10 ギンナルと詩
「あー、会計はどうしたらいいかな?あいにく俺はここの通貨を持ってないんだ」
ギンナルはレストランの店主に尋ねた。
「必要ない。客人の食事代はすべてニビでつけている」
「悪いね」
ギンナルは店を出た。深海魚丼で腹を満たしたので、街の中を適当に散歩してみることにした。
街を歩いていると、ギンナルはこの街の住人がみなペンを持っていないことに気が付いた。新鮮な印象を受けたが、楽園の常識が通じるのはあくまでも、あのせまいカプセルの中だけなのだと再発見したかのような気持ちにもなった。
狭い路地をでたらめに曲がっているとごちゃごちゃと商品が積み上げてある店があった。気付くと足がそこに向かっていてギンナルは苦笑した。楽園の地下のごちゃごちゃとなにもかも雑多に置かれたような路地で生きていると、自然とそういう場所が落ち着くようになってしまったのかもしれない。もちろんその店は地下のような薄暗く、治安の悪い印象は一切なく、さわやかな雰囲気の範囲内でのごちゃつきだったので感じが良かった。
光の加減で虹色に光る丸いディスクのようなものがたくさんケースに入って積まれている。ギンナルは、一つ手に取って店先の光にかざす。光の反射を見て楽園の外壁のようだと思った。店の奥にヒトがいたので、声をかける。
「すいません、これはいったい?」
「これは、CDだ。プレイヤーがなくちゃ聴けないよ」
「聴く?レコードみたいなものですか」
「ああ、あんた、楽園から来たのか」
中年の男が立ち上がって両耳に着けていた耳当てのようなものを外して立ち上がった。意外と背が高かった。男はギンナルのほうに耳当てをもってやってくると差し出した。耳当てはコードで丸い機械につながっている。
「これはヘッドフォン。これがプレイヤー。CDで音楽を聴くことができる。もちろん、レコードよりもきれいな音質で。試しに一曲聞いてみな。好きなミュージシャンは?」
「おすすめで」
男はCDケースの山を探り、一枚選ぶとプレイヤーの中に入れて再生した。
「どうだ?楽園の中じゃあまり聞けない音楽だろう。2000年代初めに流行ってたポップだ。機械っぽい声がなかなかいいだろ」
「なかなかに甲高いな。歌詞がよく聞こえない」
「初めて聞く奴はみんなそう言うよ。歌詞カードってのが入っているから買うんだったらつけておくぜ」
「あいにくここの通貨がないんだ」
「楽園の通貨、ベイだろ?ここも同じさ」
男がポケットからコインを出して見せた。
「一枚買うよ」
ギンナルは階段を上って海が見渡せる開けた場所、おそらくなんらかのビルの屋上までたどり着き、手すりに体を預けながら歌詞カードをぱらぱらめくった。
よい詩だ、と思った。世界への怒りが叫ばれているのに美しい。いや、怒りや感情が高まって作品としてそのまま結露しているから美しいのかもしれない。
ギンナルはポケットから手帳を出した。手帳にはギンナルがちょくちょく書き溜めてきた詩が書いてある。ギンナルは十代の頃を楽園の地下でバイトをして暮らしてきた。かつてよく顔を合わせていた友人、ともいうべきヒトが詩を書いていたので真似してみようと始めたのがきっかけになり、今ではギンナルの趣味の中でも大きい位置を占めるようになっていた。手帳はかなり埋まってきており、胸の内ではひそかに詩集を出すことを検討していさえした。自分の書いた詩がたまっていくのを見ると、ガクも地位も定職もない、何もない自分にも価値があるような気にさせてくれる。タバコやアルコールなど、自分のどうしようもない状況を忘れさせてくれるものは多いが、自分の存在を肯定できるようにさせてくれるものは詩をおいて他にはなかった。
地下に流通するガクを流しても反応が起こらないタイプのペンを取り出し、新しいページに今の感情を詩として書きつけようとした。
風が吹いた。ギンナルの手から手帳が飛んで行った。幸い、海からの風だったので手帳は眼下の街へ落ちていくことはなく、ギンナルの頭上を飛び越えて後ろに落ちた。
ひとまずほっとして手帳に駆け寄り、手を伸ばした時、にゅっとしわの多い手が伸びてきて手帳を拾い上げた。顔を上げると老人が手帳を持って立っていた。
「あ、すいません。拾ってくれてありがとうございます」
ギンナルが手を伸ばしたが、老人は返す気配もなく手帳をぱらぱらとめくった。
「それ、俺のです。返してもらえませんか」
「つまらん」
「え?」
老人はギンナルの手に乱暴に手帳を押し付けた。
「あの、なんて……」
老人はギンナルをにらみつけるようにはっきりとした声で言い放った。
「お前の詩はつまらん。不快だ」
「な……!」
もちろん自分でもとても上手いとは思っていない。しかし、こちらも何年も続けてきた意地はあるし、少なくとも見知らぬ通りすがりの老人に唾を吐かれるような作品ではないと思っている。詩にした内容やその時の感情まですべてけなされたような気になって、ギンナルは言い返した。
「そりゃ感性はヒトそれぞれですが、初対面のあんたに馬鹿にされる筋合いはない。だいたいあんたは何処の誰で何の権利があって俺の詩を評価するんですか」
老人は表情を変えずに言い返す。
「つまらないものはつまらない。だから俺はつまらないと言った。それまでだ」
「じゃあ何がつまらないか言ってみてくださいよ!あんたが言ったところ全部直せばさぞかしいい詩ができるんだろうな!」
ギンナルは叫んだ。老人は落ち着き払って言った。
「お前の作品は逃げが見える。芸術を甘く見ているのが伝わってくる。俺は技術のことを言っているんじゃない。技術ももちろん足りていない。お前の詩は自己満足で、子供の落書き以下だ。どんな名人が直したってつまらない詩にしかならないだろう」
ギンナルは老人の胸倉をつかむ。
「お前は楽園から来た者だな?楽園のものが下手な詩作をするなんて理由は見え透く。勉強が嫌だからだろう。詩に逃げたっていいものが書けるはずがない。おおかた詩で存在意義を証明したいとかそんなところだろう。そんな下心はきちんとやってきたものにはちゃんと読み取れる。下心があるぶん媚がにじみ、子供の落書きよりも低俗で下品だ。……お前はきっと、詩のことさえきちんと勉強したことがないだろう」
老人は杖で胸倉をつかむギンナルの手を払いのけると、建物の中に消えていった。
「くそ、……なんだよ」
ギンナルは手帳を握りしめた。こぶしの中で手帳がひしゃげた。
「……なんでわかるんだよ」