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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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34 恋は盲目

ライがギンカに何か言おうと口を開きかけた時だった。

銃声が鳴り響いた。

音から実弾だとわかる。ライはとっさにギンカに覆いかぶさるように転がって、スポットライトの光の中から出る。明るさに目が慣れているので、暗闇に潜む何者かを認識するのに時間が必要だった。その時間が致命的だった。

「おい、銃は使うなって言っただろ」

ライとギンカは乱暴に引きはがされ、それぞれ屈強な男に羽交い絞めにされる。

「誰だ!なにするんだよ!」

目が慣れてくる。二人を襲ってきた男たちは黒ずくめのスーツを着て、顔面を覆うマスクをしている。全部で5人ほどいる。武器を持っているようだ。ライの前に一人の男が進み出て、マスクを取った。

「ノヴァ……!?」

それは、ライが地上の両親の屋敷で暮らしていたころの、母親の使用人の男だった。ボディーガードのようなことをやっていたはずだ。

「はい。お久しぶりですね、ライお坊ちゃま。奥様のご要望により、この汚らしい地下から、坊ちゃまを正しき地上の世界に連れ戻しに来ました」

この男、物腰は丁寧だが、嫌だとは言わせないような気迫のこもった声で、威圧するようにライに言う。確か40歳は超えていたはずだが、筋肉は現役のようで、スーツの上からもその盛り上がりが見える。少し増えたしわと、過去につけたであろう傷が、完全に裏の仕事人といった風情だ。

「僕は戻らない。放せ!」

ライは足を後ろに蹴り上げるようにして、男の拘束から逃れ、素早く距離を取って腰を落とす。数週間前から何度か見かけていた僕を監視するような人影の正体はこいつらだったのか。

「演劇や芸術などくだらない。そんな不確実なものにうつつを抜かしている暇があったら、ガクの一つでも身に着けなさい。芸術など、おセンチの類でイタい感情の吐露にすぎません」

(うつつ)や吐露なんて、あんた、そんなに賢そうな語彙があったんだね」

ライは相手の出方を注意深く観察する。相手はプロだ。以前の学生相手のケンカとはわけが違う。ノヴァは少し首をかしげるようにする。

「奥様のお言葉をそのまま言ったまでですが」

ライは近くにいた銃を構えている男の足を払うようにしてよろめかせ、その男の腰から刀を抜き取った。男は発砲するが、ライはかわして、刀の柄で男の手首を叩くようにして銃を落とす。銃はステージの下まで滑り落ちるが、その行く末を見届ける暇もなく、ノヴァがしなやかにジャンプして距離を詰めてくる。

「坊ちゃまは撃つな!生け捕りだ!」

ノヴァは叫んでライにとびかかってくる。周りにいたほかの男たちもライに襲い掛かる。

「本性を現したね」

ライはステージを飛び降りて客席に走り込み、応戦する。ライは客席の上を飛び回るようにして逃げ、時々刀で攻撃を受け止める。狭く、足場の悪い場所に戦闘を持っていかれ、大人数で体格の大きな男たちはいまいましそうにうなる。

ギンカは必死でもがいて男の拘束から逃れようとするが、かなわない。ライとノヴァたちは追いかけっこで忙しく、ギンカを助ける余裕はなさそうだ。激しい攻防に、暗い客席からは時折刀どうしがぶつかる音や火花が散る。

ライはやがてステージのすぐ下に追いつめられる。

「おとなしく捕まってくれませんか?奥様はあれから精神が壊れてしまったかのように毎日ご乱心なのです」

ライは足で床を探る。銃があった。

「嫌だね」

ライは素早く銃を拾い上げると、躊躇することなく目の前のノヴァ――ではなく、劇場の高い天井に向かって発砲した。ノヴァは撃たれる前に予測して床に転がるが、ライの狙いはそこではなかった。

弾丸は劇場の天井にぶら下がった、古く、大きい、埃をかぶったシャンデリアの鎖を切断した。客席にいた男たちは気付いて逃げようとするが、もう遅い。轟音とともに、何トンもあるガラスと鉄の塊が落下する。ライの目にはそれはスローモーションのように映った。ガラスは四方八方に飛び散って、劇場は大きく揺れた。


やがて静寂が戻る。埃がもうもうと煙のように劇場内に満ち、視界は悪い。ただ、ステージ上のスポットライトだけが、自分の位置を知る指標となった。ライはステージに上る。ギンカはどこだ?

