38 努力の天才
交流会の次の日、一日がいつものようにメールをチェックしていると、フシミからメールが来ていることに気付いた。フシミはどうやら、一日のゲームに興味があるようだった。一日は、完成まであと一週間くらい待ってください、と返信した。フシミの研究にも興味があり、すぐにでも研究について説明してほしくもあったが、今は最速でゲームを仕上げることに集中したかった。
それからきっかり一週間が経ち、一日のゲームは完成した。そのゲーム機はゴーグルとコントローラーを装着して遊ぶ、没入型で、このゲームは端的に言えば、謎解きとアクションが組み合わさったようなもので、基本的には個人プレイだが、インターネットを通じて他のプレイヤーと交流することもできる。広いオープンワールドを自由に駆け巡ることができ、様々なサブミッションが用意されている。メインストーリーは、四人の中ボスと、一人の大ボスを倒すというRPGだ。基本的にどの知的レベルの人も楽しめるように設計してあるが、IQの高さによって明確に遊べる景色が変わるという特徴を組み入れていた。多くのプレイヤーの残したプレイデータを分析して、新たな発見を期待している面も少しあった。
一日はマネージャーにお願いして、ゲームソフトをフシミに渡すように手配した。ゲームソフトを受け取ったフシミは、お返しのつもりなのか、今まで自分が書いてきた論文を送り付けてきた。読んでみると、フシミは仮想空間の人類アバター化ではなく、現実世界でのアバター化を目指しているということがわかった。つまり、自分の肉体を好きなように脱ぎ着できる時代を作ろうとしているのである。自分の意識、非科学的な言葉で言うならば魂だけを体から離脱させ、新しく人工的に造った体に入れる。もしそれが実現できれば、自分が持って生まれた身体的特徴を気にせず、自由な体を手に入れられるということだ。
そこまで読んで一日は、フシミがゲームについて興味を持っている理由に納得した。フシミは、人類をゲームの中に入れてしまいたいのだった。
一か月ほど経った。三月になる。一日がもし学校に行っていればあわただしい季節だったが、行っていないので特に変わらないスピードで日々が流れていた。この一か月なんの音沙汰もなかったフシミから連絡が来た。カドで話さないか、とのことだった。
カドのロビーのホワイトボードには少し書き込みが増えているような気がした。一日は用が無い限りあまりカドにログインしていなかったが、頻繁にログインしているメンバーもいるようだ。
「あ、あの、遅れてごめんなさい」
2時間ほど遅れてフシミがログインした。生命科学の分野ではものすごい才能を持っているが、基本的な社会生活を送るスキルが恐ろしく低い、と一日は分析する。ギフテッドの中にはそういうタイプもいる。
「気にしてないです。ルームを作っておきました」
二人は別のルームに移動した。猫足の豪奢な柄のソファーに、変な置物が置いてあり、もともとそんなに大きくない部屋だが、インテリアの無駄に出っ張った幅のせいでよけいに狭苦しく見えた。もちろん、一日がデザインしたものだった。フシミは部屋をきょろきょろと見渡した。
「いい部屋、ですね」
フシミはやはり手を落ち着きなく動かしながら言った。二人は向かい合ってソファーに腰を落ち着ける。
「ゲーム、すごくよかった、です。勉強、できないと敵たおせないの、すごく新しい」
フシミは身振り手振りを加えながら熱心に感想を述べた。プレイヤーがまだ一人なのでオンラインでやることはまだできないが、一人でできるところはずいぶん進めていたようだった。
「僕、一日中やっちゃいましたよ。本当、よくできてる。作り込みも、最高」
フシミはそこで、ヒトヒに一つのファイルを手渡す。ファイルの中身は、企画書のようだった。
「それで僕、考えたんですが、いっしょに、このゲームを、現実の世界に作ってみませんか?」
おそらくこの提案をされるだろうと言うことは予想できていたので、一日はすぐに同意した。
「大きい、このゲームのためだけに使う、地域を用意します。で、映画村みたいに、セットを用意して、で、で、アバター化したプレイヤーを、その村に住まわせる」
