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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
21/172

21 数学大臣

「セトカさん。学園やめるのを、やめてください!」

目の前に突然息を切らして駆け込んできた男は、セトカに向かってそう言い放った。

「僕は、あなたのその技が欲しい。僕とパーティーを組みませんか」

セトカは事務室の扉のノブにかけた手を放してその男に向き合った。

「すみません。私は今日で学園をやめます」

「そこをなんとか」

「いいえ。決めたことです」

イオの後ろからツガルが走って追いついてきた。イオを押しのけ、手の中に握りしめた一枚の写真をセトカの前に突き出す。

「イオ。彼女はもう決めたんだ。――セトカ。ベストショットだ」

「ありがとう」

セトカがそれを受け取ろうと手をのばすと、ツガルは自分の拳をすっとひっこめた。

「ツガル……?」

「でも、渡せない。もうすこしだけ考えてくれないか。数学の道を本当にやめるのか」

「私はもう決めたんだよ」

セトカは写真に手を伸ばすが、ツガルは避け、その手からイオが写真を取った。

「僕のパーティになってくれるまでこの写真は渡しません。お願いです。あなたの技が必要なんです」

イオが言うと、セトカは浅葱色の瞳でイオをじっと睨んだ。そして、両手を上に挙げると、

「オーケー、なるよ。はい、パーティーになった」

と言った。

「え、ほんとですか」

イオが写真を渡す。

「写真ありがとう。じゃあ、パーティーやめます。お世話になりました」

「えええ、待ってください!」

セトカは事務室の扉のノブに手をかける。その手を払いのけたのはツガルだった。

「こうしようよ。セトカは一度数学大臣に会ってみなよ。まだ一度も会ったことがなくて、仕事のこともよく知らないのに辞めるなんてだめだよ。イオもパーティーになってほしいと言っているし、二人で数学大臣に会ってから、それから決めたらいいよ」

ツガルがまくしたてる間にイオはまた写真を奪い変えす。

「どうして今になって今まではベストショットがとれたらやめていいとか言っていたのに、条件を出すの」

セトカはツガルをにらむ。

「イオの気持ちを少しは考えてやってよ。最後なんだから後輩ときちんと折り合いをつけてもいいじゃないか」

「どうして今日あったばかりの彼の肩をもつの」

「イオは私の撮影を手伝ってくれた。ベストショットは彼なしには取れなかったね」

セトカは黙り込んだ。


車窓が流れていく。イオとセトカは列車のボックス席に腰かけて向かい合ったまま沈黙を保っていた。列車は中央ブロックから東ブロックに入り、東ブロックの最大都市であるラルマーニというところに向かっていた。

東ブロックの都市は川が多い街のようで、都市全体が水と共存するかのように発達していた。列車はいくつも橋の上を通っていく。川、といっても、流れはあまりなく、水面は凪いで、空や高層な建物を映しており、列車が通った後、橋の振動が鏡のような水面を波紋で乱していった。

イオはちらりと視線を上げて、セトカの様子をうかがった。どことなく退屈そうで、憂鬱そうな目はぼうとしたまま外に注がれている。彼女が数学大臣を目指し、そしてその道をやめようとした経緯はイオにはわからなかったが、この人をこのままやめさせてはいけない、というどこか確信じみた思いがイオの中にあった。この人は確実に数学がわかっていて、何より技が洗練されていた。そう、その一撃に惚れ込むくらいに。この人がパーティになってくれれば王への道のりがきっと早くなるに違いない。セトカをなんとしてもパーティーに入れてやる。イオは固くそう思った。

『次は、ラルマーニ。この列車は夏上ラインに接続です。引き続きご利用の方はご乗車のままでお待ちください』

駅を出るとすぐに数学の塔は見つかった。ひときわ高い五重塔ならぬ七重の塔が高くそびえたっている。朱色が美しく塔の下にある水辺に映っていた。ここに数学大臣という人がいるらしい。

「高っ……」

横を見るとセトカもイオと同じようにだらしなく口を半開きにして塔を見上げている。

「は、入ろっか」

イオがいうとセトカも口を慌てて閉じると、顔を緊張させた。

塔に入るとまず受付のカウンターがあった。

「いらっしゃいませ。本日のご用件はいかがいたしましたか?本日、バッジのチャレンジの予約はございません」

受付では事務員らしきお姉さんが一人、来客に対応していた。ぴちっとしたスーツに身を包み、大きなダブルクリップのような特徴的な髪留めでお団子にまとめた髪を束ねている。

