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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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32 地上へ

『ニュースです。昨日、21時ごろ、楽園の王、ファイ様が新たな法律を公式に成立させました。その法律は『エラーズも地下と地上を自由に行き来してもよい』というもので、エラーズがノーマルズの社会のより溶け込むように支援する細かい規定やガイドラインも併せて発表しました。……』

酒場のバイトの控室でラジオが流れている。

「マジで!?」

ライは制服に着替える手を止めてラジオをつかむ。エラーズも地上に行くことが許される。エラーズだからというそれだけの理由で薄暗い場所で人生を制限されなくてよくなるんだ。これからは平等の時代になるんだ。

今すぐダイの家に戻って教えてやりたい気持ちになったが、なんとか抑えて仕事に入る。他のバイト仲間に挨拶しながらホールに入り、開店前の清掃をする。浮足立つような気分だった。

今日も21時ちょうどにギンカが店に現れて、いつもの席に座った。

「こんばんは」

いつものように挨拶するギンカにライは接客のやりとりももどかしく、ラジオのことを興奮気味に話した。

「な、すごいだろ。今度の王はきっとエラーズに理解のあるヒトなんだ。楽園はきっといい環境になっていくよね」

しかし、ギンカの反応はライが期待したものとは少し違った。ギンカはヴェールの向こうで困ったような顔をして言った。

「うん、でも……、私はそんなに地下から出たいとは思わないかな」

「どうして?」

ギンカの反応がライには理解できなかった。ギンカは寂し気に笑う。

「別れて住むのが居心地いいし、一番争いも面倒もなかったから別れて住んでるんでしょう?ノーマルズと私たちは違うの。今更混ぜてもらって仲良くするなんてできるのかな」

「地上に出れるんだよ。光を浴びられるんだ」

「それはライがノーマルズだからでしょう。全てのヒトが光にあこがれてるわけじゃない」

はっきりと線を引かれた気がした。向かい合って話す彼女との距離が急に遠くなる。

「それは、優しさの押し売りだよ」

「……ごめん」

さっきまでの浮足立つような感覚は消え去り、代わりに胃の中に重い石を入れられたような気分になった。ギンカはいつも通り鍋焼きうどんを食べると帰っていった。会計の時にはいつもと変わらない雰囲気に戻っていたが、ライとの会話は少しぎこちなかった。


『何かあったのか?』

ダイの家に戻ると、ダイはまだ起きていて、大きなキャンバスに向かっていた。水彩ではなく、油絵を描いているようだ。ここ一か月ほど、毎日この絵に向き合っている。

『実は……』

ライはラジオのことをダイの表情を注意深く観察しながら、どんな態度をとればいいか考えつつ伝えた。

『へえ、いいね』

ダイの反応はギンカとは違った。ライはほっとするような複雑な気持ちになる。

『一度、ノーマルズの視線を気にせずに堂々と地上を見てみたかったんだ。自然光の中で絵を描けたら表現に幅が出るかもしれない』

この法律ができても、しばらくの間はノーマルズたちのエラーズに対する態度や視線が一気に変わることなどないだろうとは予想できた。

『ライはうれしくないのか?』

ライの微妙な表情を見てダイは尋ねる。ライはあわてて笑顔を作る。

『うれしいさ!ダイといっしょに地上へ戻れるなんて』

『そう。じゃあ、週末、いっしょに出かけよう。案内してくれ』

『いいよ。まあ、案内ができるほど詳しいわけじゃないけど、このブロックには川がきれいに見渡せる橋があったはず。そこに行こうよ』

『ありがとう』

ダイはまたキャンバスに向き直った。


さわやかな風の吹く、晴れた秋の日だった。川面はきらきらと輝いている。

ライとダイはそれぞれギターと画用紙をもって橋の縁に腰かけていた。ライは歌を歌った。ダイは美しい水彩の風景画を描いた。空き缶はつぶして置いておいた。

『君の歌が聞こえたらな』

ダイはライに手話で言う。幸せだった。このまま過ごしていたいと心から思った。

「よう、エラーズ」

突然頭上から声が降ってきてライは振り仰ぐ。その額に唾が吐きかけられた。少し遅れてダイもそれに気づく。

「何するんだよ」

ライは立ち上がった。相手は学生のパーティーのようで、四人いた。腰に上等でぴかぴかのペンが挿してあった。

「俺らが勉強することで経済回して、そのおかげで生活できてるくせに、お前らがやってることっていったら、お歌づくりにお絵描きかよ。いいご身分だな!穀潰しが!地上ででかいツラしてねえで地下に帰りな」

