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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
62/172

9 ノーチラス304号

「この町は青の街って呼ばれることも多いけど、階段の街、とか、積み木の街とか呼ばれることもあるんだ」

青の街は青く塗られた壁や青いタイルでおおわれた建物がひしめき、細い通路や階段が建物から建物へとつながり、橋を渡っているときに見下ろせば、眼下を船が通っていく。どこかしこにも海のにおいとおいしそうな料理のにおいがしていて、音楽が流れていた。ヨーロッパのどこかにまよいこんだような感覚だった。街行くヒトたちはみなニビに朗らかに挨拶をし、イオたちにも温かい挨拶を投げかけた。

「この路地を抜ければもう着くよ。俺の行きつけのレストランに」

路地は下り坂になっていて、海面よりも下にあった。入口のドアを開けるとカランコロンと澄んだチャイムがなった。

「こんにちわー」

レストランは船の中にいるかのような錯覚を起こさせるデザインだった。丸い窓からは水面でゆらゆら光る太陽光が美しく差し込み、真ん中には円柱形の大きな水槽、その周りをぐるりと取り囲むようにカウンター席になっていた。テーブル席もいくつかある。

「好きなの頼んでね。俺はいつもので」

カウンターに並んで腰かける。店主らしい男がイオたちの前に軽い金属板でできたメニュー表を置いた。男は日焼けしていて、あごひげを伸ばしている。筋肉のついた体はかなりナイスボディだ。

「ええと、じゃあこの、深海魚丼で」

イオは一番上のメニューを指さす。

「何尾だ?」

「じゃあ……4つください」

イオは添えられている魚のイラストを見て言った。漫画的な画風の魚が四匹陽気に笑いかけている。

「いや、2つで十分だ」

なんで聞いたんだよと思いながらイオはギンナルにメニューを回す。

「こいつと同じので」

店主は料理を作り始めた。水槽をよく見てみると、見たこともない形の魚が泳いでいた。

「めずらしい形の魚だな」

ギンナルも同じことを思っていたようで、イオはうなずく。

すぐに目の前にどんぶりがどんと置かれた。イオと深海魚のうつろな目が対面する。ぶよぶよした質感の深海魚で、色は黒い。強いて言えばチョウチンアンコウに近いイメージだろうか。イオとギンナルは思わず目を合わせる。

「ははは、大丈夫だよ!見た目はちょっとアレだけど、オーナーが作る飯はうまいんだ。始めてきたやつはみんなそんな反応するけど、まだ死んだやつはいないし」

ニビが笑って言うが、最後の一言が気になる。イオは意を決して深海魚の頭からガブリとほおばった。ギンナルはまじかよと言わんばかりの目でイオを見守る。

見た目どおりに触感はぶよぶよして水っぽいが、その奥に出汁の味がほんのりする。超うまい、とはとてもいえないが、まずいわけではなかった。

なんとも言えない顔でもぐもぐやっているイオを見て、ギンナルもかぶりついた。たちまちギンナルもイオと同じ表情になってもぐもぐやり始めた。

「ああ、そうだ、オーナー。イオとギンナルは楽園から来たんだ。イオはこの街に沈んでる歴史的遺物に興味があるみたいなんだ。この後ルリあたりを紹介してやってよ」

「俺が紹介するまでもない。ほら、本人様のお出ましだ」

店主が顎をしゃくった先の、店のドアが開いて少女がレストランに入ってきた。白いTシャツの上にオレンジ色の救命胴衣のようなベストを着て、ショートパンツ、裸足のままスニーカーを履いている。長くストレートな茶髪はポニーテールにまとめられている。

