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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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2 事務のお姉さん

楽園のAIブームには波がある。周期的に寄せては返すその波は創設当初から問題視されている。この楽園という場所は未来へ知識を保存しておく保存都市であり、記憶のバトンをつなげていくのはトイロソーヴたち(ヒト)である。トイロソーヴは勉強をすることがある意味最大の目的であるので、生きる上で必要となる事務的な労働はAIに任せてしまえばいいではないかという主張は理に適っているともとれる。しかし、AIは楽園創設の時点で自ら学ぶことができるまでに発展していたため、AIが保存都市にいることは、狭い領域での技術の飛躍が起こる可能性を秘めていた。狭い領域で技術の進歩が著しく加速すると、よくないことが起こるのは歴史が証明済みである。かといってAIやロボットをすべて排除してしまうと、それも問題だ。こういうわけで、AIはヒトに頼られたり壊されたりしていた。

一番近いAIブームは二十数年前である。現在、その名残はやや残っていたが、ロボットに課される仕事は本当に事務的な単純作業のみに限られていた。

ふぅ、と一つ息を吐いて、事務のお姉さんは伸びをした。

目の前にはたくさんの書類が並んでいた。依頼された仕事は、直すところが0%になるまでとことんやるのが彼女の主義だったが、すでに0%らしいということは見えていた。


電話がかかってきたのは一昨日の夜中だった。事務のお姉さんは現在、中央の職業紹介事業所で働いていた。日付が変わる直前になって電話がかかってきたので、緩めようとしていた気を再度引き締めなおして、まったく疲れを感じさせない完璧な電話応対の技術を見せた。

「こんばんは。お電話ありがとうございます。中央職業紹介事業所でございます。……はい、……はい。……え?AI?……いえ、問題ございません。かしこまりました。折り返しお電話を差し上げます。……はい、失礼いたします」

受話器をデスクに置いて事務のお姉さんはしばし固まった。電話をかけてきたのは楽園最古のAI、Bb9だった。


「照明を消しますよ」

声を掛けられてあわてて時計を見ると、すでに零時半だった。

「申し訳ありません、今日は私が戸締りしますから。先に上がってください」

声を掛けてきた電話応対用事務ロボットのペパロニ君は無機質な目で事務のお姉さんを見つめ、くるりと踵を返し、部屋を出ていった。

電話応対のコミュニケーションロボットとして作られているので、同僚のヒトに愛想よくすることくらいは容易いはずなのに、なぜかペパロニ君と事務のお姉さんは馬が合わなかった。そういうプログラムが組まれていないと考える他ないが、むかつくものはむかつく。お疲れ様ですの一つも言えないのか。

事務のお姉さんはデスクの上に散乱している企業の情報誌を手早く片付けた。楽園中の企業に確認したが、結局、楽園最古のAIを雇ってくれそうな企業は見つからなかった。

会社の窓を全て閉め、火気の点検をしてから外にでる。

屋台で夕食を食べようかとも思ったが、すぐに朝が来ると思うとどうでもよくなってまっすぐにマンションへ帰った。

マンションの自室のドアを開けると、電話が鳴っていた。職場と自宅の電話はつながっていないので仕事関係ではない。半ば相手を予想しながら事務のお姉さんは電話を取った。

「こんばんは。お電話ありがとうございます。どちらさまですか?」

『こんばんは。私だ。今月の分も振り込んでおいた。そろそろ今お前のちっぽけなマンションに住むのはやめて、どこかもっと広い場所に引っ越したらどうだ』

「……ご心配おかけして大変恐縮です。しかし、お言葉ですが、私は今の暮らしが気に入っておりますし、今月もお金を受け取るのは謹んで辞退させていただきたく存じます」

『お前も、お前の母親のようになりたくないだろう。恵まれているのにそれを享受しないのは他人様に失礼とは思わないのか』

「金があるから働かない、というのは私の価値観とは少し離れております。それに、私ははっきりとあなたとはもう関わるつもりはないと申し上げたはずです。もう、電話を切らせていただいても?」

