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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
40/172

40 ケーニヒスベルクの橋

「遅いな……」

カズはそわそわと指を組んだり離したりしながら、本日何度目かわからないが、時計台を見上げた。9時を10分ほど過ぎたころだ。

この日のために覚悟を固め、準備を積み重ねてきたが、肝心のスウが時間になっても現れず、覚悟がどこかに行ってしまわないようにつなぎとめているので必死だった。イオにスウを連れてくるようにお願いしたのは、東ブロックの主要都市、数学の塔があり、そしてスウトカズの地元であるラルマーニの七本橋だ。この場所は一本の川が二本に分岐する場所で、中州が二つあり、より上流の中州に古びた時計塔がたっており、カズがいるのはその場所だ。カズが下流のほうを向いて立つと、左側に数学の塔が見える。塔が見えるほうに二本(A,B)、見えないほうに二本(C,D)、もう一方の中州とつながる一本(E)、そしてもう一方の中州から塔が見えるほうに一本(F)、見えないほうに一本(G)の橋が架かっている。(図参照)。かなり寒い日だが、まだ川は凍ってはいない。朝の人通りのない川辺はしんとして、清らかな気持ちにさせてくれるような気がした。

この場所はラルマーニで育った子供たちならだれでも知っている迷信があった。『七本の橋をすべて一回ずつ渡ることができたら願いがかなう』。

睡眠万全、健康万全、大丈夫だ、あとはやりきる勇気だけだ。やりきって、その後伝えるんだ。

今日、俺はこの七本の橋を渡って見せる。

「あ、カズだ!おーい」

スウの声がして、手汗がどっと吹き出す。今日は当然のことながら俺が服を選ばされていないので、コーデは完全にスウが決めたものだ。赤いマフラーはクローゼットから新しく引っ張り出してきた今シーズン初お披露目のものだということもカズはすぐにわかった。

え、嘘だろ――やべぇかわいい。心臓がおかしくなりそうになってカズは目をそらす。

「お、はよ」

「今日はどうしたの?こんな朝っぱらから呼び出して。釣り?」

つりってなんだよと突っ込みかけてスウが視界に入った瞬間また胸が締め付けられる。

「い、いや、違うけど」

「カズ、遅れてごめん。大丈夫そうか?」

イオがさりげなく近づいてきてひそひそと耳打ちしてきた。

「ぜんぜん大丈夫」

声が裏返る。

「勇気を出すんだ。中途半端にすると伝わるものも伝わらないみたいだから、自信をもってやってこい」

イオにとんと背中を押されて背筋が伸びた。

「そこ、なにごちゃごちゃやってるんですカ。面白いものが見られると思って早起きしてきたんですかラ、ちゃちゃっとやってくださいヨ」

見ると、野次馬根性たくましいロボットが目をぴかぴかさせながら二人を見ていた。

「なんでホープまで」

「スウが別に連れて行ってもいいじゃんと言ったから、置いてきづらかったんだ」

「ねえ、何が始まるの?」

スウはまだやや眠たそうに眼をこすりながら聞いた。俺は咳払いすると、言った。

「スウ、この町の伝説はお前も知ってるだろ」

「伝説?」

「ああ。七本橋だ。『七本の橋をすべて一回ずつ渡ることができたら願いがかなう』。俺はその方法がわかったからお前に今から見せてやる」

「えっ、ここで?カズ、それはね、」

「時計台の上から見ててくれ。イオ、ホープもちゃんと最後まで見ててくれよ。スタートとゴールはどこでもいいんだよな」

そう言ってカズはくるりと踵を返し、自らが決めたスタート位置に歩いて行った。


「僕らは時計台に上ろうか」

イオはスウに言ったが、スウはカズの背中を見つめたまま言った。

「ケーニヒスベルクの橋だよ。ここはケーニヒスベルクの橋と構造が一緒なの。一筆書き問題だよ。ケーニヒスベルクの七本の橋を一回ずつ渡るのは不可能だってことは、楽園の創設の400年も前に証明されているのに」

イオは少し前のスウの授業を思い出してはっとする。これを証明したのは中世の数学者レオンハルトオイラー。これを単純化すると頂点が4つ、辺が7本の一筆書き問題として考えられる。一筆書きができる条件は、『頂点から伸びてる辺の数がみんな偶数である』ことか、『頂点から伸びてる辺の数が奇数な頂点が2つある』ことのどちらかしかない。この問題ではそのどちらの条件も満たしていないのだ。

