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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
20/172

20 セトカの過去

「おーい、早くー!野球しようよーっ!」

セトカは放課のチャイムと同時に教室を飛び出し、グローブを片手に隣の教室へ呼びかける。

「おー、行く行くー!」

カンペイが声を上げ、何人かもそれに応じる。

「今日も河原に集合ね!」

リコボという東ブロックの端の小さな田舎町がセトカのふるさとだった。トマト栽培で生計をたてる家族が多い町だった。町にたった一つの初等教育機関である義務学校に通った放課後は決まって仲間たちと河原で野球をして遊んでいた。暗くなると自転車を押しながら家路につく。家が近所のカンペイと他愛のない話をしながら歩いて、家に帰ったら速攻風呂に入って寝る、これがいつも通りの日常だった。

「ふー、遊んだ、遊んだ。今日のハルキのセーブすごかったよね!あ、でも、カンペイのフライもかっこよかった」

「だろ?お前も最後のヒットいいとこに飛ばしてたじゃん」

隣を歩くカンペイが答える。

「へへ。シラヌイお兄ちゃんの特訓のおかげかな。ねえ、週末またカンペイんち行っていい?私のうまくなったスイング、シラヌイお兄ちゃんにも見せたいな」

「あ、シラヌイに……。わりぃ、最近兄ちゃん忙しいみたいなんだ。なんか、お父さんやお母さんともよくケンカしてるし。みんなを集めて河原で遊ぼうぜ」

「そっか。――じゃあしょうがないね。ハルキは家近いし、ヤソとキヨミはきっと呼んだら来るよ」

「そうだな。じゃあ、また明日、学校で」

いつも通りはずっとは続かない、そうセトカは振り返る。


「シラヌイお兄ちゃん?」

雨なので野球ができず、セトカはまっすぐ家に帰る途中だった。

「ああ、セトカ。久しぶりじゃん。いっしょに帰るか」

シラヌイはいつもとはなんだか違う服装をして、大きなカバンを持っていた。

「シラヌイお兄ちゃん、駅に行ってきたの?最近河原で遊ばないけど、どうして?」

シラヌイは傘で自分の顔を隠すようにして言った。

「中央の学園の試験を受けに行ったんだ。もうそろそろ俺たちは遊んでばかりもいられないんだよ。勉強しなくちゃ、だめなんだ」

「勉強……。どうして?」

「勉強できるってことは、すごく強いってことなんだ。勉強ができればえらくなれるし、都会に行くこともできる」

「私はこの町が好きだよ」

シラヌイは立ち止まってセトカの前で膝をつき、目線を合わせた。

「セトカ、勉強ができなくていいことなんて一個もないんだ。バカにならないために、勉強できるときにするべきだ」

シラヌイの真剣な態度にセトカはうなずいた。

「わかった。明日学校でテストがあるから、がんばる」

そういうと、シラヌイは安心したように顔をほころばせたが、その中に一抹の寂しさがあったようにセトカは感じた。その夜、セトカは初めて本気でテスト勉強とやらに取り組んだ。


「って、17点かーい!!」

セトカは自分の返却された解答用紙に思い切り突っ込みたくなった。ちなみに義務学校でのテストはすべて筆記である。シラヌイお兄ちゃんに言われて頑張ってみようと思ったのだが、どうも点数は振るわなかった。とほほ、私ってずいぶん勉強が苦手なのかもしれないな。チャイムがなって放課となった。

「セトカ、おまえ何点だった?」

河原に向かう途中、カンペイが聞いてきた。

「うーん、カンペイから言ってよ」

「なんだ、そんなに悪かったのかよ。隠さず言えって。おまえ今までテストできなくっても平気だったじゃんか。なに急に恥ずかしがるんだよ」

「恥ずかしがってるわけじゃ……。いいよ、じゃあせえので言おう」

「いいぞ。せーの、84」

「じゅ……、あ」

「え?なんて?じゅう、いくつ?」

カンペイが自転車を押しながら自分の耳をセトカの口元に近づける。セトカはうつむく。

「17」

カンペイは少し間があったあとに、小さく笑いのようなものをこぼした。ようにセトカは思った。

「おい、笑ったな!ひどい!」

セトカはカンペイの胸倉をつかんだ。自転車が倒れる。

「笑ってねえって」

「笑った。バカにしてんだろ。ふざけんなよ。本気でやったのに」

「放せよ。痛てえって」

「認めろ!笑っただろ」

二人はもみ合うようにしてあぜ道の脇で取っ組み合った。

「なにキレてんだよ。だいたいいっつも遊んでばっかのやつがちょっとやっただけでちゃんと点数とれるわけねーだろ。それでできなかったからって俺にいちゃもんつけんじゃねーよ!ばっかじゃねーの」