『心配して当然だろう。だって私は、お前の父親なのだから』

事務のお姉さんは受話器を置いた。チン、と静かに音がして電話は切れる。最悪の気分だった。


「え、就職はもういい?そうですか。かしこまりました。……はい、手数料は所定の口座に振り込みをよろしくお願いします」

翌朝、Bb9から電話が入り、仕事がなくなった。受話器を置くと、ペパロニ君が冷ややかな目を向けてきた。これは私の力不足で客を取り逃がしたわけではない、と胸倉をつかんで言ってやりたくなったが、立場上それはかなわなかった。

その日の昼過ぎであった。昼休憩を終えて、デスクではなく、今度は受付カウンターに座る。

「おねえさん」

「はい?」

少女の声がしたのであたりを見渡すが誰もいない。

「ねえ、おねえさんてば!」

カウンターの下から小さい手が伸びてきて指がちょこちょこと動いた。

「失礼いたしました。そこにいらっしゃったんですね。椅子をお持ちいたします」

ピンク色の髪をツインテールにした女の子がいた。用意された椅子に飛び乗り、事務のお姉さんと目線をあわせるなり、その少女は言った。

「私、探偵になりたい!」


少女の名前はモモというらしい。

少女は事務のお姉さんが資料を確認している間、肩掛けカバンから虫眼鏡を取り出して周囲をきょろきょろと見渡していた。

「大変恐縮ですが……、現在楽園には探偵事務所というものはなく、新たな探偵の求人もないようですね」

事務のお姉さんは資料を確認して言った。

「えええ?ほんとにちゃんと探したの?」

「はい、申し訳ありません」

楽園中の企業を探したがなかった。そもそもこんな小さな女の子を企業が雇ってくれるとは思えない。お客様の希望にはできるだけ沿いたいが、これははっきりと仕事はない、と告げて帰ってもらったほうがいいのかもしれない。

「そんなあ……」

女の子はしょんぼりして下を向いた。今にも泣きだしそうだった。

「モモ様はどうして探偵になりたいのですか?」

事務のお姉さんはやさしくそう聞いた。するとモモは真剣な表情で顔を上げ、言った。

「私は探偵になって、私が小さいときにいなくなっちゃったおかあさんを探すんだ」

「お母さん……?」

「お願い、おねえさん。どうしても探したいの」

「……探偵ではありませんが、およそ同じ仕事をしているヒトが一人います」

事務のお姉さんは資料の該当ページにある顔写真を見下ろした。



さびれたゲームセンターの外、カプセルトイ、いわゆるガチャガチャの前にギンナルはしゃがんでいた。コインを入れる。

「……で、俺に何か?」

ギンナルはつまみを回して出てきたカプセルを開けながら、自分を見下ろしている女に尋ねた。

「情報屋さんでお間違いないですか?」

カプセルの中からは社会の塔を模したかのようなフィギュアが出てきた。雑なプラスチックの作りで、精工な置物とはいいがたい。

「悪いね。最近まではそうだったんだが、今は一時休業中さ。情報なら他を当たってくれ」

ギンナルはカプセルをゴミ箱に放り込んで立ち上がる。

「今は何をなさっているのですか?」

「俺に答える義務はないだろう。まず、あんたは誰だ」

ギンナルは初めて女と目を合わせる。黒の髪に茶色の瞳。会ったことはなさそうだ。服装はスーツにハイヒール。若く見えるが少なくとも俺よりはまともな職に就いているヒトだろう、とギンナルは思った。

「申し遅れました。中央職業紹介事業所から参りました、事務のお姉さんと申します」

「え、本名がそれ?」

「本名をはっきりさせないあなたに言われたくはありません、ナナシ様。それとも、ギンナル様とお呼びしたほうがよろしいですか?」

「俺のことを案外よく知ってるようだな。俺は今ギンナルって名前で通してることが多いからそっちで呼んでくれたほうが反応が早い。で、事務のお姉さん。中央の事務員がなぜ俺に構うんだい?」

