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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
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4 ゼム

騒がしさで目が覚めた。食堂はもうほかの客でにぎわっているのかもしれない。イオは洗面台で顔を洗い、しわになったワイシャツの襟をなおした。良いはスッキリと醒めていた。雨戸を開けると外は明るく、中庭が見えた。石造りの灯篭、白い砂の見事な枯山水、その奥に澄みきって朝日を受ける池とそこに掛かる赤い橋。夕べの暗さの中ではわからなかったが、若葉亭はかなり高級宿だったのかもしれない。

「……」

旅の男――ギンナルとか言ったか――が安い宿とか言っていたが、普通に高くつきそうだぞ、と不安になった。この世界の物価はわからないが、ここまでの運賃はだいたい200ベイ。一泊も200ベイ、ついでに情報は10ベイか。このクオリティの旅館なら一泊二万、いや三万はするな。てことは1ベイはだいたい百円から百五十円。えっ、じゃああのおしゃべりは単純計算で千から千五百円?ハードの小説一冊買えるけど?ボッタクリじゃん!

「くそ、お坊ちゃんだと思って……」

イオはギンナルの猫のような目を思い出して顔をしかめたが、有益な情報もあった、と思い直した。念のため少ない荷物を風呂敷に包み直して目立たない部屋の隅に置くと、食堂を目指し、部屋を出た。


食堂は学生のような少年少女でごった返していた。皆、お揃いの灰色のブレザーを着ている。バイキング形式の食事だったのでお盆を持って列に並ぶ。イオの前に並ぶ学生の会話が耳に入ってきた。

「ねえセトカ、ホントに興味ないの?案内してくれよ。俺たち、今日の夕方には中央帰るんだからさ。今日の午後しかないんだって」

「どうでもいい。私、この村の人にはもう会わないって決めてるの」

「ちぇーっ、つれないなー。こんなに人口よりトマトのがあるような町にあんなにケビイシいてなんもないはずないだろ」

「知らない。そんなに気になるなら一人で行けば。私はもともとこの合宿すら来たくなかったのに」

ケビイシ。昨日も聞いたような気がする。多分警察のことだろう。

「あ、あの!君たち!僕、そのケビイシが集まってるところに興味あるんだけど」

イオが声をあげると二人はびっくりしたように振り向いた。女の子のほうは目元に明らかに不審なものを見る雰囲気が漂っている。しかし彼女が何か口を開く前に男の子がイオの手をがっしりとつかんで叫んだ。

「まじ!?あのさ、一昨日から異常な数の、しかも中央のケビイシがこの辺をうろついてんの。絶対なにかあるよね。王が直接手配してこの町を調査してるらしいんだ」

「う、うん。僕も昨日から気になってた」

イオは少年の剣幕にややのけぞりながら言った。少年は黒髪に緑色の目をしていた。

「新しい地下都市の成長か、はたまた王室の基地の建設か……。とにかく、ちょっと見るだけでも面白いと思うんだよ」

「そ、そうだね」

少女は肩をすくめて行ってしまった。

「セトカは興味ないみたいだけど。あ、俺はゼム。中央第九学園の一年だよ。合宿でしばらくここに滞在してる。ええと、――君の制服はあんまり見ないね?一人?」

「あ、僕、学校は……」

「ふうん。ガクシャやってるって感じ?」

「まあ、はい。……そんな感じかな」

「そっか、ごめんごめん。疑ったとかじゃないんだ。最近R1の活動が地方では多いって聞いてつい。見た感じ僕と同い年くらいなのに一人でこんな町に泊まってるなんて珍しいから。職業聞いちゃってすみません」

