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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
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57 あの日の議論

「さて、ウノ。あの日の議論をもう一度やろうよ」

Bb9が椅子を二脚出してきて、コピーとウノはそこに腰掛ける。ウノは自分の手のひらを眺めて、握ったり開いたりしていた。少し、透けているようにも見えた。

黒の塔がぐらりと揺れて、二人は倒れそうになるが、Bb9が支えた。黒の塔は、楽園の中でもひときわ高い塔なため、木によって雨をしのぐことができずに雨を浴び、脆くなっていた。

コピーは窓の外をちらりと見る。雨が止んでいた。ウノの身体が実体を失い、透けてきているのは、ホープが雨を降らせるのを止めたからだろうかとコピーは考える。

「あの日の議論?」

「うん。『やさしさとは何か』。あの日、ウノは何も言えなかった私を打ち負かしたね。私は千年考えた。私なりの答えを聞いてくれるかい」

塔がまたぐらつき、本棚が倒れる。屋根が崩れて穴が空く。

「聞かせて」

コピーは一つ微笑んで話し出す。

「最後の課題提出の日、ヒトヒは私に言ったんだ。あなたはやさしいから、他の人につらい仕事をさせることができないはず。私はそれで、ウノから仕事を奪った。……でも本当はさ、ただ怖かっただけなんだ。自分以外がつらい思いをするのが嫌で、自分のせいでそうなってしまうのが怖くて、だからつらい思いを自分ですればその怖さから逃げられると思っただけだ。ここから私が思うのは、臆病はやさしさじゃない。ウノはそれを見抜いていたんだよね。臆病な私に仕事を任せたくなかった気持ちも、ちゃんとわかるよ」

ウノは何も言わず、コピーの言葉を待つ。

「じゃあ、やさしさって何だろう。やさしくなくちゃこの仕事は務まらないとヒトヒは言った。ヒトを笑顔にできること?新たな命を創ること?名前を呼ぶこと?他人を愛せること?私は千年間、これがやさしいってことなのかな、と思うことを続けてきた。いろんなヒトに出会った。いろんなヒトとの別れを経験した。いろんな人生を見た。でも、ごめん。千年時間をもらったけど、やさしさが何か、なんて定義できないよ。だけど、気付けるようになった。たぶん、これがやさしさなんだってことに」

「誰の中のやさしさに気付けたの?」

コピーはまっすぐ前を指さした。ウノは自分の方にさされた指先を見る。

「ウノはやさしいよ。私よりずっと。やさしくなくちゃ、私よりも前に心臓をもらい、殺され、そしてまた会いに来てなんてくれないでしょ」

「気づいてたの?」

「この千年生きてなくちゃ気付かなかったよ」

ウノは少し笑った。

「何も反論することない。初めて、コピーに論破されちゃったね」


ウノは最後の課題の提出日の一週間前にヒトヒに呼ばれた。ヒトヒはウノに重大な役目を頼みたいと言った。

「コピーはやさしいけれど、臆病なところがある。コピーに覚悟を持たせてほしいの。あなたにしかそれはできない」

ウノは頷いた。ウノが作ったマシンを見て、ヒトヒはそう判断したのだとウノにはわかっていた。

「命を創るんだよ。その人が人を殺したことがなければ、命の重さなんかわからない」

ヒトヒは娘を使って娘の最後の教育を施そうとしたのだった。そして、少し泣きながら続けた。

「愛する娘が永遠に死ねないのは、それは愛じゃないよ」

「いいよ。引き受ける。私もコピーにしかできないと思う」


「千年、よく頑張ったね」

ウノは立ち上がってコピーを抱きしめる。そして、身体を離すと、少しふざけた調子でコピーの肩を小突いた。

「でも、これだけ生きておきながら、まだ生きたいと思ってるだなんて相当狂ってるね」

コピーは笑う。

「この家族は狂った人間が多いんだ」

ウノの身体はもう、かなり透けて、向こう側の景色が見えていた。

「私、そろそろいくね。馬鹿で頑固な妹に振り回された人生だったけど、最後に話ができてなかなか楽しかった」

「私もウノのおかげで人生が楽しいって思えた。ありがとう」

コピーはウノを抱きしめる。コピーの腕の中でウノが徐々になくなっていき、最後には跡形もなく消えた。


「さて、この塔ももう長くないな」

また天井が崩れ、コピーに当たりそうになったところをBb9が守る。

コピーは窓の外を見下ろす。眼下には桜の森が広がっている。葉は落ちて、枝だけになっているが、遠くから見ていると、なんだか濃いピンク色に見える。桜の枝がピンクがかっているということをコピーは初めて知った。雲は消えかけて、明るい光が雲間から差し込んでいる。

「なあBb9、乾杯しないか」

「乾杯?コピー様はお酒が苦手ですので、この塔に乾杯ができるようなグッズはございませんが」

「大掃除した時になんかなかったか?古い、透明なガラスの徳利」

「ああ、そういえばあったような気も致します」

「酒は……まあ、酒じゃなくてもいい。その辺のトマトジュースでも準備してくれよ」

「かしこまりました」

コピーは再び窓の外に目をやり、息を呑んだ。一面、見渡す限りの満開の桜がそこにあった。

「Bb9!」

コピーはBb9を呼ぶ。

「はい、コピー様」

Bb9はトマトジュースを入れた徳利を二つ持って窓辺にやってくる。

「見てくれよ、これが桜だ。ヒトヒが言ったとおりだ。桜はすべてを解決する」

コピーはBb9から徳利を受け取る。

「ああ、これからの世界を見てみたかった。まだ、生きたいなぁ」

また塔が揺れ、大きく傾く。ふわりと風に乗って、花の匂いがする。コピーは徳利を高く持ち上げた。

「今日の死を誇ろう、Bb9。私たちも風に潔く身を任せようじゃないか」

「はい、コピー様。どこまでもお供いたします」

Bb9は丁寧に礼をし、二人の徳利は澄んだ音を立てた。


塔が下の方から崩壊し、最後は城のあった場所に立つ、ひときわ大きな桜の木に倒れ込むようにして崩れ去った。

ぱしゃっ、と小さく音がして、桜色に溶けた水がひと塊、桜の根本に染み込んでいった。

後には壊れたロボットと、白衣だけが塔のがれきの下に残っていた。

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