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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
45/172

45 競べ弓

「へえ、次期族長は弓で競って決めるんですね」

ラーメンを啜らずに噛み切るようにして食べながらローレンが言った。ちなみに豚骨醤油である。サミダレはうなずいて、一本調子に答える。

「はい。今年の候補は二人。自分と自分の弟です」

サミダレの二人に対する表情は全く変わったように思えなかったが、態度は昨日よりもやや和らいでいる。心の中をぶちまけたおかげで緊張がほぐれたのかもしれない。

彼から引き出した会話から読み解くに、アメの一族は一族に生まれた子供、または幼いときから弟子入りして修行していた子供がある一定の年齢、十五から二十くらいの年齢に達したとき、そのあたりの年齢の子供のなかで時期族長を決める「競べ弓」というものが行われ、弓の一番うまいものが、族長になる権利を手にするという。普通、候補は十人くらいだそうだが、現在、山を下りて家業を継がない若者が増えており、候補が少なくなってしまっているようだ。アメの一族の家業は、この山を守り、古文漢文の資料を守っていくこと。族長になれば、よほどの理由がない限り山を下りることはできなくなる。

「自分はこの競べ弓で勝たなくてはならないのです。弟には山の下の世界を見てもらいたい」

サミダレが山の下に住むイオたちと友達になりたい理由がわかった気がした。

「でも、サミダレさんが勝ったら、サミダレさんは下の世界を見れません」

「わかっています。あなた方の見張りを引き受けたのは、あなた方と友達になって最後に外の世界について聞かせてもらい、自分のなかですっぱりと未練を失くしておきたいを思ったからなのです。まあ、このような弱い心がある時点で、競べ弓に勝てるかも怪しいですが……」

うつむくサミダレにイオは言った。

「今はそんなこと気にせず、たくさん話しましょう。どんなことが知りたいですか?」

二人は他のブロックのこと、地下のこと、学園のことなどを話した。そのすべてをサミダレは目を輝かせて聞き、なんども相槌を打って、いつまでも真剣に尋ねつづけた。


いよいよ競べ弓の日になった。テロリストはついにその日まで現れなかった。

朝早くにサミダレは緊張した面持ちで小屋を出ていった。サミダレの手は修行によって血豆がたくさんできていた。

「イオさん、提案なんですが」

サミダレが出ていった扉を見つめながらローレンは言った。

「彼の練習の成果を見に行きませんか?」

イオもちょうどそう言おうか迷っていたところだった。

「……そうしたいですが、見張りがあります」

「でも、見たいです」

ローレンはピンク色の瞳をイオに向ける。

「僕もです」


昨日の夜のうちに降った新雪があたり一面を白く染め、雪が音を吸収するので、あたりはしんと静まり返っている。

静けさの中で弓が弾き絞られていくキリキリという音だけが大きく聞こえる。イオとローレンは競べ弓の会場を見下ろす岩の上から息を殺して見守っていた。

力がみなぎった弓から、最高速度をもって発射された矢が静寂を切り裂くように飛んだ。一枚の葉の上に溜まった水滴があふれて零れ落ちるような瞬間だ。

――(あた)った。

二人の候補は後退で一本ずつ矢を放ち、両方中るか、両方外れればまた繰り返し、どちらかだけが中るまで続く。

サミダレの弟、シグレが的の前に進み出る。シグレはサミダレに似て氷のように冷たく、冷静な光を灯した目をしている。瞳の色は青紫色だ。シグレの矢も中った。何度目かわからないが、またサミダレが前に進み出る。

息がしづらいほどの張りつめた緊張感だ。身じろぎさえもためらわれる。そっと横を見ると、ローレンもピクリとも動かずに一心に引き絞られていく弓を見ていた。何度も何度も兄弟は矢を放ち続ける。イオは何かとても神聖なものを見ているかのような気持ちになった。サミダレの表情は相変わらず無表情で冷たいが、見開いた目や、真冬の雪の中なのにも関わらず光る額の汗から決して弟に勝たせまいとする強い心が燃えているのだとわかった。

