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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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5 春風園

「……ンナルさん、ギンナルさん!次の駅ですよ」

事務のお姉さんが肩を叩いたので、ギンナルは慌てて列車の座席から跳ねるように立ち上がった。

「どうかしたんですか?」

事務のお姉さんは小声で聞いてくる。ギンナルはホームの時計を見た。4月2日午前10時。春風園が開園した。

「……いや、なんでもない」

ギンナルは首を振った。


「わあ、あそこにもう観覧車が見えるよ!あ、ジェットコースターも」

チケットを買って入場口へ向かう。

「最初はジェットコースターに乗って、次はコーヒーカップ、射的で、フランクフルトと綿あめ食べて、」

モモは入場するなり駈け出そうとする。

「おい、遊びに来たんじゃないだろ。ちゃんと調査しろよ」

周りをそわそわと見渡しながらギンナルは言った。ここまできて、ギンナルはまだ迷っていた。あの母親とモモを会わせてもよいのだろうか。再開はもっと大人になってからでも……?約束の時間は正午だ。正午までのあとに時間ばかりはモモの探偵ごっこに付き合い、正午になるまでに考えよう。だめなら隠れればよいだけのことだ。ギンナルは自分にそう言い聞かせて考えるのを先延ばしにした。

「とりあえずジェットコースターに乗ってみたらどうでしょうか。パークの真ん中にあるし、パークを上から見ればなにかわかるかもしれませんよ」

事務のお姉さんが言うので、三人はジェットコースターに乗った。降りたところで写真をもらった。

「ギンナルの顔、すごいひきつってる!」

「モモだって相当ビビってるじゃねえか」

三人は笑った。


ジェットコースターの後はコーヒーカップに乗り、屋台でソフトクリームを買った。事務のお姉さんがトイレに立ってしまい、二人はベンチに残された。

「今日はいつもの虫眼鏡を持ってきていないんだな」

「あー、うん。でも、ちゃんと調査はするよ」

「えらいな」

「何が?」

「働こうという意欲が」

「私のためだもん」

「俺は働きたくないけどな」

ギンナルはソフトクリームをなめる。春に食べるソフトクリームは夏に食べるソフトクリームのあの溶ける速さと競争しているようなドロドロ感ではなく、ふわりとした冷たさがあるなあ、とぼんやり考えた。

「なんで?」

「なにもしないで生きていたい」

「ほんとに私より歳とった大人?」

「でも、そうなんだ」

春の風が吹いていた。

「ほんとは、私も働きたくないよ」

「探偵にもなりたくない?」

「うん。ほんとはね」

「子供はわがままなほうがいい」

ソフトクリームだけ見ていた。気が楽だった。今年になってこの瞬間が一番春のにおいがすると思った。

時刻は12時10分を指していた。

「閉園まで探して、それで帰ろう」

モモは最後の一口を口に放り込むとベンチから立ち上がった。

「もちろん」

モモとクニカは会わせない。モモにはひたすら今の楽しさだけを見てほしい。探偵ごっこを変な男とやって、変だけど遊んでくれる男と遊園地で遊んで、もう、それでいい。俺にできることは過去を諦めさせて前を向かせることだ。


聞き込みはせずにジェットコースターに何度も乗った。

「次はピースしよう。そのあとは変顔!」

事務のお姉さんは途中からジェットコースターに付き合うのに疲れてベンチに座って見ていた。

夕方になり、あたりは薄暗くなってきた。

「よし、次のポーズは……」

ギンナルが言いかけたとき、一人の少年とすれ違った。

「おかあさん、風船もらったよ!」

「!」

ギンナルは思わず振り返った。新しいほうの家族写真に写っていた少年にそっくりだったから。少年の青い風船の行く先に目をやった。しまった、と思ったときには遅かった。モモもその姿を見つけた。