「うるさい!」

セトカはカンペイを道に突き飛ばすと河原とは逆方向に歩き始めた。

「おまえは勉強したってイミないんだよ!一生バカのままでいろ、バカ!」

カンペイはその背中に向かって吐き捨てた。


カンペイには兄がいて、いつも学校で習うよりも先のことまで勉強していたので、毎日野球をして遊んでいるわりに成績が良かった。六年制の学校で、四年生になるころから学校の授業がぐっと難しくなり、それが逆にカンペイの成績のよさを浮き彫りにしていた。セトカは唇をかんだ。顔を生暖かいものが伝っていく感覚はあったが、家にたどり着き、机に向かってノートを広げた時、そこにできたシミを見るまでそれが悔し涙だとは気づけなかった。

今までのカンペイは自分よりも能力がない人を前にしても決してそれをあざけるようなことはしなかった。

セトカはくしゃくしゃになった、今日返却された答案用紙を見た。知らないうちに差はこれほどまでに大きくなっていた。

「勉強ができなくていいことなんてひとつもないんだ」というシラヌイの言葉がよみがえった。カンペイは今まで勉強をしてきた。私はしてこなかった。生まれて初めて自分がバカなことを自覚した。そしてそれを変えたいと思った。

カンペイとの間にできた、彼に嘲笑を許すほどの距離。セトカはこれをなんとか埋めたいと思った。

セトカは今までの自分を悔いた。負けっぱなしじゃいられない。顔を上げる。

追いついてやる。

そして、――追い越してやる。


セトカの成績の上昇はすさまじいものだった。今まで全く勉強をしてこなかったために伸びしろが十分あったのは言うまでもないが、一年たらずして彼女は学校一の成績をとるようになった。ぱったりと野球に来ることがなくなったセトカを野球仲間たちは心配したが、それから半年もしないうちにセトカは町にひとつだけの学習塾に通うようになり、野球に誘われることもなくなった。


荒野を走っているような感覚だった。踏み出すたびに景色は流れ、スピードは上がっていく。気付けば、カンペイも、だれもかも追い越して、それでもセトカは止まらなかった。

どこまでも走っていけるような気がした。くやしさから踏み出した足は、いつのまにかそのくやしさなしにも動くようになっていた。走っていることが心地よかった。誰も追いつけやしない。


「中央にある学園の入学試験を受けてみないか」

教師に言われ、セトカは学園というものに特に興味もなかったが、強い勧めに背中を押され、入学テストを受けた。テストでセトカは速く走った。――そして、中央第九学園の入学資格を手に入れた。

セトカは六年連れ立った仲間たちとともに学校を卒業した。セトカが都会に進学すると聞いたクラスメイトはセトカに応援のセレモニーを開いて、別れを惜しんだ。リコボの町の若者は義務学校を出たら農家として本格的に家の手伝いをしたり、人力車を引く見習いに入ったり、隣町まで出て行って就職活動をするものが多い。セトカの両親は幸い、セトカが四年生の時にガラス温室をすべて売ってしまって農家を辞め、両親は食品出荷工場で働いていたので、セトカは家を継ぐ必要がなかったのである。

「おめでとう。冬まつりには帰ってきてね」

「すごいや。今のうちにサインもらっていい?」

歩く先々で話しかけてくるクラスメイトをさばき切り、やっと終わったときには夕暮れだった。教室に戻って、最後にアルバムと記念品、卒業証書を鞄に詰めて自分の席に座り、黒板をぼうと見つめた。いろいろな人に成績を褒められ、もてはやされても特にこれといった感慨はわいてこなかった。私はただ走っていただけだ。ふう、と息をついてセトカは椅子から立ち上がる。

「セトカ。待って」

教室を出ようとしたとき、声がして振り返るとカンペイが立っていた。

「……あのとき、バカっていってごめん。俺はきっと、あのままのおまえが好きだったんだ。――都会に行ってもがんばれよ」

足が止まった。

カンペイはそれだけ言うと、教室を出て行った。夕焼けが赤く染める、だれもいない教室にセトカは立ち尽くした。


「そうかあ、ちゅうおうだいきゅうがくえん、かあ。そりゃすげえなあ」

「セトカはこの町のほこりとならぁな。ほれ、どんどん、食べ。おまえのための宴会なんだから」

セトカは父とともに父の同僚が主催の宴会にいた。酒が入っていい気分になってきたおじさまたちを見ていると、酒を飲む口実として呼ばれたということがひしひしと実感できて、セトカは居心地悪く感じた。

