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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
154/172

41 卒業

3月になり、高校卒業の季節が巡ってきた。

天原は卒業生代表として答辞を読む役目を任されていた。卒業式は、まだ大学受験が終わっていない卒業生もいるせいで、全員がそろっているクラスはまれだった。ちらほらと空席の目立つ卒業生のパイプ椅子を見ながら天原は答辞を読んだ。パイプ椅子に座って背筋を伸ばす卒業生の中に伊尾の姿はなかった。志望する大学への受験勉強のために、今も、寝る間も惜しんで一心不乱に勉強しているのだろうと想像できた。伊尾とここで目が合わなかったことを悲しく思う自分と、どこかほっとしているような自分が胸の中には同居していた。

式はつつがなく終わり、写真撮影やら、教師への挨拶やらを終えてもまだ、別れを惜しんでおしゃべりする声で教室は賑やかだった。天原は部活の仲間や、先生とおしゃべりに興じた。皆、四月から通う大学のことや、将来の展望について語り合っていた。

天原はその話を聞いているうちに、まるで分厚いガラス越しにそれらを聞いているかのような錯覚を覚えた。皆、さも自分が将来についてはっきりした展望や目標をもっているように話すが、その話は天原にとって、どれも空虚な妄想に聞こえた。何もわかってない。今、地球がどんな状態なのか。いつ人間が絶滅するかの秒読みが始まっているのに、10年後のキャリアを気にしている。いくら稼ぎたいとか、どこへ行きたいとか、まるで、別世界の話を聞いているみたいだった。

いつの間にか、自分の視線が伊尾を探していることに天原は気付いた。伊尾は、地球の現状について知っているんだろうかと、そんなことを考えた。

天原は大学受験をしなかったため、大学には行かない。カプセルを辞める未来も、ちゃんと現実的に考えてはいたのだが、その後の自分の将来のための展望や、打算が何一つ思いつけなかった。学歴というものに魅力が微塵もわかなかった。


桜が散った頃、高校時代の友人を通じて、伊尾が日本一入試が難しいとされる、最先端の時間移動技術に関する教育をしている大学に進学したということを知った。マンションを出て、一人暮らしを始めたらしく、もう会うこともできなかった。

「伊尾は時間移動の分野を研究したかったのか……」

そこまで伊尾を一心不乱に勉強に駆り立てる動機はわからなかったが、伊尾の大学と専攻する分野がわかったのは大きな進歩だった。天原はさっそくその大学へと足を運んだ。その学部に頻繁に出入りし、カフェテリアをうろついてその学部の生徒に手当たり次第に声をかけた。七月になり、夏休みが始まろうという時期に、伊尾と知り合いの学生に出会った。

「ああ、伊尾君ね。彼、一部クラスでは有名だよ。いつ見ても教授と何か小難し気な話をしているか、図書館に籠って勉強をしているし、常に歩きながら本を読んでる。この大学は割と勉強が好き、得意なやつが多いけど、あんなに勉強好きなガリ勉はなかなかいないよ。あれはもう狂気だね」

数か月キャンパスをうろついても会えなかったのは、伊尾が図書館にいたからだった。図書館は外部の人間は入ることができない。

「もしできたら、その伊尾がよく話している教授と話がしたいんだけれど」

「ああ、授業取ってるからメール知ってるよ」

その学生は天原に気軽にメールアドレスを教えてくれた。


天原は家に戻るとさっそく、伊尾がよく話しているという時間移動が専門の教授にメールを送った。送り終わってふと、ハナシロからメッセージが一件届いているのに気が付いた。

『もう知っていたらごめん。来月、カプセルはメンバー募集のスカウトを打ち切る予定らしいってマネージャーから聞いたから一応教えておくね。友達をカプセルに入れたいのなら知っておいたほうがいいと思ったから。まだ計画始動までは2年あるけど、すでに方針が固まっているから新たな人員を増やす必要はないと判断したのかも』

時間がなかった。


教授は快く、どこの馬の骨とも知らないような外部の青年、天原との対談の機会を設けてくれた。天原は大学の研究室へと出向いた。

「伊尾君か、知っているよ。この春に入学したとは思えないほど深く広い専門知識をすでに持っていて、私が講義で教えていることの遥か先を行っている。毎日のように質問をしに来る」

