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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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8 青の街

イオはぼんやりと車窓を流れる景色を眺めていた。中央ブロックからまっすぐ北に延びる春嵐ラインに乗って楽園の外壁まで向かう。

イオが北ブロックに足を踏み入れるのは初めてだった。北ブロックの最大都市であり、社会の塔があるのはルリノテカンという町だ。そこは十分に栄えていたが、そこを超えてしまうと砂漠というか砂丘というか、砂山の多い景色が続いていた。集合住宅やマンションが多い。やがてその住宅も少なくなって、見えるのは砂くらいになった。

『次は終点、エンダ、終点、エンダ。ご利用ありがとうございました。お忘れ物のないよう、お降りください』

イオは無人の駅に降り立った。駅員もいない。楽園の外壁が見えた。外壁は透明で、完全な球形ではなく、三角形の板が整然と組み合わさってドームのように楽園に覆いかぶさっていた。何層か層があるようで、光の加減によっては虹色に反射して見えた。

砂をうっすらを被ったホームにイオは足跡を見つけた。足跡と、キャスター付きのスーツケースを転がしたようなタイヤの跡。

辿っていくと、外壁に触れるほど近くに辿り着いた。透明な壁に出入口があって、そのそばの小屋には年配の守衛の男が一人いた。

「楽園の外へ行くのかい?」

守衛からは酒の匂いがした。小屋の中は生活感あふれる感じで散らかっており、ラジオが大音量でつけっぱなしになっていた。

「はい」

「そうかい。最近は仕事が多くて困るねェ」

守衛の男は書類をいくつかと注射器を持ってきた。

「ここに名前をなぜ楽園を出るか、いつ帰ってくるつもりか、もう帰ってくるつもりがないか、あと書きたければ遺書や伝言も書いていきな」

楽園を出るには相当な覚悟がいるようだ。

「そんでもって、お前がノーマルズならこの注射器でお前の血を残していけ。お前が帰ってこなかった場合に楽園の知的財産が一つ減ってしまうからな」

守衛の男はイオの腕をつかんで袖をまくり上げる。男の手は酒のせいかぶるぶる危なっかしく震えていた。

「じ、自分でやります!」

「遠慮するな。おい、動くな!」

「動いてるのは僕じゃありません!」

ただ採血しただけとは思えないほどにダメージが入ったが、何とか採血も終わり、書類も書き終えた。

「じゃあ、達者でな」

守衛の男はイオを追い払うかのように手を振ると、また酒瓶を手に取った。

イオは楽園の外壁に開けられた半円型のトンネルの中を歩いた。不思議な感覚だった。透明な厚みは10センチもないような無数の薄い三角形の板が組み合わさって壁を作り、その壁が1メートルおきに並んで楽園を包んでいる。壁と壁の間を覗くと、ずっと向こうのほうに白や虹色が見える。何層の壁があるのかは数えなかったが、壁の中、透明な光の中を何分か歩いた。外に近づくにつれて視界は明るくなっていく。

足元が濡れていた。潮のにおいがした。

楽園から出た。カプセルの外側に張り付くように船着き場があった。風が吹いていた。

「おや、イオじゃないか」

声がして見回すと、大きな旅行鞄を引いた男が立っていた。

「ギンナル?」

「お久しぶりだね。君も青の街に行くのかい?」

少し首を傾けるようなしぐさをしてギンナルは尋ねる。ピアスが揺れた。

「ああ」

「まだ船が来るまでは時間がある。壁際の海に落ちる心配のないところで待って居よう」

「いいね」

イオとギンナルは透明な楽園の外壁に寄り掛かった。

「何か人生に行き詰まりでも感じたのか?」

ギンナルはイオに聞いた。楽園を離れることは普通の人ならよほどの理由がない限り選択しないものらしい。当然か。楽園という名前なのだから、とイオは思った。

「いや、そういうわけでは。君はそうなの?」

パーティーを一時解雇されたのは行き詰まりと言って差し支えがないかもしれないが、楽園を離れるという行動とは直接関係はない。ギンナルはイオの返しに対して少し間をおいてから答えた。