「ヒユウガももうちょっと鼻高くしてもいいと思うぞ。ほれ、進んでないじゃないか、飲んだ、飲んだ」

隣に座るセトカの父、ヒユウガは差し出された酒瓶を受け取ると、無表情のままぐいとらっぱ飲みした。

「がくえんに行った子供はこの町じゃ初めてだそうだよ。ジャバラさんのお宅の息子さんも、何年か前にチャレンジしたそうだがだめだったみたいでねえ」

ジャバラというのはカンペイとシラヌイの父である。後から聞いた話だが、シラヌイが学園を目指したので、地下でお金を稼いでいかせようとしたが、失敗してしまい、家計は火の車になったそうだ。カンペイはそのため、学校卒業後は家を継ぐことを余儀なくされたらしい。

「ま、しょーじき俺もセトカちゃんが心配だったんだが、とにかくよかったなあ。トンビがタカを生んだとはこういうことをいうんだろうなあ」

そこでおじさまは隣のおじさまにひじで小突かれる。

「ああ、ヒユウガ、失敬失敬。ああ、そうだ、セトカちゃん。ちょっと気になってたんだが、学園なんかに行って、将来は一体、なんになるんだい?」

おじさんはセトカに向かって聞いた。

「え……、将来、ですか」

「あー、それ、俺もきになるなあ。中央で仕事したりするのかい?あ、勉強できると、なんか、お役所のお仕事をさせてもらえるんだっけ」

「しょ、しょうらいは、えっと、――す、数学大臣になろうかなって」

セトカはしどろもどろ言った。

「ええ!数学大臣!おい、おまえら聞いたか。セトカちゃん、お大臣になるってよ。こりゃあすげえや」

「へえ、すごい。なにしてるんだかわかんない仕事だけど、頑張ってくれや。おまえならなれる!俺が保証する。なんたってセトカちゃんは、この町の希望だからな」

「は、はは……」

セトカは頭を掻いた。父は何も言わずにただ黙って、表情も変えずにセトカの横で酒を飲んでいた。


「お前は、やりたいことをやればいい」

帰り道、真っ暗なあぜ道の途中で父が言った。

「うん」

セトカは足を止めたが、父はそのままスピードを落とすことなく先へ歩いて行った。

セトカはしばらく、なにもない道の真ん中で突っ立っていた。


カシャッ。

シャッターを切った音にセトカは弁当を食べる手を止めて、顔を上げた。

「……なにか?」

目の前にはカメラを構えた少女が立っていた。少女は片手をあげてにっと笑った。

「こんにちは。私はツガル。君の写真を撮らせてよ」

楽園は初夏に差し掛かっていた。セトカは入学最初の試験からすでに頭角を現し、すぐれたペンの扱いのセンスから同級生から一目置かれていた。片田舎出身ということもあり、都会の生活に慣れた同級生とうまくなじめず、頭一つ出た実力もあいまって敬遠されており、セトカには友人がいまだにいなかった。一人、顔を合わせれば挨拶をするという程度のヒトはいたが、彼はセトカとは逆の意味で目立っている生徒だった。特に仲もよくなかった。セトカは昼食はいつも一人で中庭で弁当を広げていた。

「どうして私の写真を?」

「んー、かっこよかった。それだけじゃだめかい?」

ツガルはセトカの横に腰を下ろした。

「別にいいですけど……」


荒野の中で漠然とペンを振った。技は磨かれていくのに、足はもう、一歩も動くことはなかった。

ツガルは友達であったが、荒野に現れることはなく、先を走ることも、後から声をかけることも、ましてや隣に現れることはなかった。

「すごいぞ。このぶんじゃ、ストレートで大臣の試験に受かれそうだな」

先生が言う。私は、――私は。何になりたかったんだっけ?

乾いた荒野が広がっている。

「私、学園をやめようと思う」

「学園をやめる?なにいってるんだ?大臣はもういいのか?」

弁当を食べながらつぶやくとツガルが顔を上げて言った。風が冷たくなり、冬が近づいてきていた。中庭はずいぶんと冷えていたが、二人はそこに集まって弁当を食べていた。どちらも待ち合わせたわけでもないのにそこに行けば必ず会えた。

「うん。もういい。――たぶん、最初から、そんなになりたいわけじゃなかったのかもしれないって気付いた」

「大臣になりたくなかったのにチャレンジャーコース2に入ったのか?始めてみたらやっぱりあわなかったとか?」

セトカは小さく首を振る。

「……セトカが決めたんならいいさ。やめた後はどうするんだ?田舎に帰るのか?」

セトカはうつむく。

「わからない。でもきっと帰らないと思う」

「いつやめるんだ?」

「まだ決めてない。でも、卒業までここにはいられないと思う」

ツガルはセトカの様子をうかがったが、無表情からは何も読み取れなかった。しかし、その握りしめたこぶしからは決意が読み取れた。

「じゃあ、こうしよう。お願いだ。私は君の戦いが好きなんだ。でもまだこのレンズに、これだ、と思うようなベストショットを納めていない。一枚でいい。ベストショットが撮れるまでは学園に残ってくれないか」

「……いいよ」


冬が終わり、また春が来る。

セトカは、私だ。

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