「情報屋のあなたのもとで働きたいとおっしゃるお客様がいらっしゃいます。求人のご予定は?」

ギンナルは肩をすくめた。

「悪いね。情報屋は今シーズンオフだ。幸い、この仕事は一人で十分だ。そのお客には自主開業するように勧めておいてくれ」

「情報にシーズンがあるのですか」

「もちろん。それじゃ、失礼するよ」

「お待ちください。シーズンオフなら、今は何をなさっているのですか?」

「しがない旅人さ」

ギンナルは大きな旅行鞄を引いて去っていこうとする。

「待ってください!あなたを必要としているヒトがいるんです。まだ小さい女の子なんです!」

ギンナルは足を止める。

「俺は必要とされるほどのヒトじゃない」

「楽園に情報屋はあなたしかいないのです」



「あー……、お嬢ちゃん。何を食いたい?お子様ランチ?」

ギンナルは向かいに座る女の子に尋ねた。ピンク色の目にピンク色の髪。ツインテールに結ばれている。春先で少し肌寒かったが、女の子はTシャツに短パンだった。

「バカにしないでよ。もうお子様じゃないんだから。それと私の名前はモモ!」

モモはギンナルをきっとにらみつけると、ツンと顎を上に向けて言った。仮にもこれから雇い主になる男に対してその表情とは。

「お子様カレーのドリンクバー付きがいいわ」

「結局お子様じゃねえか」

ギンナルはポケットからタバコを出して口にくわえたが、眼前にぬっと手が出てきたかと思うと没収された。

「子供の前でタバコはやめてください」

ぴちっとしたスーツに身を包むこの女は事務のお姉さんだ。

「少しは吸わないとバカになるぜ」

事務のお姉さんはギンナルの主張を無視して店員に手を挙げて合図を送った。


やがてすべての料理が届いた。

「私、探偵になりたいんだ。私を雇ってよ」

「この仲介業者のヒトには言ったんだが、情報屋は個人事業だ。したがって俺は今までもこれからもヒトを雇うつもりはない。それに今はオフシーズンだし。しかし、あんたは相当困っているようだし、特別に調査をしてやるよ。あんたの知りたい事を言ってみな。俺が調べてくるよ。もちろん、依頼料は必要だけれど、仲介してきたヒトに相談してみるといい」

ギンナルはハンバーグを切りながらモモに言った。少女から依頼料を取らなくてはならないと思うと心が多少痛むが、タダでというわけにはいかない。本来なら即座に断っていたところだが、今回は仲介業者という都合のいいものが少女についている。

「話が違いますよ。依頼を受けてほしいというお願いではなくて、雇用してほしいというお願いをしにきたのです」

事務のお姉さんが耳元で言った。

「俺は善意でこのファミレスまで来ているのさ。あんただってこの成功しなさそうな案件をやっているのは善意だろ。幸いあんたの会社は太い。ここは俺たちオトナが協力してお子様の面倒を見てやればいいじゃないか。俺はあんたの会社からの金で財布が潤い、あんたはとりあえず経費が掛かったものの案件を成功させ、で、この女の子はほしい情報を手に入れる。ウィンウィンどころかウィンウィンウィンだ」

「あなたの主張からは善意が見受けられませんでしたし、これは経費で落ちないと思いますけど」

二人がごちゃごちゃやっている前で、モモは勢いよく首を横に振った。

「違うよ。私が探偵になりたいの」

「……じゃあ無理だ。勝手に自主開業でもしな。がんばれよ」

ギンナルは席を立つ。

「お願い!迷惑かけないようにするし、なんでも手伝うし、お給料はいらないから!」

モモはギンナルに追いすがり、袖をつかんで言った。

「俺は子供が得意じゃないんだ」

ギンナルは事務のお姉さんに助けを求めるように視線を送って、事務のお姉さんに言う。

「契約成立ですね。このたびは中央職業紹介事業所をご利用いただき誠にありがとうございました」

ギンナルは舌打ちをした。


「店を変えればよかったのに」

「店を変えるとなると、あの状況でしたし、昼食代はすべて私が持つことになりかねないと思いました。経費がかさむとばれるリスクも上がりますし、なにより食べ終わっていないのでもったいないです」

