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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
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49 コピーの過去

少女は産声とともに透明な液体の中から誕生した。

「こんにちは、コピー。この世界にようこそ」

一日は完全に自分の容姿を受け継いだ赤ん坊を、実験室の中で取り上げた。赤ん坊の左の頬にはさそり座のようなあざが最初からついている。一日は数時間前に別の二人の赤ん坊も取り上げたばかりだった。三人の赤ん坊を識別するためのあざで、長女のウノにはオリオン座、次女のツーにはカシオペヤ座、末娘のコピーにはさそり座のあざがつけられていた。

一日はコピーを保育器に入れた。


「コピー遅いー。何やってんの?」

4歳のウノはコピーから自由帳を取り上げる。自由帳には、高校レベルの数学の式が書きつらねられていた。

「ここをこうすればいいだけじゃん。早くしないと夕ご飯遅れるんだけど」

コピーは唇をへの字に曲げて、ウノから自由帳を奪い返した。そしてまた計算を始める。

「ああー!もう!ツー、私たちはもう行くよ!」

とっくに計算練習を終えた二人は部屋から出て行った。三人の姉妹は生まれた瞬間から巨大な研究施設のビルの中で暮らしていて、一度もそこから外に出ることはなかった。母、ヒトヒによる教育が毎日行われ、勉強をし、本を読み、映像を見て育った。

しばらくコピーが数学の問題相手に頭を悩ませていると、ヒトヒが入って来る。

「コピー、ご飯はいらないの?」

コピーは正直言うといらなかった。食事ほど面倒なものはない。それよりも目の前の問題を解いていたかった。点滴とかで栄養補給できないだろうかとコピーは近頃は本気で考えていた。

「……」

何も言わずにちらちらと自由帳の方に視線を向けて、シャーペンを握った手をもじもじさせているコピーを見て一日は少し微笑んだ。

「解きたいのはわかるけど、食事の時間は大切にしなさい。食事はただの生命維持のための栄養補給の時間ってわけじゃないんだよ。積み重ねが、あなたを支える力になる」

「どんな力?」

コピーが聞くと、ヒトヒはコピーの頭を撫でた。

「生きる力」

コピーは唇をまたへの字に曲げたが、ヒトヒの白衣のすそを掴んだ。ヒトヒは立ち上がり、コピーを連れて食堂に向かった。

食堂は、中世のヨーロッパの城を彷彿とさせるデザインで細長い机の両脇に椅子が整然と並べられている。両側の壁には鹿の剥製……ではなく、いくつもの骸骨が額に入って虚ろな目でこちらを見ていた。ハンティングトロフィーという名前らしいということをコピーは最近知った。入口の両サイドには鎧……ではなく、悪趣味な人体模型が据えられていた。天井には質素なシャンデリアがぶら下がっていた。

二人の姉はもう席についていただきますを待っていた。三人の娘とヒトヒの間ではルールがあった。それは、必ず食事は全員で取ること。おやつは全員が合意できる方法で分けること。食事中は会話をすること。

コピーとヒトヒが席に着く。一日は食事の時間を大切に思ってはいたが、料理の時間や、食事の内容に関して無関心だったため、食卓に並ぶのは決まって冷凍食品かデリバリー、ひどい時にはカップラーメンということさえあった。今日はデリバリーの冷凍食品の焼肉弁当だった。

「ねえ明日、皆に会ってもらいたい人がいるから引っ越そうと思うんだ」

ヒトヒは言った。

「お母さん、それは誰?」

ウノが聞く。

「君たちのお父さん」

「変なの。私たち、クローンなのにお父さんなんか存在するわけないよ」

ツーが声を上げる。

「お父さんの意味、辞書で読んだことないわけ?血縁関係だけが父子のつながりじゃないんだよ。お母さんが結婚してる人なら立場的にお父さんになるのは妥当でしょ」

ウノはツーにやや得意げに言った。

「そう。私と結婚してる人だよ。これから私たち家族は同じ家で暮らすの」


住む場所がビルの研究施設のワンフロアではなく、一軒の家になったところで、三姉妹の生活はさほど変わらなかった。夜になるとアマハラという父親が帰って来るだけで、その他はずっと家の中で勉強しているか、姉妹で討論をさせられているかのどちらかだった。

