49 シアタールーム
コピーは映画を見ていた。
黒の塔にはぼろぼろの一人掛けのソファが一つとスクリーン、射影機だけがあるシアタールームが一つあった。
ひっきりなしに流れてくる早回しの映画は、雑多な物語のラブシーンだけを切り取って張り付けたかのような映像だ。コピーはマグカップからお茶を一口すする。すでに鑑賞を始めて六時間ほど経とうとしていた。
「覚えてるよ……。私が全部、……覚えているから」
コピーはスクリーンから一瞬も目を離さずに、瞬きさえ惜しいとでもいうかのように、目を見開き、すべてを記憶しようと、一心に映画を見ていた。
Bb9は何本もある腕を駆使し、細長い一枚の紙を繰るようにしてそこにずらずらと並んだやることリストを確認した。リストはひとつながりになっていて、ゆうに三十メートルは超えているだろう。一月も終わりに近づき、今年度が終わるまではあと二か月だ。Bb9は赤ペンを取り出すと、リストを上から確認し、終わった項目には赤で取り消し線を引き、新たな別の紙に優先順位の高い順に項目を並べていく。このリストはコピーが一年間のうちにしなければならないことのリストである。項目の内容は楽園創設当初から全く変更されていない。そして、このリストの項目のすべてに赤の取り消し線が引かれなかった年は今までに一度もない。リストにあることは、楽園の生命係としてなにが起ころうとも達成しなければならない最重要な責務なのだ。Bb9の仕事はコピーがこの責務を終えられないことがないようにスケジュール管理とコピーのモチベーションの維持をすることであり、今までの981年間はかなりきつい年もあったが、なんとか間に合わせてきた。しかし……。
Bb9はリストの整理を終えて赤ペンを置いた。
しかし、今年は近年まれにみる仕事の進んでいなさだ。史上最悪と言ってもいい。Bb9はこのリストを無事今年度中に終えるために必要な時間数を計算した。かなりギリギリだった。しかも、今年はイオという予測不能な因子が絡んでくるため、この見積もりさえも希望的観測だ。数百年前ならば年度が替わる前日にコピーを不眠不休で働かせさえすれば何とかなることもあったが、永遠の命と言えども、最近はさすがに歳のせいかコピーの生命維持臓器の効きが少しずつ弱くなっていっている気がしていた。もともと体力は無いが、最近はそれに輪をかけて疲れやすい。毎日の8時間睡眠と適度なおやつ休憩をスケジュールに最初から組み込んでいないとコピーの体がもたないのではないかと忠実な執事ロボットは感じていた。
「今年もやるしかないようですね」
Bb9はつぶやいた。
「なんだか面談の時間が短くないか?」
コピーはおやつの大福を食べながらBb9が告げた予定に文句をつけた。
「しょうがありません。今年度はあと二か月ほどですし、悠長なことをしていると今年のタスクが終わりません。今日は予約が二組いますし」
「ああ、もう今年も終わりか……。意外と早いもんだな」
コピーは大福の粉がついた指を白衣でぬぐおうとしたが、その前にBb9がさっとティッシュを差し出す。
「よし、ヒナゲシとツユクサをここに連れてこい。早めに始めよう」
「かしこまりました」
Bb9は一組の男女を部屋に通し、お茶を出す。
コピーの生命係の仕事は多岐にわたる。生命の誕生から終わりまで、楽園中すべての命を扱う。その仕事の一つが、生命の誕生だ。愛し合ったカップルは黒の塔を訪れ、コピーと面談をする。コピーが認めれば、DNAを男女の両方からもらって、コピーは新たな生命を創り出す。そこでコピーはすべての赤ん坊に名前を付ける。楽園のすべてのヒトはコピーからもらった名前を持っている。自分と家族にしか教えない名前だ。
「どんなヒトになってほしいと思う?」
「やっぱり、優しいヒトかなあ。他のヒトを思いやれる、強くて優しい子になってほしいな」
コピーは面談中ずっとカップルの話をうなずきながら聞いている。もちろん、今来たカップルのように子供に明るい将来を願い、幸せな家庭への期待でいっぱいな二人ばかりが来るわけではない。これから生まれる子供に対して興味のなさそうな二人や、必要に駆られて仕方なく嫌々来る二人もいる。しかし、コピーはほとんどの場合、二人の子供を創ることを拒否したり、取り下げることはなかった。いや、今までに断った例は一つもない。ならば面談の時間を短くカットしてもよいようにBb9には思えるのだが、コピーは981年間一度もこのスタイルを崩さなかった。