「いや、気にしないで。僕はイオです。それで、ケイサ、じゃなくって、ケビイシがたくさんのところってどのあたりかわかる?」

「もちろん。午前の座学が終わったら抜けてくるから一緒に行こうよ。昼食後、旅館の外で待っててよ」

ゼムはいたずらっ子のようににっと笑った。


小一時間ほど歩くと、大破したガラス温室が目の前に現れた。ゼムは旅館で昼食をとってきているが、イオは朝からなにも食べていなかったので、すきっ腹には酷な運動ではあった。あたりにケビイシは少なかったが、黄色い規制テープが張り巡らされていた。ガラスが散乱し、足元は安全とはいいがたい。

「どうする?これ以上行ってみる?」

ゼムが聞いてきたが、無論、行かないという選択肢はない。

「こっそり近づいてみよう」

「急にやる気だね」

対するゼムの声は少し気乗りしない色を帯びていた。学園に通うということは警察の規制するところに入るべきではないという一定の良識が育っているはずである。遠目から見物はまだしも、黄色いテープを乗り越えるのは躊躇するところだろう。

「君はここで待っていてもいいよ。見張りをしてもらえれば僕がさっと行って見てくるよ。もちろん、人が来れば隠れていてもいい」

ゼムは少し考えてから首を振った。

「いや、俺も見に行く」

二人は温室の入り口あたりまで道のわきを伏せた状態でガラスに気を付けながらじりじりと進んだ。田舎なのだから木の一本でも生えていれば身を隠すのが楽になっただろうに、とイオは思った。入り口前にケビイシが一人。青の制服を着ている。イオは手前にあったガラスの大きめな破片をつかむと、道の反対側に投げた。ガシャン、と大きな音がしてケビイシはさっとそちらの方を向いて、腰から刀を抜いて構えた。

「今だ、走って!」

ゼムに半ば引きずられるようにしてイオは温室のなかに転がり込んだ。

「刀?!ケビイシはそんなもの持っているの?」

「そりゃあそうだよ。ケビイシなんだから。パトロール中によからぬ輩が出たら大変じゃないか」

ゼムは立ち上がって制服の泥を払った。さっきの移動で肘を切ってしまったらしく、舌打ちを漏らした。

「さて、UFOを探しに行こう。おちおちしてるとさっきのケビイシが入ってくるかも」

「そうだね」

イオは立ち上がって周囲を見渡した。

「ここ、トマト農園だよな……?」

ガラスの散らかった通路の両側にはイオの想像するトマト棚とは違う構造が並んでいた。真っ赤なトマトは千年前とさほど形に違いは無いようだったが、そのトマトとつながっているのは緑色の茎ではなく、半透明に黄ばんだチューブだった。チューブの下にはこれもまた半透明のジェルが敷かれ、そこからチューブが生えてトマトが鈴なりになっていた。ジェルの中からつながるチューブの主枝から側枝に栄養が流れ、育つトマト……のような形をしたもの、がそこにはずらりと並んでいた。

「ん?ごめん、なんか言った?」

通路を先に行くゼムが振り返って聞く。イオは首を振り、ガラスを踏まないように注意しながらゼムを追った。温室の屋根はほとんど残っていなかった。通路が開けたところの真ん中にそれはあった。タイムマシンである。車の形をしていたそれはやや温室の床にめり込んでフロントがつぶれ、窓ガラスは一枚も残っていなかったがなんとか形を保っていた。落下地点周辺には細かくなったガラスの破片しかなく、クレーターのような穴を作り、衝撃の大きさを物語っていた。

「これがUFO……?」

ゼムは立ち尽くした。イオは愛車に駆け寄った。一応車種について述べておくと、デロリアンとか気の利いた車種ではなく、中古のセダンである。

イオは真っ先にガラスの割れた窓に飛びついて運転席を覗き込んだ。エアバックはすでにイオの本体を引きずり出すときに破かれたのであろう、ナイロン66の残骸が残っていた。固まって赤黒い塊になり車内に飛び散っている自らの血液に、食事を抜いてきてよかったとさえ感じた。運転席の脇のカーステレオがタイムマシンの本体だった。スイッチを入れてみるが電源ランプが点くはずもない。座席に乗り込み、タイムマシンを車から取り外す。ありとあらゆるコードが熱で溶け、基盤は見る影もない。そしてやっとイオははっきりと悟った。計算を間違ったのだ。もともとイオはタイムマシンを使って十年前に行く予定だった。それが千年後になってしまった。一人の科学者としてなすべきことはしたつもりでいたが、時間旅行の現実は厳しかった。コピーの言った、『過去に行くことは不可能だ』という言葉が脳内で再生される。唇をかんだイオの手の中でマシンがまた崩れた。