「あの場であんたに払わせたりはしねえよ」

再び席に戻り、話が再開された。

「私のおかあさんを探したいの」

モモは肩掛けカバンの中から写真を一枚取り出した。幼いモモらしき女の子と女性が手をつないでいる。モモの手には赤い風船が握られている。

「失踪か?ケビイシに言ったほうが早いと思うぞ」

「ううん、何度も言ったよ。というか、おとうさんが言ってくれたけど、なんのお返事もないみたい。あ、心配しないで!おかあさんはどこかに絶対いるの。毎年はがきが届くから」

モモははがきを三枚机に並べた。ノスタルジックな色合いの写真が印刷されていて、小さく『クニカ』とサインが入っている。写真は大きなオブジェがある公園、なんらかの光る水面、観覧車が写っていた。

「観覧車は言うまでもなく楽園に唯一の遊園地、春風園(しゅんぷうえん)だな。公園は足元の石畳が砂をかぶっているから北ブロックのどこかか?」

「そうだよ。ギンナルさん、すごいね」

「そのギンナルさん、っていうのやめろ。ギンナルだ」

「おっけー。でね、この水面はきっと、『おさかなワールド』の水槽を下から見たときの景色だと思うの。それで、この三つの写真に共通することは、全部私がおかあさんといっしょに行ったことがある場所だってこと。ここを探していたらおかあさんを見つけられると思う」

ギンナルははがきを裏返し、消印の日付を見た。三年前から毎年一通ずつ4月2日に来ている。

「4月2日はあんたの誕生日か?」

「うん」

「情報が少なすぎる。この場所を巡っていたって会える確率は限りなく低いぞ。今年のはがきが来てからさらに地域を絞って調査を始めてもいいんじゃないか?」

「だめだよ」

モモはすぐに否定した。

「なぜだ?」

しばらくモモは答えなかったが、やがて口を開いた。

「だって、この写真を今年も撮るなら、この時期に撮らないと間に合わないよ。今この写真の場所の周辺を探していたら、会えるかもしれないじゃん」

「……確かに一理あるな。じゃあ明日から聞き込みを始めよう」

「え、聞き込み?!やったあ、なんだかほんとに探偵みたい!」

モモはガッツポーズをして喜ぶ。

「調査にかかった金は経費としてうまくやってくれよ」

ギンナルは事務のお姉さんに小さな声で言った。

「領収書はすべて私に回してくださいね。私が経費だと認めたもの以外は立て替えませんよ」

三人はファミレスを出る。

「ああ、私としたことが忘れていました。遅くなりまして申し訳ありません、こちらが私の名刺となります」

事務のお姉さんは完璧なしぐさで、完璧なほほえみでギンナルに名刺を渡した。ギンナルはぞんざいに受け取る。

「安全管理上、毎日モモ様には朝九時に一度私の会社まで来ていただいて、そこから私があなたのところまで送っていき、夜の九時には私が駅までモモ様をお迎えに行きますので、くれぐれも時間厳守でお願いいたします。電話番号が裏に記載してございますので、なにかありましたらいつでもお電話ください」

「時間厳守だな。わかった。だが、この名刺は返しておくよ。あんたの名前はもう覚えたし、電話はどうせしない」

「なぜですか?」

「俺は電話は嫌いなんだ」

「……はあ」

ギンナルはヒラヒラと手を振って二人と別れると、街の雑踏に消えていった。

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