「じゃあ、名前は、そうだな。フタバアオイはどうだろう。君たちのDNAの細胞から少しだけ双子になる可能性もある。双子だったらフタバとアオイと名付ければいい。この花はな、見る人すべてが美しいと賞賛するような花がつくわけじゃない。でも、君たちと同じように、どんな地面にも力強く生える花なんだ。きっと強い子になるだろうし、強く生きる美しさは必ず理解できるヒトがいるはずだ」
「素敵な名前をどうもありがとうございます」
コピーはBb9が差し出した注射器で二人の血液を採った。
「私がするのはあくまで、一様に作られた器に君たちのDNAの情報を入れるだけ。その情報をいじって根本から強い子を作ることはできないし、優しい子にすることもできない。君たちの想像する通りの命が生まれることはない。その姿が、いいとか悪いとか、そういうのは全部主観だよ。自分のDNAや子供、親を責めるなんてことは絶対にしないでくれ。そのままを認めてやってくれよ」
コピーは二人を送り出す前に、いつもどのカップルに対しても言っているセリフを言った。カップルは真剣な顔でうなずいて、黒の塔を出ていった。
コピーはDNAを受け取って、予約の関係にもよるが、10か月から1年の間にトイロソーヴになる前の肉体、『器』とコピーは呼んでいるものにDNA情報を入れ、生命を誕生させる。誕生したらまたカップルを塔に呼び寄せ、連れて行かせる。
Bb9はコピーから渡された血液の入った注射器を丁寧に受け取ると、それを管理する部屋に持っていき、ラベリングして保存する。すぐに今日の二組目が到着するので、出迎えるためにBb9は玄関へと急いだ。
自分の息子を初めて抱く父親の目には歓喜の涙が浮かんでいた。
「ありがとうございます!必ずこの子を幸せにします」
隣でその妻も涙ぐみながら微笑んでいる。
「ああ、よろしくな」
コピーは言って、生まれたての赤ん坊と目を合わせた。
「私がちゃんと見てるから。精一杯生きるんだぞ。ホシアサガオ」
コピーはどの赤ん坊にも言っているセリフを掛ける。傍で聞いていた赤ん坊の両親もいっしょになって頷いた。
二組の予約をさばき終えた後、コピーは自室のゲーミングチェアに体を鎮めるとふうと息をついた。生命に関わる仕事は体力を使うのだ。
「お茶でもお出ししましょうか?」
「いや、見てない映画がたまっている。私をシアタールームに運んでから、そこにお茶を持ってこい。……すぐ飲めるようにぬるめのやつな」
「本日は午前中かなり見ていますし、これ以上はお体に障るのでは?」
コピーがシアタールームにいる間、Bb9はお茶くみくらいでしかシアタールームに入ることは許されない。中で倒れていても発見が遅れるかもしれず、Bb9はそれを危惧していた。
「まだ大丈夫だ。早くしないと今年度が終わる。春に間に合わない。お前は私の召使なんだからつべこべ言わずにさっさと運べ」
コピーは疲れでいらいらしているのか親指の爪を嚙みながら命令した。
「……かしこまりました。なにかありましたらすぐにチンベルを鳴らしてお知らせください」
Bb9はコピーを抱き上げるとエレベーターに向かう。
映画の鑑賞はやることリストの項目には含まれていない。数百年前からコピーはなんらかの映画を定期的に見ているが、Bb9には何を見ているかは知らされていない。また、コピーも教える気はないようだった。
零時を過ぎた。Bb9はシアタールームの扉をそっと開ける。射影機がカタカタと音を立てているばかりの薄暗い部屋に案の定、コピーの寝息も聞こえていた。Bb9はコピーを抱き上げるとコピーの自室兼研究室まで運んでベッドに寝かせ、毛布をかけた。研究室の戸棚の点検をし、電気を消し、床に散らばった本を音を立てないように拾って棚に戻し、脱ぎ捨てられた白衣を拾うと、そっとコピーの部屋を出た。Bb9はランプと鍵束をもって、黒の塔を巡回し、重要な部屋に鍵がかかっているか確かめた。その後、キッチンに行って明日の食材の準備と注文を済ませる。楽園ではすべての食品は同じ栄養をもっている完全食だ。完全食の塊を工場で様々な加工をすることによって歯ごたえをプラスしたり、筋のようなものを入れたり、色を付けたり、乾燥させたりして、千年前の人類が食べていたような食材に似せる。Bb9が注文しているのは加工前の完全食の塊で、キッチンにある器具によって独自に料理を作る。コピーは何百年も生きているので、自然と同じメニューを口にする回数が常人よりも多くなる。そのときに味のバリエーションを作れなくては飽きてしまうのだ。コピーは記憶力が常軌を逸しているので、同じ味付けだとすぐに見抜かれてしまう。