「私の話?」

ルリは軽く顎を上にあげるようなしぐさで尋ねた。髪が肩を滑る。彼女の目は青く、顔はかなり整っていた。

「いいところに来た。このヒトはイオ。楽園から来たんだ。海底の歴史的遺物が見たいみたいだから、ルリの潜水艦で連れて行ってあげてくれよ」

「私の潜水艦はあなたのと違って仕事用なんだけど」

「ほぼ私物のように使ってるくせに」

「公務用のをパクったあなたには言われたくないわ」

ニビは肩をすくめる。ルリはイオのほうを見た。

「こんにちは。青の街にようこそ。私はここの海底安全管理係を務めているルリ。よろしくね」

「イオです。よろしく。こっちは楽園から来たギンナルです」

イオはルリと握手してギンナルを紹介する。ギンナルは深海魚を口に入れたまま手を軽く上げた。

「じゃあ頼んだよ。今夜のコンサートチケットやるから」

ニビはルリの手にチケットを滑り込ませるとレストランから出ていく。

「別に欲しいなんて言ってないんだけど?」

ルリはその背中に向かって叫んだが、ニビは手を振って出て行ってしまった。ルリはため息をつくが、まんざらでもなさそうだった。

「イオ、私の潜水艦は近くに停めてあるよ」

イオは慌てて丼に残ったご飯をかき込むと、ルリの後を追った。ギンナルはイオにヒラヒラと手を振った。


「ニビはあのレストランの専属楽士なの。月に一度くらいコンサートをやってて、今夜がそう。オーナーさんに出演料を払わなくちゃいけないからチケットを売らなきゃいけないんだけど、いつもぎりぎりになって私に売りつけてくるの。人脈があるように見えて人望はあまりないのよね」

ルリの後について青の街の入り組んだ路地を通る。どの路地も青く、明るく、海のにおいがしていた。

「どんな演奏を?」

「ギターの弾き語り。まあまあうまいと思うんだけど、そこまで有名じゃなくて、昔からの付き合いのヒトで会場を埋めてる感じ。知名度もないのに一か月に一度とか気取ったこと言ってるからよ」

「船を持っていたけど、その仕事は楽士とは関係あるの?」

二人は密集した建物が周りをぐるりと取り囲んでいる開けたところに出た。上を見上げるとまるで井戸の中から空を見上げるかのような感覚だ。その場所はイオたちが立っている足場を除いては水があり、どれほどの深さなのかは水面から見ただけではわからなかった。

「潜水艦はここ。その質問は中で答えるわ」

ルリは自分が立っている場所から一歩下がってレバーをひねると、ハッチが開いて潜水艦の中に続く階段が現れた。イオたちが乗っているその足場が潜水艦だったのだ。

潜水艦の床に降り立つ前にイオは何か本を踏んで転んだ。見渡すと部屋中が本や紙であふれていた。

「クジラ……?」

イオはたった今自分が踏んだ本の表紙に描いてあるイラストを見た。壁に貼り付けられているメモにも、机に積み重なって置かれているのも、ほとんどクジラに関するもののようだ。

「ようこそ、ここが私の船、ノーチラス304号だよ」

ルリがハッチを閉めて、イオの後ろに降りてきた。

「この部屋は私の研究室。私は青の街の海底安全管理係の一人なの。海底安全管理係はみんな一人一つ船をもらえる。その船で海底を日々パトロールして近海におかしなことが起きていないかチェックする。もちろん点検以外の時間は暇だから、みんなそれぞれ海について探求したいことを探求することもできる。私の研究のテーマはこれ。クジラよ」

「クジラなんて、このじた、いや、このあたりにも生きているのか?」

クジラは地球上でもっとも大きな哺乳類だ。イオの時代でも多くの種類のクジラが環境の変動によって絶滅した。人類がエンシェという姿をトイロソーヴという姿に変えなくては生きていけなくなったのも、ある意味絶滅とも言える。人間でさえ絶滅したというのに、そんなに大きな生物が変わりゆく環境の中で生き延びることができたのだろうか。

「もちろん、ほとんどの生物は1000年前に絶滅したわ。これまでに蓄積された膨大なデータと研究からそのような大きな生物はもういないと信じられてる」

「信じられている?」

「学のある楽園のヒトが聞いたら馬鹿にするでしょうね。でも、私は、クジラはいるって信じてる」

ルリはまっすぐにイオの目を見て言った。

「質問の答えよ。ニビは幼いころ、海面にクジラの尻尾を見たの。それ以来、ニビはずっとクジラを探している。ニビは楽士で何とか食いつないで、稼ぎのほぼすべてをクジラの調査の費用に充てているの」

「信じるよ」

イオは言った。思いの外声が掠れて囁くような音になった。信じたい、という気持ちに近かった。生物の絶滅の原因を作ったのは紛れもなく過去の人間、エンシェである。

ルリは奥の船室のドアを開けた。

「こっちが操縦室」

操縦室は大きな窓があり、飛行機の操縦室のようにたくさんのレバーやボタンがあった。

「歴史的遺物の調査の前に、私の今日の仕事を終わらせちゃうね。そこに座って」

ルリが指さした壁際の床に固定された椅子にイオが腰かけたのを確認すると、ルリはノーチラス304号のエンジンをふかした。ヘッドライトが点灯し、ゴボゴボと音を立てながらノーチラス304号は青い水の底へと沈んでいった。ビルとビルの間を抜け、以前は海面上で渡り廊下の役割を果たしていたであろうアーチ状の建物の下をくぐる。下にもぐるにつれて日光が届かなくなっていき、青は深みを増していった。レストランの水槽に泳いでいたものに似た魚が二人の目の前を横切っていった。

