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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第一章
19/172

19 セトカ

「……試験監督から連絡がありました。昨日、あなたたちがしたのはカンニング行為すれすれです。今ごろゼムのほうも担当の教員から注意を受けている頃でしょう」

「はい。すみませんでした」

ランタンの研究室でイオは正座していた。

「本来であれば、カンニング行為は試験の資格を失い、すべての試験結果が無効となるところですが、今回記録されている、問題の言葉というのは、幸いにも『ヤルキをこめろ』と『ペンを投げろ』というものでしたので、それはやじや応援と区別することが非常に困難であり、かつ、その場所には大勢の目撃者がいて、その中ではだれもカンニングの申し立てを行わなかったので、審議の結果、カンニングはなかったということで処理されました」

「それは、……よかったです」

「はい。しかし、カンニングというものは本来厳正に処罰されるべきものであるので、あなたはしばらく自主謹慎を行ってもらいます」

「自主……」

「なにか?」

ランタンは無表情のままイオに視線を投げる。

「いえ。自主謹慎します」

「よろしい」

少しランタンの表情が柔らかくなったように見えた。

「ここからは、私個人の言葉として聞いてほしいのですが、昨日はありがとうございました。ゼムも、なにかふっきれたような顔をしていて安心しました」

ランタンの文机の上にはまだゼムのペンについていたゆがんだ部品が残っていた。

「さて、あなたは今日も試験が残っていましたよね。時間に遅れないようにしなさい。以上です」

「はい、失礼します」


イオの今回の試験の最後の科目、数学はなんとかつつがなく終わった。外に出ようとしてイオはこの試験期間中にまだ一度も他の生徒の試験の様子を見学していないことに気付いたので、なんとなく大きめな会場をえらんで観客席に座った。

あと5分ほどで試験が始まるようだ。受験者の情報や、残り時間は大きなスクリーンに表示されていて、観客だけが見ることができるようになっていた。スクリーンの向かい側には写映機がカタカタと動いて映像を映し出していた。2年、名前はモルゲン、科目は数学、大問は3つで制限時間は70分、回答方法はペンでの記入のみ、という情報が表示されていた。

やがて始まりのアナウンスが流れ、受験者が入場してくる。見覚えのある顔だった。たしか、ネオというゼムにからんできたやつの友達だ。黒の髪で、瞳は深い青紫だ。

『……始め!』

合図とともに、モルゲンは一の扉の風鈴を鳴らし、すぐに扉からステップで距離をとる。イオはスクリーンの画面が変わって、問題文が表示されたのを読んだ。その瞬間におぼろげながら問いの全体像が見え、モルゲンの前の獣が見えた。

モルゲンはペンを大きな戦斧に変形させ、流れるようなステップで獣に近づいてその脳天を勝ち割った。

上手い。問いが出てきてからの把握までの時間が短く、獣に攻撃の隙を与えない。問いのサイズや特性を見抜いたうえでの武器のチョイスまで行っているとしたら、ものすごい脳内処理の速さだ。イオは思わず舌を巻いた。これが二年生の実力か。

モルゲンはひるんだ問いの懐に飛び込んでペンを短剣に変形させ、素早く結び目をほどいた。

続いて、二の扉の風鈴を鳴らす。モルゲンは再びペンを戦斧に変えたが、今回は頭を勝ち割ることはせず、足を狙って何度も近づいて攻撃しては離脱を繰り返した。問いごとに戦略を変えているのだ。

やがてモルゲンは二つ目の問いも倒した。残り時間は30分だ。

三つ目の問いにはモルゲンも苦戦しているように見えた。イオはスクリーンに表示されている問題文を読んだが、一度読んだだけでは問いの意味を理解することはできず、問いの姿は煙の塊のようにしか見えなかった。モルゲンは武器を大鎌に持ち替え、すばしっこく攻撃してくる問いに果敢に攻撃を放っていた。

残り10分というところでモルゲンは三つ目の問いも見事に倒した。モルゲンはもう一度一の扉の風鈴をならし、開いた扉の奥を確かめている。続いて、二、三の扉も同様に中を確かめた。

見直しをしているのだ。時間になるまで何度も扉を開けたり閉めたりしてモルゲンは確認していた。

試験時間が終わり、観客も退場した。イオはかなり勉強になったような手ごたえを感じたので、他の試験も見学することにした。

「ええと、ここは乾のエリアだけど、別のエリアにも行ってみようかな……」

イオはとりあえず近くにあった坤のエリアに入ってみた。坤のエリアの試験会場は、試験場にいくつもの人工的な障害物が設置されていた。場内に人工的な川が流れていたり、そもそもすべてが池のようになっていて、ボートの上で戦わなければならない会場や、石造りの灯篭が森のように林立した視界の悪い会場、方眼紙の上に放り出されたかのような錯覚を受ける、地面に縦横の整然とした線が引いてある会場もあった。

