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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
30/172

30 知識祭

「ほんとに来ちゃった……」

セトカは自分が信じられなかった。目の前に王城がそびえたっている。時刻は十時ちょうど。本日、私は城に不法侵入する。目的は、知識祭の会場に忍び込み、知識の泉というものが、具体的にどのようなものなのかを観察し、見つからないように帰ってくること。

「行くよ」

セトカをその気にさせたリーダーは城の周りにあるお堀へと足をかけていた。

これは間違いなく何等かの法に触れているに違いない。

イオはお堀に飛び込むと、手で合図を出し、反対側に泳いでいく。しかたがない。何度目かわからないが腹をくくり直し、セトカも遅れないようにお堀に飛び込む。イオは両手両足にかぎづめをつけて器用に石垣を登っていき、登りきると、セトカにロープを投げてよこす。

城への侵入は比較的簡単にできた。王城は王が変わるごとに改修され、王の好みの城になるそうだが、現在の王、テンキュウはスタンダードな城を好むのか、厳しく警備するところはそれなりに厳重だが、おざなりなところはおざなりになっていた。特に侵入のリスクがないと考えているのか、はたまた、自らの住居をカスタムする趣味があまりなかったのか……。

天井裏に潜入し、ゆっくりと匍匐前進しながら下の様子をうかがう。ケビイシが何人か廊下を巡回しているのを見たが、今は会議が行われているので、他の部屋は警備が手薄だ。

「?」

大きな柱が目の前に現れた。そのまま通り過ぎようとしたが、触ったときに何か違和感がある。先を行くイオに少し待つように合図をする。音に気を付けながら手の甲でたたいてみると、柱の中は空洞になっているようだ。表面を注意深く触っていくと、取っ手のようなくぼみがあり、指をかけて力を籠めるとするりと棚の戸を開けるかのようにスライドして、中をくりぬかれた柱の中に上に続く縄梯子が現れた。

どうする、と視線だけでイオに聞く。

知識の泉があるのは城の地下だ。上の階に行ってもたどり着ける気はしない。

セトカは腕時計を見た。10時30分。この隠し通路がここにあるということは、私たちのほかにもなにか身を隠さなくてはならないような理由で城に出入りしている輩がいるということだ。しかもかなり計画的に。このまま天井裏を這っているといつか鉢合わせしてしまうのではないか。

『まだ時間もある。ちょっと上ってみよう』

とイオが口パクで言う。セトカは柱の中に体を押し込むと、縄梯子を上った。特にきしむ音もせず、ちぎれるそぶりもない。日常的に誰かに使われているような感じだ。

畳を押し上げて出たそこは、どうやら王のプライベートルームのようだった。会議中なので当然王はいない。金屏風やら、いつの時代をイメージしたのかよくわからない置物や皿が並べてあったが、統一感のなさから、『それっぽいから集めてみた』という、美術品やインテリアへの興味のなさが露呈していた。

「特に面白いものはなさそうだね」

セトカは言った。

「いや、そうでもないよ」

イオは棚から本をいくつか抜き出して中を見た。王の仕事に関する詳しい書物はさすがに置いていなかったが、王の綴ったであろう日記や、城の内部構造を示した設計図が置いてあった。イオはスマホで写真を撮りたいと思ったが、口に出すのはやめて、難しい顔をするだけにとどめた。

設計図によると、知識の泉はやはり城の地下の最深部にあるようで、二人が今いる場所の真下に位置しているようだった。二人で額を突き合わせるようにして地図を頭に叩き込み、泉へのルートを考えた。

「よし、行こう」

イオは隠し通路に体を入れ、畳を元に戻した。そのとき、イオの手に一本の髪の毛がついた。――茶色くて、長い髪。やはり王の部屋に日常的に出入りしているものがいる。そしておそらく、それは女だ。


城の地下に降りると、もう天井裏などという隠れやすい場所はなくなり、二人は壁に背中をぴったりとつけて、廊下の先をうかがっていた。地下に続く道は一つきりで、その入り口には扉があり、両脇に門番のように腰に刀を携えたケビイシが立っていた。

さて、どうするか――。



「それでは、ただいまより今年も知識祭を開催いたします。これより先は限られたヒトしか入ることはできません。気を付けてお帰りください。本日は城までお越しいただき、まことにありがとうございました」

列の先頭で歩いていたヒサメは後ろをくるりと振り向くと、一行に呼びかけた。列には、王、その後ろにテート・ケビイシの男、その後ろには四人の大臣とその側近たちが並んでいた。大臣たちは王に一礼すると、黙って引き返した。大臣たちが廊下を曲がって見えなくなったのを確認してから、ヒサメは前を向きなおし、地下に続く扉に向き合った。鍵を取り出して、門番のケビイシに渡す。ケビイシは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに表情を持ち直し、恭しく鍵を受け取ると、その鍵で扉を開け、ヒサメたちを中へといざなった。