30分ほど経ったころ船は沈むのを止めた。ルリは船のヘッドライトを慎重に動かしながら海底を注意深く照らして観察した。海底には折れた鉄骨やコンクリートの塊、車、家電など、いわゆるゴミが堆積していた。

「海の底のゴミ山を点検するのが海底安全管理係の仕事なのか?」

イオが聞くとルリはうなずく。

「ええ。およそ1000年くらい前にエンシェが地球の環境をめちゃくちゃにしてしまったんだけど、その名残がまた私たちの生活を脅かすことがないように点検しているの。このあたりはそこまで危険がないとされているけど、ほら、あそこ。あっちの山はドラム缶が混じっているでしょ?あのドラム缶は放射性物質が含まれた産業廃棄物なの。もしなにかのはずみで缶が開いたりしたら早急に対応しなきゃいけないから。この船にはセンサーも積まれてるけど、やっぱり係のヒトがきちんと目視で点検しなきゃいけないの。……今日も問題なさそう。次のポイントに向かうよ」

ルリは船を操縦して別の場所に向かった。イオは深海の静けさと薄暗い海底に沈む廃棄物の山の影に息苦しさを感じた。船は建物の中に入っていった。

「ここはかつて日本一の電波塔の最上階だった場所よ。ここの設備から発信される電波でエンシェは人工衛星や宇宙センターと通信していたの」

そこはイオにも見覚えのある場所だった。中に入ったことはなかったが、東京の真ん中に大きくそびえたつ電波塔は科学の発展の象徴とまでされていた。宇宙との交信もそうだが、イオたち一般市民も携帯電話の電波や産業用AIの電波、とにかく生活のあらゆる面で恩恵にあずかっていた。

「1000年前に機能の大方は壊れてしまったけど、今でも私たちはこの電波塔を使っているわ。今宇宙にはただ浮いているだけの人工衛星のゴミがたくさん浮いているの。それらが落ちてくるときわずかに電波を発しているからそれをキャッチできるのがこの電波塔。人工衛星が大気圏で燃え尽きずに落ちてくるとさすがに危ないから事前に察知できるようにチェックすることも重要な仕事なの」

ルリは船からアームを伸ばして器用に操作して、電波塔の機械をいじった。

「問題なし、と。今日の仕事は終わり」

ルリはイオのほうへ顔を向けた。

「で、イオはどんな時代の歴史的遺物に興味があるの?時代によっては私より詳しく研究してる同僚を紹介するよ」

「ルリは、……」

「え?なんて言った?」

イオが言いよどむ様子に困惑したようにルリが耳をイオの口に近づける。イオはつばを飲み込んだ。

「ルリはエンシェを恨む?」

「エンシェを?」

予想していなかった質問にルリは首をかしげる。

「エンシェがもっと地球を大切にしていたら、今の君たちはこんな生活をしていなかったはずだ。過去の人間が犯した罪の尻ぬぐいをしなきゃならないなんて、不当だって、そう思ってるだろ?」

「イオは、そう思っているの?」

「え、いや、僕は、その……」

ルリは船を動かして電波塔の外に出る。イオの時代には天を突くようにそびえたっていたシルエットが水圧でややゆがみ、塵が表面に堆積してさび付いた姿で残っていた。科学の発展の象徴だった塔は、海底の青い光の中でゴミに見えた。

「恨んで何とかなるならとっくに恨んでるよ」

イオはルリの横顔を見る。彼女の眼は電波塔を見据えていた。

「でも、どうしようもない。失われた美しいものは戻ってこない。私たちは今私たちにできる範囲で海の上に美しいものを、美しい街を創って、それを守るだけ。まあ、もし私がエンシェにひとつ文句が言えるとしたら、地球にクジラって生き物を残しておいてほしかったな、ってことかな」

もっと言ってくれよ、とイオは思った。もっと僕たちを恨んでくれ。どうか罵倒してくれ。

イオの以前の研究テーマは時間移動。時間移動という技術は大量のエネルギーを消費する。そのエネルギーを生み出すために多くのものを犠牲にした。科学の発展こそが人類の進化。正しいことをしていると思っていた。環境が壊れていくことの危機感はあの時代に生きる人間全員が頭の隅では感じていただろう。しかし、考えないようにしていた。時間移動の研究者だけではない。多くの分野で研究者たちは自らを正当化し、周りを、未来を犠牲にしてやりたいことだけを突き詰めてきた。

「協力させてくれ」

気付くとイオはそう言っていた。ルリの手をつかんで続ける。

「僕もクジラを探す。僕の目的はそのあとでいい」

ブレードランナーより。

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