「伊尾は個人的に何か研究をしているみたいなんですが、何がテーマなんですか?」

「うーん、伊尾君の研究だからなぁ、私が漏らしてもいいものなのか」

「大まかな概略だけでかまいませんから。私も、それを聞き出して自分の利益にしてしまおうという気は毛頭ありません。私は時間移動技術については全くの素人ですから、深いところまで説明されても理解することもできません。ただ、疎遠になってしまった友人が今、どういうことをしているのかということを教えていただきたいのです」

「疎遠になった?」

天原は目を伏せる。

「先生も一度くらいはお感じになったことがあるんじゃないですか。伊尾は、ある日から何かに憑りつかれたように勉強に打ち込んでいます。友人の目から見ても、ただの勉強熱心、では片付けられないほどの取り組み様で、狂気的にすら思えます。あのまま行けば、遅かれ早かれ身体を壊してしまうでしょう」

言いながら、内心天原は、伊尾はこんなことでは身体は壊さないだろうな、と思った。伊尾は目的のために、生活のすべてを注いでそれを達成しようとする。綿密に計画を立て、一秒たりとも無駄にしない。綿密な計画の中には当然、自分の体調管理もしっかり含まれているだろうということはわかっていた。

教授は頷いた。

「確かに、熱心さもあれほどともなると尋常ではないな。君が心配するのも理解できる。伊尾君はもうすでに病院に通ってもいるようだし……」

「伊尾が病院に?」

天原は眉を顰める。

「ああ、そうだよ。この大学の附属病院によく出入りしてるのを見かける」

教授は伊尾が病院に出入りしている理由に納得したのか、うんうんと深く頷いている。

「……ありがとうございました。私はこれくらいでお暇させていただきます。お時間を取っていただき、本当にありがとうございました」

「おや、もういいのかい。もう少しゆっくりしていっても」

天原はお礼もそこそこにすぐに研究室から出た。


「……君だったのか」

白い病室に少女が一人、たくさんの生命維持装置を取り付けられて横たわっていた。

天原は病室に一歩入る。窓が細く開いていて、ベッドサイドに置かれた新鮮な花を微かに揺らしていた。夕焼けの色が差し込んで、花瓶の陰が伸びている。

天原は少女の枕元に立つ。少女の肌は透き通るほど白く、穏やかな顔で目を閉じて、ピクリとも動かなかった。まるで、いつか読んだおとぎ話の、森の中で眠るお姫様のようだった。

天原の頭の中で、伊尾の行動のすべてに説明付いた。天原は椅子に腰かけてそのきれいな横顔を眺める。伊尾は彼女に、幽霊のようだった元クラスメイトの桜田奏に恋をした。ナースから聞き出した情報をつなぎ合わせて診断をするのならば、彼女は脳の病を患っている。記憶を失っていく進行性の病。現在の医学では決して治すことができない。

天原は一つ息をついた。

伊尾はこう考えたんだ。医学では治すことができないとしても、他の技術を上手く使えばあるいは……。だから伊尾はカプセルに興味があった。伊尾の勉強はすべて、どこまでも彼女のためでしかなかった。

「俺は伊尾の幼馴染、君のクラスメイトだった、天原です」

聞こえているのかはわからなかったが、天原は奏に語り掛けた。

「伊尾ってやつはすごいんだ。どこまでも純粋で、まっすぐで、他人のことしか考えないんだ。おまけに頭もいいときた」

天原は花瓶の花を見る。向日葵はまだ新しく、しゃんと首を上げている。

「安心してください。伊尾は必ず、あなたを助けるから。俺は、その伊尾の力になります」


「あら、今日は早いのね」

天原が病室から出ると、年配のナースが話しかけてきた。天原が顔を上げると、ナースは少し驚いた顔をする。

「あ、ごめんなさい、人違いだったみたいね。てっきり、桜田さんに毎日のようにお見舞いに来てくれてる人かと思っちゃった」

「桜田さんとは昔少しだけ縁があって」

天原は胸のポケットから白い封筒を取り出してナースに手渡した。

「これを、その毎日のようにお見舞いに来る人に渡してもらえませんか」

「あら、なあに、これ」

「科学省の者からです、と言っていただければ通じるかと」

ナースは天原の顔と封筒をキョトンとした顔で交互に見たが、やがて頷いた。

「まあ、いいわ。私、明日もここで仕事だし、渡しておくわね」

天原はナースに一礼し、病院を後にした。封筒の中には、カプセルから伊尾への加入面接の招待状が入っていた。天原は数日前、ようやく一枚の招待状を手に入れることに成功していた。伊尾が約一か月後の面接でうまくやれば、晴れてメンバーになれるだろう。

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