35 マスターピース
劇場での戦いから一か月ほど経つ。ライとギンカはダイの部屋まで戻ってきて、療養をしていた。
視界は、明るさも暗さもわからないほど真っ暗だった。しかし、療養中はギンカがいつもそばにいて何か話しかけてくれた。この部屋に言葉が存在するのはなんだか場違いのような、不自然な気もしたが、同時に新鮮でもあった。
「ダイさんは、素敵な絵を描くヒトだね」
ギンカは言った。
「そうなんだ。ダイはいい画家だったんだよ」
「いつ戻ってくるのかしら」
不思議なことに、ダイはこの一か月の間、部屋に戻ってこなかった。ライはブリーフケースを持ったダイのことを思い出す。ダイはあの日、どこかへ行ってしまう予定だったのだろうか。そして、もう戻っては来ないのだろうか。
「……わからない」
ライは椅子から立ち上がる。ギンカがすぐに手を取って支えてくれる。部屋のものを一つ一つ手に取って確認していく。絵筆、筆洗、絵具、パレット。いつものように、ちゃんとある。あのダイが絵を描く道具をなにも持たずに、ライにことわりもせず、一人でどこかに行ってしまう理由がわからなかった。
「絵は?壁に貼ってある絵を一つずつ僕に説明してくれない?」
ギンカは一枚ずつ丁寧に絵の説明をしていった。ライはダイの描いた絵をすべて覚えていたので、説明を聞けば、感動とともにその絵を頭の中に思い浮かべることができた。なにもなくなってはいなかった。ダイは自分の作品もそっくりそのままこの部屋に置いていったようだ。
「で、最後の絵は、水彩じゃなくて油絵なんだけど」
「油絵?」
もしかして、とライは記憶を探る。ダイがいなくなってしまう前、最後に長い時間をかけて描いていた絵は、確か油絵だったはずだ。
「完成してるの?」
「完成かどうかは本人にしかわからないけれど」
ギンカは椅子を持ってきて大きなキャンバスの前に置き、ライを座らせた。
「とてもきれいな絵だよ。青い空があって、これは、川かしら。川の橋の上で、二人のヒトが座ってる。一人は絵を描いて、もう一人はギターを持ってる」
つぶれた目から涙があふれる。油絵の表面をそっと触る。ライはつぶやいた。
「君の絵が見えたらな」