三人が10歳になるころ、ヒトヒはよく、三人にテーマを投げかけ、数日後に討論ができるようにしてきなさいと言った。テーマは、『常識とは何か』『嘘は悪いことなのか』『やさしさとは何なのか』『不老不死の良い点悪い点』などと、答えのないものばかりだった。今まで答えのある勉強をしてきたコピーは戸惑った。討論の日まで必死に答えを探したが、結局わからずに何も言えず、口と頭がよく回り、説得の上手い姉たちに論破ばかりされていた。

「コピーは答えを探そうとしすぎなんだよ。討論で大事なのは相手を納得させて論破することでしょ。本質じゃなくて、論理を見るの。相手の言ったことの本質について指摘しようとすると大変だけど、相手の言ったことの論理的つながりへの穴を突くことはできるでしょ。要はワーランティなんだよ」

ある日、『やさしさとは何か』という議論で、何も言えなかったコピーを打ち負かした後でウノがそう言った。

「そうかもしれない」

コピーは小さく言った。ウノはぽんとコピーの肩を叩くと部屋を出て行った。出来の悪い妹を気に掛ける姉に対し、コピーは申し訳なさと情けなさで下を向いた。

「でも、私は本質の方を知りたい」

コピーは独り残された討論の部屋で厚い本を抱えながらつぶやいた。


コピーたちが12歳になったとき、ヒトヒは三人に課題を出した。

「これからきっかり3年時間をあげる。もしも自分が永遠の命を持っていたとしたら必要になりそうなものを完成させて持ってきて。3年間で完成できなかったら設計図とできたところまでを提出すること」

「これは何かの試験なの?」

ツーが聞いた。

「そうだね。ある意味、最終試験。私も、お父さんもあなたたちのそばにずっといられるわけじゃない。だから、私たちがいなくなった世界でも、絶望せずに生きていけるってことをこの試験で証明してほしい」

「お母さんは死ぬの?」

コピーが聞いた。

「将来は必ず。私はそれをわかっているからあなたたちに自分の知識や教えられることのすべてを教えてきた。あなたたちは本当によくやってくれた。もう私の能力を超えているはず。あとは一つまみの仕上げだけ」

ヒトヒは三人を順番に抱きしめて頭を撫でた。


「お母さんの出した課題、今回のは明らかに何か明確なねらいがあるよね」

三人の姉妹は討論の部屋に集まっていた。すり鉢状の部屋で、三つの討論台が中央を向いて設置されている。三人はそれぞれ思い思いの椅子に腰かけて話し合っていた。

「永遠の命を得たとしたら、って仮定が引っかかるね。お母さんの研究にも関係あるのかも」

ウノが手元のタブレットを操作しながら言った。部屋の天井からスクリーンが下りてきてカプセルのロゴが映し出される。

「お母さんは自分の研究について私たちにあまり話してくれない。私たちが生まれたのもこのカプセルの研究施設だよね。私たちの存在そのものがお母さんの研究の一部なんじゃないの?」

ツーは顎をさすって言った。

「クローンである私たちの成長をモニタリングしてるような雰囲気は今まででも時々感じていたよね」

ウノがちらりとコピーの方を見たので、コピーは黙って頷いた。

「私たちがお母さんの研究の一要素なのだとしたら、いったいどうするのが正解なんだろう。お母さんのやっていることを調査して、それの傾向から課題で作るものを決定するのが効率的なのかな」

