22 伊尾の過去④
20歳の冬、伊尾は大学を辞めた。
自分がすべてを注ぎ込んで作った設計図は元親友の男の手に渡り、研究の意味を失った。顔を上げて回りを見れば、周りの連中はみな、バカに見えた。バイトにサークル、飲み会、遊び。伊尾は自分の居場所がないことに気付く。ギフテッドにも、普通の人にもなれなかった。
2年間ニートをやり、そのあとで就職した。なんてことのない、階級でいえば中の上といった情報系の企業だった。そのころには伊尾は今まで必死に詰め込んできたはずの知識のことはすべて忘れ果て、すっかりただの人として社会になじんだ。
その年に第何回目かわからないが世界大戦がはじまり、世界は残された資源や食料をめぐって争いを始めた。ロボット同士の戦いなので、戦争していようがしていまいが一般人の知るところではなかった。東京には大きな電波塔が立った。戦争は徐々に情報をめぐるものになってきて、伊尾の会社は儲けを出した。
戦争なんてどうでもいいが、儲かるのはいいことだ、と伊尾は思った。大きなプロジェクトを成功させて祝賀会で酒を飲み、解散して一人家路についていた時だった。またあいつが僕の前に現れた。
「久しぶりだな、伊尾」
天原は昨今の大気汚染を気にしてかマスクをつけていて、一瞬誰かわからなかったが、歩き方で分かった。
「僕の前からいなくなってくれ」
飲みすぎた酒のせいで気分が悪かった。今の自分の姿が天原にどう映るのか考えるだけで吐き気がした。
「謝りたいんだ」
「昔のことなら、もうどうでもいいよ」
伊尾は天原の横を通って歩いていこうとしたが、天原は急に地面に膝をついた。
「何?」
「ごめん。研究は失敗した。……桜田奏は死んだ」
天原はきれいなスーツのまま、路地裏の汚いコンクリートに頭をつけて言った。一瞬で酔いが醒めた。
「……何?」
「何が悪かったのかわからない。事故だったんだ。時間移動は失敗だ」
気付くと、天原は顔から血を流しながら路地のごみ箱に突っ込んでいた。自分の拳がぬるぬると生温かいもので濡れている。
「ごめん」
「……お前っ!!」
「本当にごめん」
胸倉をつかみ、抵抗しない天原を殴る。
「お前が、お前が救えると言ったから、僕は手を引いたんだ!俺は天才だから全部俺に任せておけばいい?そんな風に思ってたんだろ?その結果がこれか!天才なら、ギフテッドなら、責任をとれよ!」
「ごめん」
「くそ、……くそっ!なんでだよ!返してくれよ……」
涙がとめどなくあふれていく。こんなことなら、あの時カバンを渡さなきゃよかったんだ。いや、もっと前から。僕はどこかで天原を一ミリでも天才だと思ってしまったんだ。完全無欠でなんでもできる。そう信じてしまった。やっぱり、天才なんかいないんだ。みんな間違う。こいつを天才だと信じさえしなければ……。
遠くでパトカーの音がしているが、どうでもよかった。
一から理論を組み立てなおすのはとても骨が折れる作業だった。忘れ果てていた周辺知識をもう一度すべて入れなおすところから始めなければならなかった。会社を辞め、朝から晩まで理論を組み立てては穴を見つけて棄却し、また組み立てては棄却することを繰り返し、二年が経った。27歳になっていた。
伊尾はカバンにノートを詰め、8年前と同じように『カプセル』の所有する高層ビルの前に立った。
今度は、真向から面接に挑むわけではない。伊尾は懐からピストルを出し、玄関のセキュリティドアを破る。サイレンが鳴り響き、非常ランプの明かりでビルの中は真っ赤な光で満たされる。
伊尾はためらうことなくまっすぐにエレベーターに乗り、時間移動の専門の研究者たちの研究室に入る。警備ロボットが大量に襲い掛かってくるが、ピストルで応戦する。伊尾は決意に満ちた足取りで、大股でずんずん進んでいく。施設の構造は前からつかんである。
ここがどんな惨状になったってかまわない。僕が過去に行って僕の行動を変えれば、この未来はすべてなかったことになるのだから。
伊尾は天原に組み立てさせた車型の時間移動装置に乗り込み、持ってきたチップを機械に読み込ませ、エンジンをかける。
「どけえええええええ!!」
思い切りアクセルを踏み、ビルの中で加速する。飛び出して止めようとするロボットを引き倒し、人間のスタッフも何人か跳ねる。研究用の機械に突っ込み、車体はくるくるとスピンしてタイヤのゴムが火花を飛ばすが、伊尾はさらにアクセルを強く踏む。
車は最高速度を保ったままビルの窓に突っ込んでいく。窓が割れて車は宙に飛び出す。車の背後では先ほど伊尾が突っ込んだ機械から漏れたガスが引火し、大爆発が起きた。
青い閃光が光って、車は空中から姿を消した。