「関数が一致してしまったようです……」
BB9は機械の蓋を開けて中から食材を取り出した。リンゴをコピーが食べたことのないところまで変化させようとした結果、完成したのはトマトだった。明日はリンゴを使ったメニューをと思っていたが、トマトを使ったメニューにするとしよう、とBb9は思いなおす。エラーに柔軟なAIなのである。
機械に表示された数字のデータから味を推し量る。失敗作かと思いきやトマトにしては最上級といってもいいほどのおいしいものを作り出すことができた。満足してBb9は同じトマトを他にもいくつか作り、冷蔵庫にしまった。
時計を見るとかなり朝が近かった。
「今日は作業を進められそうもありませんね」
Bb9は独り言を言って、自らの部屋に戻った。昔のBb9の部屋は掃除ロッカーくらいのサイズで、掃除ロッカーのような見た目のごく小さい、単なる充電ステーションだったが、数百年前、Bb9が部屋が欲しいと恐る恐る頼んだ時にコピーは新鮮な驚きをその目にたたえて、「空いている部屋はたくさんあるんだから好きに使ったらいいじゃないか」と言った。それからBb9は自分の部屋をコピーの自室のすぐ下に決め、夜はそこで充電することにしている。
自らの体から飛び出すケーブルを手繰って先っぽを見つけて部屋のコンセントに差し込む。
「システム、オールグリーン」
自分で自分の体を触りながら確かめ、Bb9は冷静に言った。充電中は動き回れないので、机の前の椅子に腰かけ、机の引き出しを開ける。引き出しの中からドライバーを取り出し、自分の腕のねじを緩めて分解し、汚れを布で丁寧にふき取り、油を挿す。長年使い続けたねじの頭の溝は緩やかに削られてなめらかになっていた。
『九時になりました。中央楽園ラジオ、ニュースのお時間です。楽園位置情報をお伝えします。現在楽園は北緯33度20分、東経150度02分を南西に向かって航海中です。このままいくと青の街とおよそ半年以内に接触があるでしょう。楽園中央における外部地球気温は16度でおよそ平年並みといえるでしょう。――中央のニュースです。昨日、西ブロックと中央ブロックをつなぐ小雪ラインのジテルペン、エストル間で線路上に三人のエラーズの遺体が発見されました。一人は体に爆弾を巻き、もう二人は機関銃を保持しており、事件性が指摘されています。三人は刀で袈裟斬りにされたような外傷があり、これが致命傷になったとみて間違いないだろうと中央ケビイシは発表しています。――次のニュースです。……』
コピーはなめこ汁をすすった。
「相変わらず世間は物騒だ」
「ええ、そうですね」
そのとき、玄関の呼び鈴が鳴ったので、Bb9は玄関ホールへと急いだ。
「おかえりなさいませ、イオ様。……と、そちらは?」
Bb9が玄関の扉を開けると、イオとサミダレが立っていた。
「サミダレと申します」
「僕の新しいパーティーです」
「どうぞお入りください。朝食をご準備いたします」
「ずいぶん時間がかかったな」
コピーはイオに言った。
「少し手間取りまして。でも、回り道のおかげで新しい仲間をみつけることもできました」
「そうか。さっさと材料でももってバイのところに行くんだな。で、ピナータ、お前は何をしに来たんだ?」
コピーはサミダレに聞いた。
「自分はイオのパーティーになりましたし、弟が中央に来ているはずなのでそれを探しに来ました」
「弟……?まあいい。部屋が必要なら勝手に使ってくれ。本来は普通のヒトは簡単にこの塔に入らせないように決めているから、入らせたからにはいろいろと責任をもって情報を扱えよ」
コピーは朝食を食べ終え、白衣の袖で口を拭うと立ち上がった。
「わかってます」
イオはそう返事をした。