「動くな」

声がして、目の端でスポットライトの中に人影が入るのを捉えた。ギンカとそれを押さえつける男だ。片腕でギンカの首を締め上げるように押さえつけ、もう片方の手で刀を抜いている。男は芝居がかった手つきで刀の切っ先をギンカの腹のあたりに突きつけた。

「彼女を放して」

「じゃあ大人しくお縄につくんだな」

「私のことはいいから……!」

ライは両手を頭の後ろで組んで両膝をついた。

「ライ!」

「へへへ、やっと観念したか。さあ、ノヴァ!あいつを縛れ」

刀をギンカに突きつける男はそう言った。男の後ろからノヴァが現れる。飛び散ったガラスで切ったのか、額から血は出ているが、先ほどのシャンデリアの直撃は避けたようだ。

「上司にもの頼む態度に少し問題があるようだが」

「あ、いや、すんません。縛ってください、ノヴァ様」

「まあいい。よくその女を離さなかった」

ライは頭の後ろに回した両手をさらに後ろにし、パーカーのフードに手を突っ込み、銃を取り出すと、ノヴァに向けて撃った。ノヴァはふいをつかれて、一瞬、何が起きたのかわからない、という表情をしたが、がくりと膝を折った。右肩に当たったようだ。ライはその間に男との距離を詰める。

「貴様あああ!」

男はギンカの腹に刀を押し付ける。しかし、ライが止まらないと見ると、ギンカを放り出し、刀を構えた。ライは銃身を使って刀の攻撃を受ける。二人はスポットライトの中から外れてステージの端のほうまで闘いながら動いていく。

「待て!」

声がして二人が顔を向けると、倒れたはずのノヴァがギンカを押さえていた。

「わかったぞ。命じゃない、ヴェールだ。武器を捨てろ!さもなくば、この女のヴェールを外す!」

「やめて!おねがい!」

ギンカは泣きながら抵抗する。

「そのヴェールに触るな!」

男がライの手から銃を叩き落そうと刀を振り下ろす。しかし、そこで急にライが振り向いたので、刀はライの右目を切り裂いた。

「あああああっ!」

ライは目を押さえてうずくまる。視界が赤い。眼球は真っ二つに割れて、失明したようだった。

「おい!坊ちゃまをあまり傷つけるなと言っただろう!」

男は自分がしでかした事の大きさに尻もちをついてがたがた震え出した。

「あ、ああっ、すいません……!奥様になんてお詫びしたらいいか……!ああ!」

脳を貫くような痛みの中、ライは妙に自分が冷静であることに気付く。ライはゆっくりと立ち上がる。そして男から刀を奪い、一歩、一歩とノヴァに近づいていった。

「ああ、そうか、こんなに簡単なことだったのか」

「お、おい、それ以上近づくな。本当にこの女のヴェールを剥ぐぞ」

「技巧に富んだものだけが、完璧なものだけが美しいとは限らない。意味のあるものが、評価されるものが美しいわけじゃない」

「何を言っている?」

「自分が美しいと思うものは、自分で決める。奏でたいから、僕は音楽を、演じたいから、君はジュリエットに、僕はロミオになった。描きたいから絵を描く。歌いたいから歌う。創りたいから創る。自由だ。僕が欲しかったのは、自由だったんだ」

ライはノヴァに触れられるほど近くまで近づいた。三人はスポットライトの中だ。ライは持っている刀で自分の()()を刺した。血液が噴水のように両目から噴き出し、ライの顔は真っ赤に染まる。

「狂ってる!!」

ノヴァは腰を抜かし、ギンカを放して、這うようにしてスポットライトの中から逃げ出る。ライは刀を捨て、ギンカに一歩近づく。

「ねえ、もうこれで、僕は君を見ないから。――だから、そばにいてください」

それはまるで、夜間劇(ナイトショー)のワンシーンのように。

「……はい」

ライはまるで大昔の結婚式でやるように、ギンカのヴェールをゆっくりと上げる。そして、その唇にそっとキスをした。温かく、血の味がする。

「おい、もうずらかるぞ!さっさとこんな狂った場所から逃げ出すんだ!」

ノヴァは尻もちをついたままステージ上で繰り広げられる劇に目を奪われている男に怒鳴った。男はがくがくと頷き、二人はもつれる足を何とか動かして退場していった。

「ダイハード」より。

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