サミダレが弓を引き絞り、今にも放たれそうだという瞬間だった。

チリーン。

風鈴の音が響いた。次の瞬間矢は放たれ、一瞬のうちに土壁に突き刺さった。外れだ。

シグレが前に進み出る。弓は引き絞られ、――中った。

「勝負あり」

現族長の言葉が響き、拍手が起こった。

「ありがとう、兄さん」

シグレは的を見たまま言った。サミダレはなにか言おうと口を開きかけたが、言葉は出てこなかった。


「まずい、祠に誰かいる!」

拍手の音で我に返ったイオはローレンと顔を見合わせた。

慌てて走り出した二人が舞い上げた雪が現族長の鼻に落ちてきて、現族長は頭上を振り仰いだ。


「なぞなぞ様がない……!」

二人が息を切らして祠に着くと、祠の中は空っぽだった。祠の周りの新雪は踏み荒らされ、足跡はくっきりと山を下りる方向へと向かっている。

「追いかけましょう」

走り出しかけるイオの袖をローレンが引き留めた。

「イオさん、あれを使えばもっと早く追えます」

ローレンは小屋の外に立てかけられて雪をかぶっているスキーを指さした。


「あああああああああ!!」

バカでかい叫び声を上げながら直滑降に滑り落ちていくのはローレンだ。

「できないなら最初から提案しないでください!!」

イオは後ろから叫ぶが、すでに距離はかなりある。イオは追いつこうとするのを諦め、基本に忠実に華麗なパラレルターンを駆使して滑っていく。

岩の陰に動くものがあったかのように思えてイオは止まる。

「誰かいるのか?」

黒いマスクで顔面を覆った男がさっと岩陰を移動するのが見えた。

「待て!」

イオはスキーをそこで脱いで走る。

「待てと言われて待つやつがいるもんか!」

黒マスクの男は斜面を登ったり下りたりしながら逃げる。

「ええい」

イオは雪を手ですくって固めると、その背中に投げた。男はうっとうめいて雪の中に倒れこむ。イオはすかさず飛びついて馬乗りになった。男は体をゆすって抵抗したが、腕が一本動かないらしく、イオが動く方の腕をねじり上げると観念したのかおとなしくなった。

「テロリストはお前だな!よくも僕の計画を邪魔しやがって。一族の前に突き出してやる」

「お前の計画なんざ知るか」

イオは男が妙に身軽なことに気付く。

「なぞなぞ様はどこだ?」

「ははははは!」

男は下品な笑い声をあげた。

「残念だったな。お前が俺を追い回しているうちにチェービー様たちは地蔵を抱えてもう西ブロックを出ちまってるだろうよ」

「なんだと?」

「イオ!そいつがテロリストだな?」

サミダレの声がして、イオの頭上からサミダレが飛び降りてきた。手早く黒マスクの男の手を縛り上げる。

「競べ弓は終わった。風鈴の音がしたから駆け付けた」

「あ……、競べ弓は、その、残念だったね」

イオはなにか言葉を掛けようと思ったが、口の中でごにょごにょ言うことしかできなかった。

「なぞなぞ様は?」

サミダレは変わらぬ無表情で事務的な口調でイオに尋ねる。

「それが、こいつが言うには、もうこいつの仲間によって西ブロックを出ているかもしれないんだ」

「よし、追おう」

サミダレは懐から狼煙を取り出し、煙を上げるそれを雪の中に立てると、男をそこに放置して、山を下り始めた。


「ジテルペンには駅が一つしかない。そしてここは山に囲まれた都市だからその駅から列車に乗らないとブロックをまたぐことは難しいはずだ。駅に向かう」

山を下りた二人はジテルペンの街中に立った。屋根の傾斜がきつい雪国仕様の民家が並んでいる。

「……駅はどっちだ?」

サミダレは山を下りたことがなく、イオは西ブロックに来たことが初めてなので効率のいい道順などわかるはずもない。山の中とは違って雪がそこまで積もっているわけではないので足跡を辿って行くことも難しい。

「そうだ!僕が最初に駅に着いたとき、国語の塔が右手に、富士山、いや、あの山がその奥に見えたはず。その角度になりそうな方向を探せばいいんだ」

「よし、わかった」

サミダレは言うが早いか、手近な民家の屋根に跳躍してひらりと登った。さすが忍者の身のこなしである。

「今、国語の塔と山が全く別の方向に見える。とりあえず、国語の塔の方向に向かってみよう」


「ふう、なんとか助かりました」

ローレンは山の上り口にある二つの岩に、ペンを長い棒に変形してひっかけて、それに掴まるような形でなんとか自らの猛スピードな滑降を止めた。

「無茶をしましたが、相当距離は縮まってるはずです」

ローレンは体についた雪を払い落し、スキーをそこで脱ぎ捨てた。

「さて、私だったらどうやって逃走するでしょうか?」

ローレンはひとりごちた。

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