28 法律改正
『ニュースです。昨日、21時ごろ、楽園の王、ファイ様が新たな法律を公式に成立させました。その法律は『エラーズも地下と地上を自由に行き来してもよい』というもので、エラーズがノーマルズの社会のより溶け込むように支援する細かい規定やガイドラインも併せて発表しました。これについてテート・クロードのヒサメは『歴史上類を見ない試みなのでどうなるか見当がつかない』、また、テート・ケビイシのロザキは『地上の治安維持にこれまでになかった視点を取り入れる必要があり、体制が整うまでがケビイシの踏ん張りどころになるだろう』とコメントしています』
「新しい王はあんなこと言ってるぜ」
ギンナルはタバコの煙をふぅっと吐き出した。地下のマンションの一室、ラジオがついている。
「なかなか面白い少年だね」
白いフード付きのマントを被った男が長い煙管から煙を出しながらくっくっと喉の奥から心底おかしそうに笑った。この部屋の仮の持ち主だ。仮、というのは、このマンションの経営者は何年も前にこのマンションの管理をやめており、ゴーストタウンならぬゴーストマンション化していたところをこの男が自ら進んで掃除し、管理し、居住している。掃除してあるのはこの部屋の中だけで、完全に不法居住者そのものだが、本人に悪びれる気は全くない。それどころか、自分が住んでやることでこのコンクリートの塊に価値をつけ足せるとでも言いたげな態度で、ゴーストマンションに一人住んでいる。
「この世界の普通がまた壊れるね」
「壊せるかな?」
「そうなったら一興だねえ」
男は白いフードを脱ぐ。真っ白の髪が現れる。瞳は鮮やかな紫。日焼けを知らない、青白い顔。
「そう言うと思ったよ。ユメクイ」
ユメクイは煙管からタバコを大きく吸い込んだ。ギンナルとユメクイの付き合いは長い。いつからか正確には覚えていないが、いつの間にか知り合っていた。ユメクイはタバコを売っている。楽園においてタバコとは、単なる嗜好品とは少し違った意味を持つ。タバコはガクを特殊な技術を用いて粉末状にし、誰でも火をつければ好きな時にそのギモンを味わうことができるようにした品物だ。ガクはエネルギーそのものなので、下手にギモンなどと混ざったりすればモンダイに変化し、暴走したりする危険性もある。地上ではガクを他の手段、つまり教育や読書などから得ることができるのでタバコに手を出すヒトは少ないが、地下には、タバコをたしなむヒトも多い。ただ頭を空っぽにして味わっている分には自分の中のガクが一時的に増えたような快感が味わえる。
タバコにはそれぞれテーマがある。今地下で流通するタバコは哲学的なものや、思想、宗教、美学など、地上ではあまり重要視されないものが多い。
タバコ職人によってその味は変わってくるので、愛煙家はひいきの職人がいるものだ。ギンナルは別にユメクイをひいきにしているわけではなかったが、今までずっと彼から買い続けていても飽きていないので、ひいきしている、と言ってもいいのかもしれない。
「ファイについての情報はこの夏に探らなかったのか?」
ユメクイはギンナルの座る椅子の向かいのソファーの上で足を組み替えた。ユメクイの足は膝から下が両足とも銀色の義足だった。つなぎ目やねじを最大限隠して曲線だけで作られたその義足は妙に神秘的で美しい。ユメクイは靴を履かない、いや、正確には義足に靴を履かせない主義だ。
「夏は旅行に行ってたんでね。バケーション中の仕事は野暮ってもんだろ」
「へえ、珍しい。あんなに仕事熱心だった君がね」
「皮肉のキレが変わってなくて安心したよ」
ギンナルはガラスの灰皿に吸い終わったタバコを押し付ける。
「すると、困ったね。君はもう一本吸いたくなっても、交換できる品物が今無いってことだから」
「ツケにしてくれよ。これから営業再開だ。ファイについて探ってくる」
ユメクイは天井に向かって煙をゆっくりと吐き出す。
「……いや、ファイは別にそこまで興味はない。他に調べてほしいヒトがいる」
「誰だ?」
「マリアだ。マリアという女について調べてきてほしい」
「情報が足りないな。マリアだけじゃ見つかるかどうか」
「それを何とかするのが情報屋だろう。俺の最新作の一本、欲しくないのか?」
「やるよ」
ギンナルの差し出した手にユメクイはわざと恭しい手つきでタバコを一本乗せた。
「君もずいぶんとヤニカスになったものだなあ」
「俺にタバコの味を教えたのはお前だろ」
ユメクイはまた、くっくっと喉の奥で笑った。