「とにかく、彼はなにかに気付いたんだよ。見届けようよ」

イオは何とかスウを時計台に上らせた。しかし、イオの頭の中も混乱していた。大昔に不可能が証明された問題の新たな解をカズは見つけたということだろうか?いや、まさか。じゃあ、この方法をとるのは告白として大丈夫なのか?二人と一台が時計台の上に上ると、カズはGの橋の中州ではないほうに立っていた。そして、カズはGを渡って下流の中州に入り、Eを渡って時計台のある中州に入る。Dを渡って数学の塔ではないほうの岸に行って、Cから中州に戻り、Aを渡って数学の塔のある岸に渡る。

「今5本渡りましたネ」

スウは真剣な顔で見下ろしている。もしこれが成功すれば歴史をひっくり返す大事件だが、もう残されている橋は二本しかなく、どちらも数学の塔がある岸から別々の中州に続いているのだ。――不可能だった。

カズはFを渡って下流のほうの中州に渡った。今来た道は戻れないし、上流の中州に続くEも、反対側の岸へ続くGもすでにわたってしまっている。詰みだ。

スウが時計台を下りようとしたとき、カズが驚くべき行動をとっているのに気づいてイオはスウを呼び戻す。

「カズ?!なにやってるの!?」

カズは突然Eの橋の横に立つとコートを脱ぎ捨てて半裸になった。


カズは一呼吸するとためらいなく川へ飛び込んだ。

水柱が上がり、通行人は目を丸くした。

「誰かヒトが落ちたぞ!」

「きゅ、救急車!」

水底まで勢いよく沈む。冷たい水に全身の筋肉が収縮してすぐにまともに動かなくなってくる。なんとか川の底を蹴って水面に浮かび上がる。息をしようと口を開けるが、まったく吸い込めない。心臓が狂ったように早鐘を打ち、手足をとにかくばたつかせ、沈んでいくからだを何とか保つ。前に、前に進まなければ。

十二月の川は厳しかった。あと三分の一、というところで足の感覚がなくなり、視界には黒い斑点がおどるようになった。腕の動きも鈍くなってくる。息が吸えない。

「カズ!なんでそんなことするの!やだよ!死んじゃうよ!誰か!誰か助けてください!」

遠くのほうでぼんやりとスウの叫ぶ声がする。

だめだ。こんなとこで止まっちゃだめだ。ああ、かっこいいとこ見せようとしたのに、また泣かせちゃったな。くそ。泣かせたままで死ねるかよ。

カズはもう一度深く沈んだ。不思議と水の中のほうが外よりも温かいような気がした。川底を蹴って進む。無我夢中で手足を動かした。手が固いものにふれる。

岸だ。


岸にカズの手がついたと同時にイオは時計台を駆け下りた。ホープが続き、スウが泣きながらそのあとを追う。

イオはカズを岸に引っ張り上げる。上着を肩にかけたところでスウがそれに追いついたと思うと、ふらふら立ち上がったカズに平手打ちをお見舞いした。再び川にドボンしそうだったのでイオが間一髪で支える。

「バカ!なんでそんなことするの?ばかなの?私の前からいなくならないでよ」

「ごめん、ごめんよ。スウ」

歯ががちがちをふるえてうまくしゃべれない。カズは思い切り奥歯をかみしめると、言葉をつなげた。

「これが数学の不可能問題だってことは、ずっと前から知ってたよ。でも、俺はなんとしてもかなえたい願いがあったんだ。俺はさ、スウが数学をしてるのを見るのが一番好きなんだ。目を輝かせてさ。俺は数学なんにもわかんないけど、スウが楽しそうに話してるのを見るとうれしいんだ。数学ではさ、不可能と証明するには、ただの一つも例外があっちゃいけないんだろ?これが例外だよ。可能だ。これでBを渡れば、七つ全部渡ったよ」

カズ片膝をついてスウを見上げた。

「好きです。僕の恋人になってください」

スウはぼろぼろを涙をこぼしてカズを見ていた。そして、小さくうなずいた。

「おめでとウ!」

ホープが叫ぶと、周りにいた人々も口笛を吹き、拍手した。辺りは歓声に包まれた。

「よくやった!」

「最高だ!」

「お幸せに!」

スウはカズに抱きついた。ぐしょぐしょに濡れたまま二人は抱き合って、そして手をつないで最後の橋を渡った。

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