「おかあさん……?」

「モモ、あの、」

モモの両目からは涙があふれだした。モモは膝を折る。

「そっかぁ……。そうかあ。おかあさんはもう私のこと、……好きじゃないんだあ」

「違う!」

思ったよりも強い声が出た。

「俺は前にこのヒトに会った。モモのことを愛してるってはっきり言ってた」

「もう、なぐさめはいい。今年は、……今年ははがきが来なかったんだ」

モモはしゃくりあげる。

「今日ここに来る前にはもうわかってた。もう、おかあさんは、私のおかあさんを辞めたんだ!」

「……じゃあ、このまま帰るのか?」

モモはうつむいている。足元には大粒のしずくが落ちて地面にしみを作っていた。

長い時間が経ったようにギンナルには思えた。モモは口を開く。

「……いやだ――嫌だ!」

モモは首を振った。

モモは駆け出し、近くの射的のコーナーまで行くと、コルク銃を構えて少年の青い風船を撃った。おかあさんから離れて別の場所に行こうと歩いていた少年の頭上で風船はパチンと音を立てて割れた。

少年は驚いてあたりを見回す。そこにモモがとびかかった。

「がんばれ、モモ!」

ギンナルは叫んでいた。

モモは感情のすべてをぶつけるように少年に殴りかかる。最初は少年は何が何だかわからないとでもいうようにただ悲鳴を上げていたが、やがて少年もモモに反撃し、モモをかいくぐると、観覧車のほうへと逃げだした。夜景を見るために夜になるほどヒトが多くなる乗り物の一つなだけに二人の戦闘はもみくちゃだった。たくさんのヒトにぶつかり、転がり、やがて乗り場まで乱入した。

「だ、だれかこの子たちの保護者はいませんか~!?」

案内のスタッフが二人を乗り場から遠ざけようとしたが、二人は素早くかわしてケンカを続けている。

「がんばれ、モモ!」

いつのまにかギンナルの隣には事務のお姉さんがいて、そう叫んだ。事務のお姉さんの手には赤い風船が握られていた。

それを見てモモは少年を観覧車のゴンドラの中に押し込んでドアを閉める。少年は必至に開けようとするが、モモの手が離れたときにはもうゴンドラは飛び降りれないほどの高さまで達していた。

「一周は約15分です。急いでください」

モモはうなずいて風船を受け取ると、母のもとへと走っていった。


メリーゴーランドの前のベンチにクニカは座っていた。

赤い風船をもった少女がやってくる。

「久しぶりね」


「なにを話したんだろうな」

ギンナルは隣の事務のお姉さんに聞いた。

「わかりません。でも、後悔はなかったんじゃないかと思います」

「そうだな。……そういえば、この遊園地では赤い風船は二年前に無くなって売っていないはずだ。どうして赤い風船を手に入れられたんだ?」

「私がただの事務のお姉さんではなく、ハイパー事務のお姉さんだからです」


「ねえ、おかあさん。私、夢ができたんだ。――私も、事務のお姉さんになりたい」



事務のお姉さんがオフィスに帰ると、零時を過ぎていた。とうとう仕事を家に持って帰らなくてはならないようだ。デスクから必要なものを鞄に詰めようとして気付いた。やけにデスクの上がきれいだった。

まさか、撤去?強制退去させられる?クビ……?

「ぺ、ペパロニ君!私のデスクに置いてあった仕事って……」

控室に駆け込むと今まさに充電用のボックスに入ろうとしているペパロニ君がいた。

「終わっています。――あなたの名前で。私レベルのAIは上司の目をちょろまかすことも容易なのですよ」

と言ってボックスに入ってしまった。

「え……?」

「ああ、そうそう。新たに始まる事業に適任な事務員を上げるように言われてあなたを推薦しておきました。上司の伝言です。あなたはこれからハイパー・エクストラ事務のお姉さんと名乗ると良いそうです。新しいオフィスでもどうぞあなたの志を十分に発揮したらいいと思いますね。それじゃさようなら」

「エクストラ……」

事務のお姉さんはオフィスを出る。そして、いつもよりも少しだけ足取り軽くアパートへと帰っていった。

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