カプセルが目指す、ムーンショット計画にどう役に立つプロジェクトになるかは全く考えていなかった。ただ、実現出来たら面白そうだという確信だけを二人は持って話していた。理由や大義名分など後で考えればいい。カプセルにもらった財力と設備を存分に使って、自分たちが興味のあることに全力投球してみたかった。
「アバター化について詳しく教えてくれませんか?」
「ええ。あの、僕は今、新人類の、身体、あ、器って呼んでて、それを作ってて。精神を、同調させれば、その身体を自由に、動かせます」
一日はもらったファイルの中の画像を見る。そこにはまさにゲームの中に登場するような二頭身の人間が写っていた。まだ実際に同調に成功したことはないようだったが、書きぶりを見るに、近日中に成功してしまいそうなほどの現実感を持っていた。
「いいですね。この世界にぴったりでかわいいじゃないですか」
一日は、自分のゲームのキャラが現実に現れることを想像して、少し嬉しくなった。フシミは一日の言葉に嬉しそうにブンブンと頭を上下に振って頷く。
「でしょでしょ。ね、作りませんか?カプセルには、この計画を、提出しましょう」
「はい、ぜひやりましょう」
二人の目は無邪気にきらきらと輝いていた。
「最近は立案の進捗とか、どんな感じ?」
一日がフシミとの待ち合わせでロビーにいるとき、アマハラが話しかけてきた。ここのところ、フシミとよく会話をしていたが、他のメンバーとはしていなかったので、少し新鮮な気持ちになる。
「やりたいことは固まってきてて。今こんな感じのことを考えています」
一日はアマハラに企画書のファイルを差し出す。アマハラはそれにざっと目を通す。
「へえ、面白い。ゲームの世界を、そのまま現実に持ってくるわけか。確かに、強い身体のアバターで暮らしていれば、汚れた地球によって引き起こされる健康被害も解決できそうだよね。環境を直すんじゃなくて、人間の身体の方を適応させるアイデアは目からうろこだ」
特にそんなつもりで企画を立てていたわけではなかったが、アマハラの着目した点はもっともだった。自分たちがいかに個人的満足のことしか考えていなかったのかを教えられたようで、自分の子供っぽさを自覚した。
「そう。最近は大気汚染のせいで肺や呼吸器の病気も多発してるし、汚い水で内臓が犯される人も増えてる。うんと丈夫な身体の新人類を設計しているところ」
一日は言いながら、今日フシミに会ったら、アバターは丈夫に造ろうと提案しようと心に決める。
「ところで、アマハラは他の目標の担当の人たちとはもう話をしたの?他の人たちはどんな感じ?」
「ああ、大体みんなやる方向性は固まってきて、具体的計画を詰め始めてるところが多い。ハナシロのところが遅れてるとかそういうことはないし、みんなその程度の進み具合だ。ただ、『④地球環境の改善』担当のタシロさんがちょっと行き詰っている感じを受けたから協力してる」
アマハラは全体の様子を見てペースを調整する役目をとてもうまくこなしていた。
「なるほどね。アマハラは特別やりたい分野とかって、でてきたりするの?」
一日がそれを聞くと、アマハラは少し困ったような顔をした。
「こういうくくりはあまり好きではないんだけど、いわゆる天才的に頭のいい人たちと話すのってとても楽しいんだ。スピード感というのかな。話すのは楽しいんだけど、今、ちょっと個人的な悩みがあって、あまり一つのことに集中できなそうなんだ。そうなると、いっしょにやっている人が迷惑だろ?」
アマハラは苦笑する。
「ごめん、皆がカプセルという組織の一員として、未来の日本のために一生懸命考えてるっていうのに、俺は自分のやりたいことをやるためだけにこの組織に身を置いてる。いろいろなコストをかけてもらっているのに申し訳ないよ」
「申し訳ないなんて思わなくていい。たぶん私利私欲のためにこの組織にいるのはアマハラだけじゃないよ。ていうか、経済学でも言うでしょ、世界の人々がそれぞれに自分の利益を追い求めていたら、いつの間にか世界が上手いこと回ってるって。そう証明されてるの。自分のやりたいことをやるために組織を利用するのは全然申し訳ないと思うことじゃない」