いずれはこんなところで戦わなくてはならない時が来るのかもしれないな、とイオは思い、気がひきしまるように感じた。


「君、セトカの試験を見に来たのなら会場はここじゃなくて、この隣だよ」

後ろから声を掛けられてイオが振り返ると、上級生らしい女子生徒が扉に寄りかかっていた。

「セトカ……さん」

「いっしょに見るかい?」

特にその人の試験を見に来る予定ではなかったが、イオが今いる会場では次の時間に試験は行われないようなので、イオはその女子生徒について隣の会場に移動することにした。その会場は地面に縦横の整然とした線が引いてある、ガウス平面上、というかのような設定だった。スクリーンに映し出された受験者情報を見てイオは驚く。一か月前、リコボの宿で見たことのある少女だった。長く、金色の髪を後ろで一つにくくり、目は浅葱色だ。

「よし、こんなもんでいいかな」

隣を見ると、イオといっしょにこの会場に入った女子生徒が三脚を立てて大きなカメラをセットしていた。よく見るとフィルムが感光するタイプのものだ。

「あ、君、ちょっとそこおさえててもらってもいいかな」

イオは三脚にカメラをセットするのを手伝う。この人はどうやら最初からアシスタントを探していたようだ。

「試合の写真は撮ってもいいんですか?」

イオが尋ねると、女子生徒は肩をすくめた。赤茶色のショートカットが揺れた。

「普通はだめだけど、知ったこっちゃないね。この回はこの科目の最後の受験者だし、だめだったとしても、もう彼女には関係ないんだ。私はいちカメラマンとして、親友の最後の試験を残しておきたいのさ。――ああ、自己紹介が遅れたね。私はサーヴァントコース2の二年のツガルだ。写真は趣味だよ」

「チャレンジャーコース1、一年のイオです」

イオはひょいと差し出された手を握手した。

「最後っていったいどういうことなんですか?」

「あー、まあ簡単にいうと彼女は学園をやめるんだ。私は止めたけど、もう決心したみたいで、私がセトカのベストショットをとることができたら、それで終わりにするんだってさ」

「セトカさんは、チャレンジャーコース2、数学大臣を目指していたんですね」

イオはスクリーンの情報から言った。

「そうだよ。彼女はとても上手いんだ。ていうか、私が彼女の戦い方が好きなんだ。なんていうか、しんとして、で、ズバッ!!で、また、しんとする。とにかく、かっこいいんだよ」

「ぜんぜん伝わってこなかったですが……」

「ええ?まあ、見ればわかるよ。すごいから。惚れるよ」

「そうですか」

開始5分前になり、会場にアナウンスが流れ始める。ツガルが会場を眺める横顔がとても切なく見えた。

「ベストショット、とるのはまた今度にしませんか。そんなにやめてほしくないなら手振れでもすればいいじゃないですか」

イオは思わず言った。ツガルは目を見開いてイオを見たが、ふっと笑った。

「わかってないな。私はこれでもカメラマンだ。いい写真をわざと悪くするなんてできないよ」

「……すみません」

チャイムが鳴って会場にセトカが出てきた。用意されている扉は一つだけ。セトカはまっすぐにその扉の前に歩み出ると、一気に風鈴を鳴らした。大きな問いが飛び出してくる。イオはスクリーンに映し出された問題文を見る。数学の難問だ。大きな角があり、ケルベロスのように頭が三つついた馬が、セトカの前で鼻息を荒げて彼女をにらみつけている。ツガルは息を殺して一心にファインダーをのぞきこんでいる。セトカはペンを日本刀に変えて正面に構えて、その獣と対峙する。張り詰めた緊張感は観客席にも伝播し、会場から音が消えたかのような錯覚に陥る。

彼女のまわりの空気が一瞬揺らぐ。ひと瞬きのうちに向かい合っていた両者は背中合わせになっていた。セトカは刀をペンに戻す。会場に音が戻る。感嘆のため息が出て、そこで初めてイオは、獣が一瞬のうちに真っ二つにぶった切られたことに気が付いたのであった。


イオは全速力で走っていた。

「セトカさん!」

イオが叫ぶと、学園の事務室の前で、まさにノックしようとしていたセトカが振り返った。

「どちらさま……?」

「あ、あの、ぜぇ、ぜぇ、ぼ、僕は、はぁ、はぁ、うっ!げほっ、つ、つばが、気管、おええ」

イオは必死で言葉を続けようとするが、過呼吸でその場にへたり込み、ピクピクと痙攣した。

死にそうな様子のイオを完全に変質者を見る目で見降ろすセトカ。

「げはっ、ふぅ、ふぅ、なんとか、落ち着いてきたぞ……」

「私になにか?」

イオはばっと顔を上げて言った。

「セトカさん。学園やめるのを、やめてください!」

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