「ここでしっかりと警備をしておけ。わかっているだろうが、だれも中に入れるなよ」

テート・ケビイシの男は門番の二人を横目でにらみつけるようにしながら小さな声で言うと扉をくぐった。門番たちはこくこくとうなずいた。

あいつらは敬礼の仕方を忘れたのか。まったく。訓練が足りない。門番のポジションは近々交代させたほうがいいかもしれん。テート・ケビイシのロザキは舌打ちしそうになる。大方、またサックの部隊だろう。あいつは本当に甘い。ロザキは胸の中で元同僚の不満を漏らす。短く刈り揃えた薄紫の髪に薄緑の目。長年のケビイシとしての勤務によってできた傷の多い顔。ロザキににらまれた新人たちはみなだいたい彼の怖い顔が夢に出るようだ。――とにかく。中央のケビイシがきちんとしなくては。戦争がはじまるんだからな。


「よし、行ったみたいだ。追おう」

イオが扉の反対側に立つセトカに声をかけた。セトカはそれを聞くと、腰が抜けたかのようにその場にへたり込んだ。

「ああ、怖かった」

二人は門番をペンで殴り倒して制服と刀を頂戴し、持ってきたロープでぐるぐるまきにすると、便所ロッカーに詰め込んだ。そうして王様一行が来るのを堂々と待っていたというわけである。不法侵入どころか、暴行まで犯してしまった。

そのままへたり込んでいたいところだったが、セトカはなんとか気持ちをまた奮い立たせ、白い顔のままイオに続いてふらふらと扉をくぐる。

薄暗いコンクリート造りの階段がまっすぐ下に続いていて、下からは湿っぽくて涼しい風が湧き出しているようだ。顔に受ける微風はなんだか嗅いだこともないようなにおいが混ざっていて、セトカのうなじの産毛はぞわりと立った。

「懐中電灯を持ってくればよかったかな」

階段を数歩降りてイオが振り返って言う。

「いや、その必要はないみたい」

セトカはゆっくりと腰に挿してあった自らのペンを抜いた。握って構えてみると、ペンは内側からよくわからないが、大きなエネルギーを秘めているかのように感じる。まるで、生きているかのようで、今にも内側から鼓動の音が漏れ出しそうに思える。いつもは体の中のガクを使ってペンを操るのだが、今はペン自体が意思をもって動こうとしているかのように感じられた。こんな感覚は初めてだった。引き込まれ、飲み込まれるような感覚。光を、とペンの先が光るような想像をすると、すぐにペンはペンライトに変形し、先端はまばゆいばかりの青白い光を放った。

「まずいっ」

イオがセトカの手からペンを叩き落とした。

「ごめん、ありがと」

光は王たちまで届いただろうか?二人は息を殺して身じろぎせずに下の様子をしばしうかがった。幸い、気付かれてはいないようだ。ひとまず胸をなでおろす。

イオのペンも、何か内側から活発に反応しているかのようだった。イオはふと考える。まず、ペンとはいったいどのような仕組みで動いている機械なのか。ああ、調べてくればよかった。イオはしゃがみこんで、セトカの手を離れてなお微弱に光り続けているペンを観察する。知識祭では、知識の泉にガクを溜める。ここでペンの変形が容易にできたということは、今ここにもガクが気体のように漂っていて、それを利用できたということだろうか。ということは、ガクとは、ガスのようなものなのか?

「何か、袋とかもっていないか?ゴム栓付きの試験管とか、注射器でもいい」

「持ってるわけないよ」

「……だよね」

イオは立ち上がって膝を払った。そして目を閉じて、視覚を失くして嗅覚に集中し、辺りのにおいをかぐ。微かだが、変なにおい。放置した生ごみ……いや、下水道?それよりはだいぶましだ。イオは目を開ける。湿気を帯びた古いコンクリートのにおいも混じっているかもしれないので、今ここで一生懸命鼻をひくつかせてもガクのにおいはわからないだろう。

イオが階段を降り始めると、セトカも無言でそれに続いた。何度か踊り場があって、折り返し、下へ、下へと降りて行った。踊り場でしっかり下を確認して音を立てないように降りる。王たちに追いつくという心配はなさそうだ。地下につくのではないかと思い始めたころ、階段が唐突に終わって、広間のような場所に出る。丸いドーム状の部屋で、中央に王と側近二人が集まっているのが見えた。階段の陰から首を伸ばして見る。部屋の中央は丸いステージのように少し高くなっていて、そこにはどうやら井戸のようなものがあるみたいだった。

「我、238代目の楽園の王、テンキュウが、953回目の儀式を執り行う。楽園の永久不滅を願って――」

ヒサメとロザキがステージを降りて下を向いて膝まづく。

「はあああああああっ!!」

テンキュウは叫ぶと、井戸の手前に自らのペンを突き刺した。部屋はかっと青い閃光で満たされる。ものすごい光量だ。スタングレネードを間近で受けたかのようだ。あっと思ったがもう遅い。ヒサメとロザキは下を向いていて、おそらく目をつむっていたが、イオとセトカは別だ。眼球でまともにその光を食らい、文字通り目が見えなくなる。頭が痛い。割れそうだ。食いしばった歯の隙間から耐え切れずに悲鳴がほとばしるが、不幸中の幸い、テンキュウの叫び声によってかき消されている。ショックで気絶しそうなところを何とか階段の手すりに縋り付いて保つ。