「ねえ、なんだよ、それ」

ゼムの声に我に返った。

「さあ、なんだろうな」

イオは慌ててマシンをもとあったところに戻した。ゼムは怪訝そうな視線をイオに注いだ。

「このUFOについてなにか知ってるの?」

「ええと、まあ、……調べてきたから少しだけね。ほらこれ、昔あったあれに似てない?ええとなんだっけアレ、アレ」

「クルマ?でもそれは古代の異物でしょ。歴史の授業で聞いた。現代にクルマは存在しないよ」

「もちろん。でもここにある。それで僕は中を調べてみようと思ったわけさ。僕、すごく昔のことに興味があるんだ」

ゼムはそう、と納得したように言うと運転席のドアを離れた。イオはマシンをまた手に取り、裏側のフタを開けた。手が小さくなってしまっているのでこの作業は骨が折れた。指先には血がにじんだ。果たしてそこには多少焦げてはいるが何とか無事のUSBチップがあった。それを胸ポケットに入れるとまたフタを閉じてもとの場所に置き直した。車から出るとゼムは後輪の方にいた。

「なにか面白い発見あった?」

ゼムはナンバープレートを指さした。

「ひらがなだ。この形のかなが使われてたのは少なくとも500年前だよ。これさ、もしかしたら本当にクルマで、ただのUFOじゃなくてタイムマシンとかなのかも」

「あ、うん、そうだったらなんか面白そうだね……」

もちろんこれは本当に車だし、ただのUFOではないタイムマシンである。イオはそれをゼムに知られる危険性を計算しようとしたが、すでにケビイシにも知られていることだった。自らにかかわる影響の度合いは計り知れなかった。

「おい、だれかいるのか?」

ばっと二人が振り返ると通路の奥からガラスを踏みつける音が近づいてくる。

良からぬ輩二人は顔を見合わせ、うなずくと足音のしない方の通路に逃げ込んだ。息を殺してトマト棚越しにケビイシをやりすごす。二人のすぐそばをケビイシは通り過ぎた。胸をなでおろし、一歩踏み出した瞬間、イオの靴の下でガラスが砕けた。ケビイシは刀を抜く。

「待て!ここは進入禁止だ!」

「逃げろ!」

ケビイシはトマト棚越しに二人と並走する。このまま行けば通路が切れる出口で捕まってしまう。

「食らえ!」

ゼムはトマトをむしるとケビイシの顔に投げつけた。ケビイシが一瞬ひるむと、イオもトマトを投げつける。二人は温室から走り出る。

「こっちだ!」

ゼムは一番近いガラス温室へ駆ける。イオも続く。ここもまた、トマト農園だった。二人はトマト棚の陰に隠れた。

ケビイシは全身真っ赤になって温室から飛び出して周囲を見渡したがもうよからぬ輩の影は見つけられなかった。ケビイシは赤く汚れた帽子を地面に叩きつけた。


「まずい、みんなはもう学園に帰る列車に乗っちゃったかも」

何もない田舎道を並んで若葉亭まで歩きながらゼムは言った。懐中時計を持っている。空はだんだんオレンジ色になっていた。

「今何時?」

「五時過ぎ。君、チェックアウト何時なの?あのおばあちゃん、早く退出しないとうるさいよ」

「僕はもう一晩泊まることにする」

「そう。あ、そうだ。昔に興味があるならあの宿のおばあちゃんに聞いてみなよ。あの宿は学生の合宿場所でよく使われてるから、なにか学生が置いていった本を貸してくれるかもよ」

