか?」
「ご名答。前に世話係のヒトにもらった資料の写真はあいにく黒白だったけど、髪と目の色の説明も書いてあったでしょ。それと、この指輪の色を照らし合わせながら覚えたんだよ。炎色反応や硫酸銅水溶液にアンモニアを垂らす実験みたいに、実際に色を見たほうが覚えやすいし、親しみやすくなるでしょ」
「例えばこれは青白色だからトムソンさんの目の色、とか?」
イオはイルマの持っている指輪を指して言う。
「そう!そういう感じで。イオ君のは深青色だね。……良ければ一晩この指輪を貸そうか?当時ハルミに求婚したヒトがわかれば当日調べやすくなるかもね」
「お母さんの形見の一つでしょうけど、いいんですか?」
「構わないでしょ。だって、こんなに適当に保存してあったんだよ。ハルミも真実の愛の相手以外はみんな興味なかったんだろうな」
イルマはビニールのひも付き袋の中に指輪を戻した。
「まあ、バチがあたったら嫌だし、なくさないように個数だけは注意してよね」
イオは袋を受け取る。
「ありがとうございます」
イオは部屋を出ようとしたがふと振り返る。イルマはドレッサーのライトを消す。
「イルマさんは真実の愛を求めてパーティーを開くんですよね。――イルマさんにとって、真実の愛ってなんですか?」
「定義の話?」
イルマはかすかに首を傾げるようにして言った。ドレッサーの明かりがなくなったのでイルマの表情は見えなかった。イオは頷く。
「そのヒトのために、すべてを掛けられること、かな」
少し間があって、イルマが答えた。
「そうですか」
「イオ君は?」
「僕、ですか」
「うん。イオ君の真実の愛の定義」
少し部屋に沈黙が下りた。
「イオ君はまじめだね。理科の定義を考えてるみたい」
「理科の定義?」
「そう。もっと簡単でいいんだよ。数学の定義みたいに、自分でこうだ!って決めちゃおうよ。この一辺の長さをaとする、みたいにさ。イオ君が悩むのは理科の定義をしようとしてるからじゃないの?例外がないように、世界で起こるすべての事象と矛盾がないように決めようとする。エンシェが動物や植物を属や科に分類して定義しようとするみたいなことをしてるんだよ。それって、すごく難しいことに思えるな。後々この動物はやっぱりこっちの生き物の仲間だった、とかそういう不具合はあるかもしれないけどさ、まずは決めることが重要なんだよ、きっと。だって愛の証明はその相手たった一人に伝わればいいんでしょ?だったら自分の定義で証明しようよ」
「僕の定義……」
「あー、ごめん、ごめん。変な思想押し付けちゃったかな。忘れて。おやすみ」
イルマは急に恥ずかしそうにして短い髪をかきむしった。
「おやすみなさい」
イオは部屋を出た。
部屋を出たところで双子のうちのどちらかに会う。イオは別にやましいことは何もないのだが、女性の部屋から出てきたところを見られたのがなんとなく気まずくて老人に会釈をするとそそくさと部屋に戻った。
ベッドにもぐりこんで天井の星座をどことはなしに見つめる。
「あれは……?」
イオは星座の中に不自然な文字のようなものを見つけた。ベッドの上に立ち上がって、天井に顔を近づける。
「なになに、『光を追え』?」
前にこの部屋を使っていた人の単なる落書きか?それとも、何かのメッセージ?ほかにもあるのか?イオは天井中を探した。上を向いたまま夢中になりすぎてベッドから足を踏み外して落ち、背中を打つ。
「ううう、明日また探そう……」
イオはよろよろと立ち上がり、再びベッドにもぐりこんだ。次の日の夜、また別の文字を探したが、ついに見つかることはなかった。