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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
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2 トイロソーヴ

頭が痛い。耳鳴りがする。伊尾鈴也は目を覚ました。暗い部屋だった。

「……?」

身を起こそうとして拘束具に阻まれる。どうやらベッド、いや、手術台に厳重に縛り付けられているようだった。

「目が覚めたか」

首だけを回して声の方向を見る。中学生くらいの見た目の少女が白衣を着てそこに立っていた。白い髪、赤い瞳、頬から顎にかけて奇妙な痣。当然見覚えはない。

「だれだ?」

やっと出した声は自分でも驚くほど掠れていた。長いこと発声していなかったかのようだ。

「まだ動くな。私はコピー。この楽園の生命係だ」

「楽園……?僕は死んだのか」

頭にモヤがかかったようで自分の最期は何も思い出せなかった。

「お前は時間移動を成功させた。残念だがここは死後の世界ではなく、西暦3142年。千年後の世界にようこそ」

記憶が輪郭を結び始める。

伊尾は科学者であった。世界初のタイムマシンを完成させ、乗り込んだ。それが2124年。――2114年の夏に戻るために。

「千年……?僕は十年前に……」

「何事も失敗がつきものだ。運が悪かったな。どんな計算ミスがあったのかは知らないが、お前の処理命令が出ている。気の毒だがここで死んでもらう」

伊尾の返事を待たずにコピーはその腹にはさみを突き刺した。うめき声が漏れる。コピーの顔には恍惚とした笑みさえ浮かんでいるようだった。


エンシェ。男性。臓器のくたびれ具合からおそらく二十から三十代。さっきの様子を見るに言葉は通じるし、割とまともな思考もできそうである。コピーは丁寧に内蔵を見ながら、しばらくぶりの()()の身体に懐かしさすら感じる。さて、こいつに聞きたいことは山ほどある。もちろん、現王にしっかりとバラして処分するように言われているがそんな口約束は毛頭守るつもりは無い。

「Bb9、ホルマリン、しっかり用意しておけよ」

朝は早いが、カーテンを締め切った部屋の闇の中で二つの光る目が頷くように瞬いた。


日も高くなり、塔の上からは一面に広がる屋根瓦がきらきらと光を反射するのが見える。日本風の街並みの中、その真ん中にある城から数キロメートル東に佇む西洋風の真っ黒な塔。ここがコピーの仕事場兼自宅の、通称『黒の塔』である。

「ええっ!、え、き、気持ち悪!」

黒の塔の最上階に悲鳴が響き渡った。

「騒ぐなよ。こっちは眠い中仕事してんだよ。キンキン声が響く。……やはり殺しとくべきだったか?」

伊尾は鏡を前にして驚愕していた。

鏡に映るのは生まれついた彼の身体とは似ても似つかなかった。頭が体と同じくらいの大きさで、直径はバランスボールほどある。つまり二頭身だ。髪は黒、手足は短く、大きな青の瞳がきょときょとと宙をさまよった。右手を上げれば鏡の中の二頭身も同じ方の手を上げる。ゲームの中のアバターのようだ。コピーの身長の三分の二程で顔を見るにも見上げる必要がある。

「夢……?」

と呟く声もやたら高い。二十七歳成人男性の声とは程遠かった。

「すまんがこれが現実だ」

コピーは机の上の湯呑みをとってひと口啜る。

「あ゛っぢいいい!!」

吹き出す緑茶を避けようとして手足を動かすがどうも以前とは勝手が違い、バランスを崩す。

「おっと、危ないですよ」

と、後ろから声がして伊尾の体はふわりと持ち上げられた。首を捻って後ろを見ることは出来なかったので眼前の鏡を見る。

そこに映るのは腕が何本もあり、チューブやコードがやたらと目立つグロテスクな見た目のロボットだった。

「なっ?!」

伊尾は泡を食ってもがくがその手から抜ける事は出来なかった。

「大丈夫、そいつは私の小間使いロボットのBb9だ」

「お見知り置きを」

Bb9は伊尾を掴んだまま恭しくお辞儀をした。腕は六本ある。足と合わせれば八本の四肢で、それぞれが自由にうごめく姿はまるで蜘蛛のようだ。Bb9はハンカチをどこからか取り出すと伊尾にかかった茶を拭いた。

「ご主人様、少々お行儀が悪いかと」

「熱いのが悪い」

コピーは悪びれもせず言い放ち、机の上のメモに鉛筆で何やら書きつける。

「さて、そろそろそいつのバイタルも安定してきたかな。尋問室に連れて行け」

「かしこまりました」

Bb9は伊尾をぽいっと放り出すとコピーを抱き上げた。

「こちらにどうぞいらして下さい。ええと、」

「伊尾です」

「イオ様」

あ、連れてくのは僕じゃないんだね。

伊尾はバランスの取りづらい新たな体でちょこちょことBb9の後を追った。


広い食堂だった。中世のヨーロッパの城を彷彿とさせるデザインで細長い机の両脇に椅子が整然と並べられている。両側の壁には鹿の剥製……ではなく、いくつもの骸骨が額に入って虚ろな目でこちらを見ていた。たしかハンティングトロフィーとか言ったか。入口の両サイドには鎧……ではなく、悪趣味な人体模型が据えられていた。天井には質素なシャンデリアが埃を被っていた。不気味な雰囲気に思わず鳥肌が立つ。ひどい夢を見ていると信じたかった。しかし、一方で、これは現実だ、と新たにもらった脳細胞が伊尾にそう思わせていた。

