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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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18 夏の終わり

歌が聞こえる。俺はその歌声を深い水の底で聞いている。すべてを包み込むような、力強い歌。

「……!」

ニビは目を覚まし、がばっと上体を起こした。

「目が覚めたか?」

エンジが横にあぐらをかいて座り、ニビを見ていた。エンジの船、しんかい6号の甲板のようだった。嵐が嘘だったかのように雨は止み、空は夕焼け色に染まっていた。

歌が聞こえる。ニビは船の縁まで走っていって海を見下ろした。船のすぐ下には、大きな影があった。一つではない。たくさんの影だ。

「全部、本物のクジラだぜ」

横を見るとギンナルが立っていた。

「大合唱だ」

船は歌うクジラたちによって運ばれているようだった。進む先には夕焼け色に染められた街が近づいていた。

泣き出したいような、笑い出したいような、どんな顔をしていたかはわからない。ニビはギンナルの顔を見た。ギンナルもニビと同じ顔でニビを見た。


「あれはしんかい6号よ」

ルリは街に向かってくる一隻の船を見とめた。

『こちら、しんかい6号。ニビとギンナルとエンジは無事です』

エンジはメガホンで言った。

「よかった……!」

水面がうねった。大きなしぶきとともに、夕日を背にしてクジラがジャンプした。息をのむほどに美しい一瞬がそこにはあった。

「言ったろ?大きな生命はとてつもなくわかりやすく美しいって」

ニビは見とれているギンナルに言った。

「ああ。いいリハビリになった」

ギンナルは手帳を取り出した。



「それで、お前たち四人は見れたんだな。クジラを」

『ジェリーフィッシュ』の店主は言った。日が沈んで『ジェリーフィッシュ』は少し客が多くなってくる。

「そうさ。だから今日、緊急で宴をしようと思ってね。新曲もできたし」

ニビはギターを肩にかけた。

「コンサートは構わないが、まずはその生臭い体をもう少しなんとかしてほしいんだが」

「三回シャンプーしてこれなんですって。落ちないんすよ」

ギンナルは店主から酒のグラスをもらいながら言った。

「それに、早く歌いたくてしょうがないんだ」

ニビはステージに上る。店主はやれやれ、と肩をすくめると、フロアの照明を落とし、スポットライトを当てる。

「それでは早速、聞いてください。作詞ギンナル、作曲ニビで、『くじらのうた』」


コンサートはアンコールが何度もあって、夜明け近くまで客たちは踊り明かした。コンサートに来たヒトも、街のヒトも、ニビの何かをやり遂げたあとの顔を見て、労った。だれもバカにはしなかった。『くじらのうた』にすべてが歌われていた。感情がそのまま言葉になった。そんな詩だった。

空が白み始めたころ、ルリがイオの肩を叩いた。

二人は白々明けの街の中を歩いた。

「イオ、昨日はいろいろあったけど、ありがとう」

「いや、約束破ってごめん。約束破ったら君の家から追い出されるってことだったよね」

「ううん、もう約束はいいの。正直ラッキーが重なって奇跡みたいにうまくいっただけだったけど、そのおかげでクジラも見れた。だから約束のことは気にしないで。でも、そろそろ夏が終わる。夏が終わればまた海流が変わって楽園が流れ始める。楽園に帰るならそろそろ出発しないと間に合わない。今まではニビの地球2号がこの街で一番遠くまで行ける速い船だったんだけど、今はもうないから。イオはこの街に、昔海に沈んだものを取りに来たんでしょう。探しに行きましょう」

「ありがとう」

船着き場は昨日水量を調節しただけあって何事もなかったかのように静かだった。ノーチラス304号も無事だ。

二人はノーチラス304号に乗り込み、海底へ潜っていった。目当ての機械はすぐに見つかった。電波塔に同じような機械が使われていたので、取り外すだけだったのだ。

二時間後、手に入れた機械をもってイオはしんかい6号に乗り込んだ。

「今までありがとう。それじゃ」

「うん。またね」

夜通し宴をしていたので、イオたちのことをよく知るヒトたちはみな疲れて眠り、早朝の海岸に見送りのヒトは少なかった。

ギンナルも海岸にやってくる。来た時に持っていた大きな旅行鞄を腕にひっかけて引き、両手を上着のポケットに入れていた。朝が少し涼しくなっているのを感じた。

「それじゃあ、さよなら」

「ああ、さよなら」

ギンナルは見送りに来たニビと握手した。

「別れだってのに、案外湿っぽくならないもんだな」

ギンナルはすでに船に乗り込んでいるイオを見て笑った。

「さよならは笑顔でって、この街では決まってるんだ」

「ほんとかよ」

「ほんとさ。俺が考えたけど。俺は、ギンナルのことをずっと忘れないよ。君を覚えてる。だから、別れは笑顔でいられるのさ」

ギンナルは目を少し見開く。『覚えている』。俺を覚えていて欲しい。ずっと思っていたのはこれだったのかもしれないな。地下でどうしようもない人生をむさぼっているだけじゃ満たされなかった。詩作をしても変わらなかった。過去だけ抱えて若さを浪費した。それは全部、こういうことだったんじゃないか。

俺は誰かに、俺のことを覚えていて欲しかったんだ。

「ありがとう」

ギンナルは船に向かって歩き出す。

「青年!」

声がしてギンナルは振り返る。風が吹く。杖をついた老人が立っていた。

「……励めよ」

ギンナルは小さくお辞儀をした。

「ぅす」

船は朝日を浴びて出港した。ニビとルリは大きく手を振った。老人は船が見えなくなるまでその姿を見送った。やがて船は楽園の影に入る。

老人は機嫌よく『くじらのうた』を口ずさむ。

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