「あ、バッジのチャレンジに来たのではなくて、ええと、今日大臣と面会することはできますか?」

「面会、でございますか。ご予約は?」

「すみません、していません」

「少々お待ちください」

お姉さんはカウンターの書類をものすごいスピードでめくり、確認して、いろいろな書面に何かを書き付けた。

「スウ様は本日公的業務がございません。こちらの機械にペンをスキャンするか、身分証明書類を提出していただくことになります」

二人はペンを差し出された上皿はかりのような機械に順番に乗せた。

「はい結構です。中央第九学園のイオ様とセトカ様ですね。今から大臣のほうに面会が可能かどうか連絡してみますが、面会希望時刻等はございますか?」

「いつでも大丈夫です」

お姉さんは電話をとった。

「はい、はい……、かしこまりました。はい、では失礼いたします」

「できそうですか?」

「はい。今ちょうど人に来てほしいとのことでして、大臣の手伝いをすることになってしまうかもしれませんが、今すぐの面会が可能とのことです」

「手伝いっていうのはいったい」

「申し訳ありませんがわかりかねます。大臣はこの塔の七階にいらっしゃるので、そちらの階段から上がってください。ペンはカウンターで預かりますので、お帰りの際は再度お立ち寄りください」


二人は階段を上って行った。四階を超えるとずいぶん高く、ラルマーニの景色が見える。さながら水上都市のようだ。

「手伝いって何をさせられるんだろう。私たちみたいな単なる学生に務まるといいけど……」

セトカがつぶやいた。

大臣の部屋の扉の前に立つ。ノックしようとして、ふと、扉の隙間から漂うおいしそうな甘い匂いに気付き、セトカとイオは顔を見合わせる。

その次の瞬間、ドカンと大きな爆発音がして、扉が倒れた。中から黒い煙。

「いってええええ!!」

「だ、大丈夫ですか?!」

中から叫び声がして、イオとセトカは大臣の部屋に飛び込んだ。部屋の中心にはなにやら黒焦げの機械とその横に頭にたんこぶを作って呻く男の子。

「あー!なにやってんの、カズ!こげちゃったじゃん!」

視線を向けると部屋の窓際に座り込む女の子。

「ん?君たちは……、ああ、さっき事務のお姉さんから連絡があった人たちだね。あ、ちょっと汚い部屋だけどテキトーに座って~」

女の子のほうがイオたちに気付いてにこやかに言った。年齢はイオたちよりもいくつか下のように思える。ちなみにうめいている男の子もその子と同い年くらいだ。

「来てくれてありがとう。お茶でも出すね」

「あ、あの人はほっといて大丈夫なんですか」

「うん。あれは私の助手って設定の友達、カズ。体だけは丈夫だから私のボディーガードとしてこの塔を出入りしているんだ。そして申し遅れました、私が去年から数学大臣をやらせてもらってる、スウで~す。よろしく!」

スウは灰色の切りっぱなしの長い髪を後ろで一つに束ねていて、服装がまるで平安時代の十二単のようなものを着ていた。しかし、十二単よりはずいぶんと軽く、動きやすそうなデザインにはなっている。瞳は薄い水色だ。

「よ、よろしくお願いします」

想像していた大臣の像とはかけ離れた印象に二人はぽかんとしながら差し出された手を握った。

「お茶です」

男の子がいつの間にかお茶を用意していて、スウと客二人の間にちゃぶ台をセットし、お茶を置いた。男の子はお茶を出し終わると、先ほど爆発した機械の片づけを始めた。時折、「いてっ」とか「あちっ」とかいう呻きが聞こえて心配だ。

「さっきは何をしていたんですか?ものすごい爆発でしたが」

「ああ、あれね。私、今、バウムクーヘン分割について考えてたの。それで、円錐形のバウムクーヘンを作らなくちゃならなくなって、開発してたところ。失敗したただおいしいだけのバウムクーヘンが部屋にあふれちゃったものだから人をよんで食べてもらおうかと思ったんだけど、さっきのでみんなこげちゃった。ごめんね」