コピーはBb9の腕をするりと抜けるとテーブルの端、お誕生日席に腰を下ろす。

「三千何百年代と聞いたような気がしたんですが。またこういうのが流行っているんですか」

伊尾はコピーと反対側の席に着く。ひそひそと椅子に座らせてくれるBb9に聞いた。

「これはこの塔の創立者の趣味です」

「趣味悪!」

「なんか言ったか」

コピーの赤い目がこちらを捉える。伊尾は肩をすくめてみせる。

「朝食をご用意致します」

どうやら今は朝に当たるらしい。Bb9が退出し、二人になった。

「僕の体は何処ですか」

「まだ使える状態にある」

答えになっていない。骸骨が不気味にこちらを眺める。

「私がお前を尋問しに来たんだ。私の質問に答えろ。名前は?」

「……伊尾鈴也」

「スズヤか。生年月日は」

「2097年7月30日。今27歳」

「タイムマシンを何時に飛ばそうとした?」

「2114年8月10日」

「ふむ」

コピーは頬杖をついた。

「何故僕を生かした?」

「久しぶりのエンシェの身体を調べたかったからだ。まだ質問するな。私がまだ尋問している」

「エンシェって僕の時代の人間の事か?千年経ったら人類は皆こんな奇妙な二頭身になってしまうのか?」

「黙れ」

コピーは机を拳で叩いた。睨み合う。

Bb9が入ってきた。

「豆腐とワカメの味噌汁、塩鮭、白米、野沢菜です」

温かい味噌汁に少し心が落ち着く。Bb9はロボットのくせになかなか料理が上手いようである。千年後も『いわゆる朝食』の味が変わらずあることに何処か安堵する。二人は一時睨み合うのを止め、朝食に箸をつける。一呼吸し、イオは口を開いた。

「文化が渋滞してる!!」


「時間移動は禁忌だ。お前は十年過去に行きたかったと言ったな。愚かな事だ」

Bb9に鮭の骨を抜かせ、食べさせて貰いながらコピーは言った。

「僕の時代、あー、今からだと千年前になるのか。その時代に出来うる最大の技術で計算したところ、不可能ではないと出た。それでやってみた訳だ。無論、失敗だったけれど」

イオは野沢菜を口に入れる。なにか今までの野沢菜とは違和感を感じたが、体自体変わってしまっている今、口の中の感覚も味覚も変わってしまっているため、野沢菜が千年前からどんな変貌を遂げたのか正確に把握する事は出来なかった。

「なんで時間移動が禁忌だと思う?失敗したときのことをやる前に考えなかったのか。過去へ行くのは不可能だ。移動出来るとしたら未来しかない。過去にもし行けると仮定する。すると今現在ここには着々と未来人が到着していないとおかしい。歴史的に見てもこれだけ安定したコミュニティが形成されている時代は少ない。また、私は今まで未来人に会ったことがない。よって、タイムマシンは過去には行けない」

「すれ違った人間全部が未来人じゃないとどうして言える?歴史全部を見て全員にインタビューでもしたのか?未来人を否定してもいいが、そんな論理は証明になってない」

イオは言い返した。

「確かに私は歴史全部の人間に聞いた訳じゃない。紀元の後の人間から数えるとだいたい三分の一だ」

「何を言っている?」

「私は九百年以上生きている」

「はっ、はははははは!」

笑うイオをコピーの赤い瞳は冷淡に眺めた。

「いい加減にしろ。千年くらいで人間の寿命が十倍以上になるものか」

中学生くらいの少女に九百歳と言われても信じられるわけが無い。その一言は今までの話の信憑性を下げた。しかしコピーは涼しい顔で続けた。

「受け入れろ。エンシェの硬い頭では難しいかもしれないが真実は真実だ。今が3142年であることも、時間移動が出来ないのも、私が九百年生きた事も、お前が今トイロソーヴに同調していることも。……あとお前の頬っぺたに派手なワカメが付いてることも」

コピーは淡々と告げる。

「……」

ワカメを頬から剥がし、自分の手を見下ろす。やはり小さい。

「トイロソーヴ」

「その姿の新たな新人類の事だ。九百年と少し前、古人類――エンシェは大事件を起こした。それでそれより未来に生まれた人間は全てその業を負って新人類――トイロソーヴになった」

「大事件?」

「そうだ。そのせいでエンシェが保存都市、つまりここ――楽園、と人は呼ぶが、楽園に流入するのを防ぐ為に時間移動は禁忌となった」

「僕らが子孫に恨まれるような事をしでかした、と」

「それはもう。とにかく、エンシェの姿を恨む連中もいる。それで私がお前の精神をトイロソーヴの体と同調させて、新たな肉体を与えたんだ」

コピーは味噌汁を啜った。

「この体はあなたのとは違うようだけど、僕も千年生きるのか?」

「いや、それは無理だ。私の体には特殊な生命維持臓器があるから生きられる。お前の寿命は長くともあと六十年といったところか」

「僕の乗ってきたタイムマシンはどこにある?」

「大破してもう使えるものは無さそうだったが」

コピーは心底呆れたといった風に言った。

「まさか過去に帰りたいなんて言うんじゃないだろうな」

「そのまさかだ。これでも僕は時間の研究者としてプロだ。助けてくれた事は感謝している。だが、ここでは僕は歓迎されないようだし、千年過去に帰らせてもらう」

「馬鹿じゃないのか?話聞いてなかったのか?」

「いや、帰る!」

イオは勢いよく立ち上がった。と思ったら大きな頭を下にして派手に転んだ。重心バランスにまだ慣れない。

「帰る帰る!!」

床に転がって手足をばたつかせながら甲高い声で叫ぶ様子はまさに子供そのものであった。

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