一時間ほど経っただろうか。正確なところはわからないが、しだいにテンキュウの声が弱弱しくなってきて、光の強さが幾分弱まってきたかのように感じられて、イオはそっと薄目を開いた。テンキュウの膝が今にも崩れ落ちそうにがくがくと震えているのがわかる。壁に目を向けたイオは息を呑んだ。この部屋に入ってきたときには薄暗くて見えなかったが、光に照らされてみるとドーム状の壁、そして天井近くまでそれはもうびっしりと、森の絵が描かれていた。経年劣化によってやや褪せた緑色は、それでも力強く枝葉を伸ばして、光の揺らぎに合わせて揺らいでいた。杉、松、檜、白樺、シイ、カシ、ブナ、桜、楓、銀杏……。地下なのに、どこまでも、幻想的な森の中にいるような感覚。まるで、さわやかな風が水面をなでる澄んだ森の中の泉にでも潜って、揺らぐ水面越しに背の高い木々を眺めるかのような。もちろん、都会で暮らしてきたイオにそのような体験をした具体的な思い出はなかったのだが、そんなシチュエーションが自然と浮かんだ。

突拍子もないが、イオはなぜかその言葉がこの光景を上手く形容していると思った。――ああ、晴れているなあ。

そのとき急にイオの記憶と部屋にただようにおいの正体が結びついた。土だ。時間をかけて肥やした土壌のにおい。自分の膝を見る。さっき払ったズボンの膝には、()()()()がついていた。

ぱっと部屋の中に揺らぐ光が消えうせる。テンキュウが気を失ったのだ。足音がして、ヒサメとロザキがステージに駆け寄る。そろそろ門番のふりをしに上に戻ったほうがいいだろうか。しかし、井戸の中もどうなっているのか確かめておきたい。王を担いで二人が階段へと近づいてくる。まだぼんやりしているセトカを揺り動かした。


「お前と組んで知識祭をするのはこれで4回目か?」

王の上半身を右肩に乗せるようにして運びながら、ロザキが聞く。

「ええ、そうですね」

後ろから王のつま先を支えているのかいないのかわからないが、両手でつかんでロザキの後ろについて階段を上りながらヒサメが答える。どう見てもヒトの運搬に役に立ってはいない。

「くそ、毎回終わるごとに、次こそは担架をもってこようと思うのに忘れちまう」

ロザキは顎から汗がしたたり落ちるのを感じた。一方ヒサメは訳が分からないというふうに首をかしげる。

「必要ですか?」

「エレベーターを設置してもいい」

「予算があれば次の王に提案してみます」

「……」

次の王はできるだけ体重の軽いやつがなればいい、とロザキは思った。階段の一つ目の踊り場に着いて息を整える。まだまだ先は長そうだ。


王たち一行が、イオとセトカが体を突っ張り棒のようにして階段の入り口の部分に踏ん張っている、その()を通り過ぎるのを待ってから、二人は床にべしゃっと落下した。全身の筋肉は無茶をさせるなとぶるぶる震えて非難した。

イオはいったん筋肉の非難を無視してステージに駆け寄った。

井戸の前には丸いくぼみがあった。王がペンを突き立てていた箇所で間違いないだろう。ただのくぼみで、特に仕掛けはなさそうだ。ステージと井戸はおそらく同じ素材だから、エネルギーが伝導して井戸の中に蓄積されるのかもしれない。続いて井戸の中を覗き込む。

なにかどろりとした液体がたまっている。明かりをつけるために、とりあえず自らの腰に挿してある、うずうずと脈打たんばかりのペンをくぼみに当ててみる。ぼうとステージを含めた井戸が光を放ち、井戸の中が照らされる。

「!?」

たまっている液体はジェル状で透明のようだ。井戸の底のほうに何やら複雑に絡み合った白っぽい、それでいて透明な、一番近い色はスーパーでよく見るもやしの色の毛糸玉のようなものがある。毛糸玉よりもなんだか生々しい、という印象を受ける。ペンと同じように脈打つなにかを内側に秘めているような。――生きているような。

「なにあれ……」

「さあ……」

ずっと見ているとなにやら引き込まれてしまいそうな感じに思えたので、イオは無理にペンをくぼみから外して、視線を階段のほうに向けた。

「そろそろ戻ろう。王たちが上についたときに鍵を持った門番がいないとややこしいことになる」

もうかなりややこしいことになっているのだが、セトカはうなずいた。


階段は吹き抜けになっているので、踊り場から踊り場にうまくよじ登って一行を抜かし、門の前に立った。つつがなく施錠をして、一行が廊下の奥に消えたところで二人は急いで城を後にした。

便所に置いてきた本物の門番はだれかに見つけてもらったときに賊の侵入について訴えるかもしれないが、顔は見られていないので、イオとセトカが捕まることはないだろう。

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