学生はヘラヘラ笑いながら、しかし脅しの効いた声で言った。

『ダイ、帰ろう。こいつらに構っちゃいけない』

ライはダイに伝え、ギターを片付け始める。

「おい、それまさか手話かよ?勉強はできねえけど、手話はできますってか。勝手にしゃべってムカつくな」

学生はライのギターを蹴飛ばした。

「僕のギターに触るな!」

ライは学生の肩を突き飛ばす。

「お、やんのか?」

見ていたパーティーの他のメンバーがダイを羽交い絞めにする。

「なんだ、これ。絵なんか描いちゃってさ。芸術なんかやったってなんの役にも立たないんだよ!」

そう言うと、学生たちは筆洗の中に溜まっていた色水をダイにかけた。ダイは水が鼻に入ったのか激しくむせる。その様子を見て学生たちは笑う。そして、絵筆を手に取る。

「おい、何するんだよ!やめろ!」

つかみかかろうとするライをあざ笑うように絵筆を投げてパスしあい、川に一番近いところに立っていた学生が「ハハハハハ!」と高笑いしながら絵筆を川に投げ込んだ。

「惜しけりゃ飛び込んで取りに行けよ」

「お前ぇっ!」

ライは殴りかかるが、学生は軽くいなし、ペンを抜いた。

「ペンをしまえよ!拳で戦えよっ!」

「うるせえ野蛮人(エラーズ)

「そこまでだ。野蛮人(ノーマルズ)

突然、ペンを構えていた学生が突き飛ばされるように前に倒れた。

「てめえ、後ろからは汚いぞおっさん」

長い黒髪をバンダナでまとめ、耳にはピアスが揺れる。鉄パイプを持った男が立っていた。男は肩をすくめる。

「これがケンカだ。そんなこともご存じないとは勉強やテストの安心安全なルールの中でいつまでもぬくぬく育ってきた代償だな。オトナになったら学園の成績だけで威張ってられると思うなよ!」

ライは学生が男に気を取られた隙をついて距離を詰め、腰のひねりの入った右フックをリーダー格の学生の頬にお見舞いした。学生は白目をむいてダウンする。

「こっちはケンカの経験豊富なオトナで、武器は鉄パイプだが手加減しないぞ。それが公平ってやつだろ」

男は大きく振りかぶる。ダイを押さえていた学生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

「助けてくれてありがとう」

ライは赤く腫れてきた拳を気にしながら男に礼を言った。

「どうも。ハッタリが効いてよかったぜ。見た目によらず俺はそんなにケンカしたことないんでね」

男はダイに手を貸して立たせると、ヒラヒラと手を振って去っていく。見た感じエラーズではなさそうだ。

「どうして助けてくれたの?」

「さあな。芸術が無価値って言われて腹が立ったのかもな」

男は地下に潜って見えなくなった。


次の日、ライが酒場でバイトをしていると、いつものようにギンカがやってきた。

「その手、どうしたの?」

ライの包帯を巻いた手に気付いたギンカがその手をそっと取った。ライはどきりとして反射的に手を引っ込める。

「ごめん、痛かった?」

「いや、大丈夫」

ライは手をまた差し出す。ギンカは包帯の上を優しくなでた。

「どうしたの?もしかしてケンカした?」

「別にどうともないよ」

「ケンカしたんだ」

いたずらっぽくギンカは笑った。

「考えたんだ。地上に出るってどういうことか。楽しいことなのか」

ライはギンカの横の席に座って真剣な顔で言った。

「何かわかったの?」

「わからなくなった。その、この前は軽率なことを言ってごめん」

「気にしてないよ」

ギンカは笑った。

「いつものやつ、お願い」


酒場の営業時間が終わり、ライはごみ袋を店の裏の路地に運び出す。人影がさっと路地の奥のほうに走り去るのが見えた。今週に入って妙な人影をよく見る。

「おい!僕をつけ回して何が目的なんだ?」

ライは路地の奥に向かって叫んだが、返事はなかった。

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