「わかった。ありがとう」

二人は旅館の前で別れた。

「今日は俺の冒険に付き合ってくれてありがと!俺、明日からも授業あるし、学園に戻るよ。またね」

「うん。じゃあ、また」

チェックアウト時間を過ぎたことを謝り、今晩は風呂付で泊まるというとすんなりと許された。昔について聞くと、カウンターの下から本をいくつか取り出した。

「歴史の本に限らず、合宿に来た学園の生徒の忘れ物はたくさんある。読みたけりゃ勝手に読みな」

ありったけの本を借り、部屋に置くと、すぐに大浴場に向かった。

風呂は入るとすぐ目に入る壁一面にタイルで富士が描かれていた。トイロソーヴの体は頭が大きすぎて後頭部が洗えなかったが低い天井に据え付けられたシャワーが洗い流してくれた。他の客はいなかったので浴槽の真ん中で熱い湯につかる。風呂に入ってみると意外と擦り傷や切り傷があることに気が付いた。血行が良くなって傷口はじんじんとしみた。それが痛くなくなるまでじっくりと湯につかったあと、イオは大浴場を出た。

夕食はすき焼きが出た。その他いろいろと野菜の盛り付けやら果物の盛り付けが出たが、昼食を抜いていたイオはただ掻き込み、腹を満たした。

膳が下げられたとき、すでにもう眠気の限界が来つつあったが、イオは本を読んでおくことにした。

イオがこの世界に来る前、タイムマシンの出発時間は2124年の7月だった。その時点で人類は、物体を未来に送ることに部分的に成功していたし、特定の条件をみたせば生命体の一部の時間をいじることにも成功していた。イオの科学者としての研究は、進行性の病気に侵された人体の臓器の時間を戻すことだった。臓器自体を自らの過去のものと交換すること。これに成功すれば臓器移植の必要は無くなる。コピーのいう『禁忌』である。イオはその技術を使ってタイムマシンを作り上げ、自分の全身を十年前のものと交換しようとしたのである。

イオは胸ポケットの上からUSBチップを撫でた。過去に戻るにはもう一度タイムマシン、それも、今よりも改良した複雑なマシンをここで作り上げなくてはならない。自分の研究室もない今、できることは限られていた。

気持ちを切り替え、おばあさんが貸してくれた本の中に化学の教科書があったので読むことにした。果たして千年未来はどんなに化学が発展しているのだろう。

「えー、水というものは水素原子二つと酸素原子でできている。原子の中には陽子と中性子というものがあって、そのまわりを電子が回っている……」

イオはパラパラと教科書をめくった。教科書は大きく二章に分けられていて、有機化学と無機化学。周期表がすべて埋まっているところと、取り上げられている有機繊維の種類が増えているくらいだ。イオが持っている高校の教科書とそう大差ない内容で、イオは拍子抜けした。

物理、生物、数学、地学、国語はほとんど同じだった。古典はイオの時代のものまで含められていたが、内容はわかる。イオは地理の教科書を開いた。

「これは、楽園地図……?」

楽園はきれいな円形で、中央に中央ブロックが丸くあり、そのほかは東西南北の四つのブロックに直線で分けられている。ページをめくると細かい地名が書き込まれた地図が出てきた。今いるリコボという町は東ブロックのかなり端にあるようだ。さらにページをめくる。楽園を横から見た図だ。楽園は球体の巨大な何層ものカプセルのようなものに覆われていて、それが海に浮いている。海面上に見えているのは六割ほどだ。

「なんでこんなことに……」

イオはそこまで言いかけてはっとして歴史の教科書を手に取った。

「え……?」

イオは両手の震えを抑えることができずに教科書を取り落とした。静かに夜は更けていった。

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