ツーは口元を手で触りながら言う。考えるときのツーの癖だった。

「きょ、協力はありかな?」

コピーがおずおずと言うと、二人はコピーの方を向く。

「コピーは協力したいの?」

「お母さんはたぶん、私たちを試してるんじゃないかな。一人一作品造らなくちゃならないような言い方をしたけど、三人で力を合わせたほうがいいものができると思うし、私たちの今までの勉強の成果を見たいんだよきっと。3人で最高の作品を作ってお母さんを喜ばせてあげようよ」

コピーは椅子から立ち上がって説得した。

「はっ、本気でそう思ってるの?」

「え」

ウノはコピーの予想に反して乾いた笑いを漏らした。

「親孝行のつもり?お母さんは天才の科学者だよ。これだけ大掛かりな研究の裏には綿密な計画とものすごい青写真があるはず。このタイミングで私たちにこの課題を出したってことは、本気でどの作品が、三姉妹の中の誰が一番優れているか見極めようとしている時なんだよ。それが何なのか確信は持てないけれど、十分に可能性のある仮説を考えることができるでしょ。お母さんはこの中のだれか一人を、本気で永遠に生きさせようとしてるんだよ」

「永遠に?」

ウノはタブレットをいじる。スクリーンにヒトヒが書いたと思われる実験記録が映し出された。

「これはカプセルワールドっていう、カプセルの仮想空間をハッキングして手に入れたデータ。お母さんはこの組織で生命に関する何かについて研究しているの。これは強力な証拠になるでしょ?」

「トイロソーヴの研究が、どうして私たちのうちの一人に永遠の命を与えようっていうねらいにつながるんだよ」

コピーが言うと、ウノはまだわからないのか、と少し呆れた表情をする。

「いい?コピー。お母さんは私たちの誰かに、楽園でずっとトイロソーヴを造らせる役目をさせるつもりなの。それに、お父さんもカプセルの人間でしょ。もしかしたら、お母さんがお父さんと結婚したのも、私たち娘という存在を正当化するための計画の一つだったのかも」

「全部憶測だろ!適当なことを言うのは止めろよ!」

コピーは自分の前の討論台をどんと拳でたたいた。

「ウノの話はたしかに憶測の域を出ないけれど、コピーの否定もまた、憶測の域を出ない。こうだったらいいなっていう、勝手な個人的希望だよ。ウノに何か言いたいなら討論でウノを打ち負かしたらどう?」

二人のやりとりを見ていたツーが言った。

「ツー、今は私たちどちらの意見が正しいか論じることは少しずれてるよ。今討論すべきなのは、私たちはこの課題に対してどういう態度で取り組むのかで、何を目指すかを決めることが必要」

「たしかに」

ウノはタブレットを操作し、今映っている実験記録の画像を消して、ホワイトボードのアプリを立ち上げた。

「私はまず、お母さんの真のねらいを知りたいかな。ウノの仮説は私もそう思う。だから、本当に私たちの中から優秀な一人を選んで永遠の命を与えるのかどうか確かめたい。それから、『課題に取り組むかどうか』を決める」

ツーは言った。

「課題に取り組むかどうか?調査の結果次第ではあなたは課題を放棄する可能性があるってこと?」

ウノが聞き返すと、ツーは頷く。

「私は永遠の命に興味はない。それに、お母さんやお父さんが一生懸命プロジェクトに関わって開発しているのは知っているけど、箱舟や新人類にもそんなに興味ない」

「そう。まあ、それはツーの自由だから何も言わないけど。私はもちろん課題に取り組む。お母さんに私が一番だと認めさせたい」

ウノは野望を隠しもしなかった。

「コピーはもちろんやるんだよね。それとも、三人で協力できないなら最初から白旗を上げるのかな?」

「やる」

コピーは立ち上がって、二人の姉をにらみつけた。

「私はお母さんを信じてる。お母さんは私たちのことを愛してるはずだよ。お母さんのその期待に、全力の力を持って応えるだけ」

ウノは頷く。

「決まったね。それじゃ、これから先、三人の中で二人だけ抜け駆けは絶対に無し。情報は交換しない。それぞれの実力を持って、それぞれ課題に向き合おう」

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