「まあ、どちらかといえばそうかな。楽園の憂いは楽園に居ちゃ忘れられない。――ある意味、逃避行だな」

海を眺めながら言うギンナルの横顔をイオは盗み見た。初めて会ったのは去年のイオが楽園に来たばかりのころだ。この一年で楽園という世界の構造や、その闇の一部も見てきた。器用に生きているように見えてこの人も大変なのかもしれないとイオは思った。

「そうですか」

海を眺めていると、白い小さなヨットのような船が近づいてきた。

二人が近くまで行くと、青年が船から下りてきた。トイロソーヴの姿で、イオたちと同じ二頭身の体だった。日焼けした肌に長い茶髪を一つに結んでいて、緑色の目をしている。白いティーシャツに半ズボンのいでたちだ。健康的という表現がよく似合う。

「こんにちは。乗っていきますか?」

青年は愛想よく二人に声をかけた。二人がうなずくと、青年は二人と握手する。

「俺はニビです。いつもはこの船で周辺の海を調査してる。今は送り迎えのサービスもやってるよ。乗り心地は悪いかもしれないけどくつろいで行ってよ」

「ありがとう。ギンナルだ」

「イオです。よろしく」

ニビの船は乗ってみると海面上に見えている部分だけ見ると小さな船に見えたが、海面に沈んでいる部分はかなりゆったりしたスペースが広がっているようだった。

「30分もあれば着くよ」

ニビは操縦室に入っていった。船は出航した。波を超えるとき独特な揺れがある。気を抜くと酔ってしまいそうだ。

「さて、二人は青の街にどうして来ようと思ったの?」

二人の後ろにはニビがいた。

「操縦はいいのか?」

「うん。ここからまっすぐだからオート機能に任せておいても大丈夫だよ」

「ええと、僕は青の街の下に沈んでる歴史的遺物に興味があって。できればサルベージ、つまり、引き上げて調べてみたくて」

イオは答える。

「へえ、たしかに青の街には昔のモノはほぼなんでも沈んでるよ。知り合いの歴史研究をしている人を紹介しようか?」

「本当?それはありがたいな。ぜひお願いします」

サルべージの技術も、装置も望みがありそうだとわかってイオは希望が見えた気がした。

「なんで歴史的遺物に興味を持ったんだ?楽園の歴史だけでは飽き足らなくなった?たしかイオって理系だったような……」

ギンナルが興味深そうに言った。

「あ、いや、これは夏休みの課題みたいなもので、長期の休みを利用して自分の探求心を満たすための旅っていうか」

イオはギンナルにエンシだと勘づかれでもしたら大変だと、ごまかした。

「ふうん、学園ではそんな課題が出されることがあるんだな」

ギンナルが納得したのでひとまずイオは胸をなでおろす。

「それで、ギンナルは?」

「ああ、俺は大したことじゃないよ。死ぬ前に一度くらいは楽園の外を見てみたいって気持ちかな。あとはまあ、海中図書館にも行ってみたい」

「観光か。楽しんでね」

「海中図書館ってなんですか?」

イオが聞くと、ニビが答えた。

「青の街は海底から建物が海面までずっと伸びているんだけど、その海面から上の部分だけじゃなくて下の部分まで貫くようなビルが一つあって、そこが図書館になっているんだ。古いものから新しいものまで、メジャーなものからマイナーなものまでなんでも取り揃えてあるよ。あの図書館は俺たち青の街の住人の誇りなんだ。……そろそろ見えるころかな」

ニビは船首のほうへ向かった。

「さあ、ごらんあれ。これが、空に一番近い街」

そこには真っ青な水平線の上、青い空の中に立つ、積み木のように積み重なった建物の群があった。街は青かった。船酔いも忘れて見入るほどの景色がそこにあった。

「青しかないや」

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