バウムクーヘン分割。高校数学の教科書のコラム欄に載っている積分のやり方の一つだ。変な形の立体の体積を求めるときに使うと便利なこともある。

「まあ、発明した機械は会議で取り上げられるまえに壊しちゃう予定だったから、壊れちゃってもよかったんだけれど、せっかくうまく完成したバウムクーヘンまでこげちゃうんだから悔しいよね」

焦げたバウムクーヘンを見せてため息をつく。

「普段から積分の研究を?」

セトカが聞く。

「ううん。今日はたまたま積分なだけだよ。カズが、この分割法がよくわからないって言ったから。この機械はダメだったし、他の方法を考えるかぁ。普段もまあ城から出る学習費を使ってこういう機械とかを作って遊んでるよ」

「実際作ってるのは俺だろ」

カズがつぶやくがスウは聞こえないふりをした。

「今までに私が作ったのは、ええと、自動でさいころを振り続けてその目を記録してくれるからくりとか、正多面体のボールとか、美しい双曲線アーチとか、サイクロイド製造自転車とか……。アーチはまだこの塔に残ってたっけ?」

「今月中に作ったものはまだぎりぎり壊さずに倉庫の中にあるよ。せっかく来てくれたんだし、倉庫を見学させてあげたらどうかな」

「いいね。楽園に住む以上しょうがないんだけど、作った発明品が一度も日の目を見ないのは悲しいし。来て。倉庫はこっちだよ」

スウは立ち上がると二人を手招きした。

スウの後について塔の階段を降り、倉庫に向かう。上ってくるときは単なる壁の模様だと思って気にしていなかったが、黒い壁をよく見るとびっしりと数字や式が並んで書かれていた。遠目から見れば完全な真っ黒に見えるといっても差し支えがないほどにその壁は書き込みで汚れていた。

「さて、ここだよ」

塔の高さでいうとちょうどまんなかあたりの階でスウは足を止め、大きな扉の前に立った。扉の持ち手の下、本来鍵穴がありそうなその位置に16マスの正方形に区切られ、1から15までの数字の書かれたパネルがバラバラの状態にはめられている。

「スライドパズルですね」

イオが言う。一区画だけ空いている区画があるので、そこを利用してパネルを移動し、パネルの数字をきちんと並べなおすというパズルだ。

「うん。これを完成させるまでに最高で何回パネルの移動をしなければならないと思う?もちろん、最適な方法でパネルを動かした場合だよ。ちなみに先代まではこの鍵、ルービックキューブを解かないと開かない仕様になってた。ルービックキューブの場合、どんな状態からでも、キューブの各面の色をそろえるには最大何回の移動が必要かなって気にならない?実はね、計算してみると驚くべきことに最大20回動かせばそろえられるらしいんだ。知ってた?面白いよね」

言いながらスウは迷いなく手を動かし、パネルをスライドさせていく。瞬く間にパズルが完成し、スウは扉を押し開いた。

「入って。どうぞ中を見てみてよ。明日の朝には壊しちゃってゴミに出す予定のものしかないけど」

部屋の中には雑多なものが置かれていた。

「あ、あった、あった。これがアーチ。きれいな双曲線でしょ」

三人は並んで神社の鳥居ほどの大きさがある銀色のなめらかな曲線を見上げた。

「方程式はなんですか?」

セトカが尋ねると、スウは嬉しそうに話し始めた。イオが横をちらりと見ると、セトカは無表情でアーチから目を逸らさずに見上げたままその話を聞いていた。


「それでは、僕らはこの辺でお暇します」

「来てくれてありがとう。またいつでもおいでよ」

日も落ちかけて、イオとセトカはさすがに塔を出ることにした。倉庫を見終わり、最上階の大臣の研究室に戻った後も、スウは楽しそうに自らの発明品と研究のテーマについて語った。イオがお別れを言うと名残惜しそうに手を振った。

「俺が見送るよ」

イオたちのそばに座ってずっと話を聞いていたカズが立ち上がった。

「そういえば今日は君たちのほうがなにかスウに用事があったんじゃなかったのか?用事はちゃんとすませられた?スウの話に付き合わされていただけだったらごめん」

「あー、大丈夫です。大臣とはどういうものか見てみたかったので。こちらこそ大臣の貴重なお話を聞くことができたのでよかったです」

「そうですか。じゃあ、あの、またあいつに会いに来てやってください。今日、すごく楽しそうだったから」

イオはうなずいた。

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