「ずいぶん饒舌に励ましてくれるね」
アマハラは笑いながら言った。
「饒舌ってほどでもないよ。ところで、その悩みっていうのは聞いてもいいもの?」
「まあ、大したことじゃないんだけどさ。誰かと待ち合わせしてるんじゃないの」
「大丈夫。フシミさんはたいてい数時間は遅れてくるから、あと一時間はアマハラのお悩みを聞いていられる」
「そっか、じゃあ話すよ」
一日はいつもフシミと使っているルームと同じデザインのルームを作って、アマハラと入った。
「実は友達とのことなんだ」
アマハラは何でもさらりとこなしていそうなイメージだったので、一日は驚いた。一日自身、あまり同年代の子と接する機会がなく、というか自分から避けているところが少しあったので、あまり友達というものになじみがなかった。
「俺たちは住んでいるマンションの部屋が隣でさ、小さいころから一緒に遊んでたんだ。そのころ俺は自分がギフテッドだってことを意識せずに、普通に、他の大勢といっしょに学校に行ったり、遊んだりしていた。半年くらい前かな、今年の夏休みくらいにちょっと揉めて、それから俺の生活はがらっと変わった」
「夏っていうと、カプセルから勧誘が来たあたりかな」
「そう。そのメールがきっかけだった。中学くらいで俺は自分がどうやら他の人に比べて覚えが早かったり、やけに要領がいいことに気が付き始めていた。でも、あまり気にしていなかった。今思えば、その友達が隣にいたからだと思う。俺は孤独を知らずに生きてきた。メールを見た俺は、自分がギフテッドだと認識すると同時に、そいつのことも同じだと思った。そのことに疑いを持たなかった」
「友達に招待は来ていなかったんだね」
「ああ。思い込みに頭が鈍った俺は、そいつに最低なことをした。その日以来、もう口をきいていないんだ。俺の世界が急に暗くなったみたいだった。隣にいたたった一人の俺の理解者は、俺と同じじゃなかった。俺の数百倍、いや、数万倍すごいやつだったのに、俺は傲慢にもあいつをなめていたんだよ」
一日は話がよくわからずに首をひねる。
「友達はギフテッドじゃなかったんだろう?だから招待が来なかったんじゃないの?」
「そいつはギフテッドじゃなかった。でも、それってヤバいことなんだ。怖いくらいだ。俺なんか全然すごくない。俺はたぶん生まれたときから何か脳の構造が珍しかったけど、あいつは世間一般の多くの人と同じものを持ってる。それなのに俺と話をしてくれた。今まで隣にいてくれたんだ」
一日にもアマハラが何を言いたいのかがわかってきた。アマハラはその友達を深く尊敬していて、それを失った苦しみに嘆いているのだった。
「天才なんだ。あいつは、努力の天才なんだ」
苦しそうに、でも、自分の大切なものを誇るようにアマハラは言った。
「それで……、アマハラはその友達とこれからどうするの」
一日は聞いた。
「今、カプセルの管理者の人に、そいつをメンバーに入れてもらえるように頼んでるところなんだ。半年間返事がないけれど……。あいつ、カプセルのことを知ってる風だったし、なんだか最近、真剣に取り組んでるテーマがあるみたいなんだ。毎日それに向かって一直線に勉強してる。俺が辞めてあいつが代わりに入るでもいい」
アマハラの口調は真剣だった。しかし、正直一日は、いくら努力が上手かろうと、ギフテッドとそうでない人には遥かな違いがあると信じていた。熱意や努力だけでは埋められない、決して縮まらない生まれながらの差がある。悲しいことだが、それは経験からの確かな実感であり、アマハラの言うことは現実感の伴わない単なる夢物語にしか聞こえなかった。ギフテッドでない人がこの組織に入ったところで、やっていけるとは到底思えない。
「だから一つのテーマに熱を注ごうとしないんだね」
アマハラの語ることに対して止めておけと諭す選択肢もあったが、一日は言及を避けた。
「どれも魅力的で決め難いというのは本当だよ」
アマハラはソファーから立ち上がった。寂しそうな顔をしていた。もしかしたら、アマハラも全部わかっていて、その上でもがいているのかもしれないと一日は思った。